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亰の寺

2015年1月 2日 (金)

京都新年雪景色「南禅寺境内」

 大雪に見舞われた元旦の日本列島でしたが、京都も久しぶりの大雪(15㎝)が降りましたが、2日は朝の晴天に誘われお詣りに出かけました。
まずは早朝の南禅寺山門の雪景色です。


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屋根も木々も白一色です。

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↑の山門の裏側から撮っています。

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天授庵の前の道も、見事な紅葉を見せてくれた大木のモミジの葉っぱも、色一色です。

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すっかり葉っぱの落ちた木の枝も雪の化粧です。

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赤い可愛い実も雪の重さに耐えているようです。
この後は、天神さんに向かいます。

2014年12月25日 (木)

朝もやの京都南禅寺境内

 冬の早朝、南禅寺境内を散策しました。
底冷えの京都、南禅寺境内、紅葉の頃が嘘のような静けさです。


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”もや”がかかり前方がかすんでいます。

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1本の南天の赤い実や、葉っぱがが朝日を受けて輝いています。

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昨日降った雨の雫が枝から落ちそうですが、頑張っています。

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何時もは景色を眺めている人たちの姿が見える山門の上にも、人影は有りません。

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水路閣も ”もや”がかかって柔らかな雰囲気です。

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「これが水路閣か!?」水路閣を初めて見たという人が盛んにシャッターを切っておられます。
 冬の早朝の南禅寺境内は寒いですが、何時もと違った雰囲気の光景に満足した散策でした。
この後この静けさが嘘のような、賑やかな終い弘法さんに向かいます。

2014年12月22日 (月)

京都・東寺の終い弘法へ行く

 最近の「京 歩き」の記事は、旅行のことばかりで、これでは看板を下ろさなあかんな!との反省から、急遽「終い弘法さん」へ行って来ました。
 12月21日、日曜日の晴天、そして割合暖かいと好条件が重なり、予想していた以上の大混雑。東門から入って、南門に抜けて下さいとのガードマンの指示も何のその、東門から出る人しきり。入門整理を遣っているのかと思う位の、東門の大渋滞でした。

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やっとの思いで東門を入れば、境内はこんな状態でした。
約1200店もの露店が並んでいるとか。

「終い弘法」らしいものは無いのかと、目を皿にしての探すことしきり。

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やっと見付けました。来年のカレンダー売り場です。物色中のおじさんの横顔もパチリ。

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向かい側では、華やかな展開が・・・。
お正月用の松や葉牡丹などが並んでいました。

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所狭しと並ぶ露店の向こうには、五重塔が見えました。ここから進路を南に。

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「食堂」(じきどう)の前では、善男善女がお参りをされています。
かつてはここに千手観音さまがお祀りされていたので、「観音堂」とも呼ばれています。足利尊氏が一時ここに住んでいたとか。

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「弘法市」では、色んなものが売られています。

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衣類の店では、こんなものも。

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出口に指定されている「南門」から、境内を振り向きますと、正面に堂々とした「金堂」が見えました。ご本尊は、薬師三尊像です。

漸く「南門」から出ることが出来ました。緊張の連続でした。

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境内の喧騒が嘘の様な、外の様子です。
南門を出て、九条通を少し東に行ったところから見た国宝の「五重塔」です。
 25日は終い天神さんです。
弘法さんと天神さんの片方が晴れれば片方が雨と言われています。
天神さんも晴天になれば好いのにと思いながら東寺を後にしました。



2014年12月 4日 (木)

大徳寺・塔頭の紅葉(その2)

 京都は紫野にある大徳寺の塔頭の紅葉を、「高桐院」(その1)に続き、その並びの塔頭を訪ねました。「高桐院」の南隣にある「龍光院」です。ここは、黒田長政が父孝高(如水)の菩提所として創建したところで、出入り口が南と北の2か所にありました。

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こちらは北門です。勿論北面しています。こちらが正門の感じでした。

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北門の傍も、この様な様子でした。奥の方にも、紅葉が拡がっている様です。

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北門から南門に向かう道の塀沿いにも、紅葉した木々が、枝を伸ばしていました。
ここの前では特にカメラウーマンの姿が目立ちました。

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こちらが南門から入ったところの様子です。南門は東向きでした。

「龍光院」の南隣りには、「大光院」があります。

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ここ「大光院」は、大和豊臣家の菩提所です。大和豊臣家とは、秀吉の弟・秀長のことで、秀吉と秀保とが建てたところです。ここには秀長のお墓があるそうです。

 この後は、ここから離れて西に向かいました。今宮神社の正面に至る道を横断して、更に西に向かいます。道の左右には市立紫野高校があります。
 そして、その先の左側にあるのは「弧篷庵」(こほうあん)です。

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ここは、左手下に見える様に「拝観謝絶」で、門に近付くとアラームが鳴ります。ここは、小堀遠州が「龍光院」内に建てた子院です。
寛永20年(1643)に、ここに移され、建物と庭園が造られたそうです。

 大徳寺山内には、数多くの塔頭がありますが、今回は以上で留めることとしました。

2014年12月 1日 (月)

京都・西賀茂を歩く-3 2社寺

 
 京都・西賀茂を歩きました。
賀茂川に設けられた「柊野堰堤」、山の麓に抱かれた禅寺「正伝寺」に続き、2つの社寺を訪れました。「大将軍神社」と「神光院」の2社寺です。

 先ず、「大将軍神社」から。

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正面入口の鳥居です。昔の田舎の鎮守社の雰囲気です。
創建の由来については、後程に。

鳥居をくぐつて境内に入ります。

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境内に入って先ず目に入るのは、この建物です。神社に不似合な感じの建物です。何処かの民家を移築したのかと思う建物です。

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中はこんな風になっています。待合室風です。
氏子の皆様が、ここに集まって神事の相談などをされるのでしょうか。
普通は本殿前には、拝殿とか舞殿などがありますが、ここは違う様です。

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本殿は、この様に覆屋に覆われています。京都市指定文化財です。

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ご本殿の様子です。上賀茂神社との所縁があるようです。

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境内には多くの境内末社がお祀りされています。
東側に4社、西側に5社 あります。こちらは、西側で 愛宕・松尾・八幡・春日・山王の神々です。東側は、片岡・貴船・稲荷・角の各社です。

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神社の横側から見た鎮守の森です。

「大将軍神社」の由緒について

 推古天皇17年(約1300年前)、この地にあった瓦窯で働いていた人々の瓦屋守の鎮守社として建立されたと伝えられ、桓武天皇の平安遷都に際して、都の四囲に大将軍神社を祀った時の北方の守護神とされたとも伝えられています。その後は今日までこの土地の氏神様として鎮座しておられます。

 ご祭神は、主祭神として磐長姫命で、そのご家族5柱の神も祀られています。寿命長寿の神であり、方除の神でもあります。

 紫野の今宮神社の「やすらい祭」には、ここで神事を行った後、今宮神社に向かうならわしがあるそうです。

  次は、「神光院」(じんこういん)です。

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もとは上賀茂神社の境内にあったそうでが、建保5年(1217)にこの地に移されたそうです。
本堂に安置されている弘法大師像は、「厄除大師」として崇敬されています。

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弘法大師像は、ここにお祀りされています。

丁度ここを訪れた時に撮影が行われていて、聞けばNHKの木曜時代劇「ぼんくら」の撮影だとか、スタッフの方が仰っていました。撮影が終わって子役などがぞろぞろと出て来ました。

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境内には「連月尼旧栖之茶所」の石碑が建ち、その背後には平屋建ての小さな建物があります。
「太田垣連月」は、夫や子供を亡くした後、世をはかなんで出家し、市内各所を30数回も転住し、慶応2年(1866)76歳の秋に、ここに住んだそうです。
ここで10年を過ごし、明治8年(1875)11月10日に、

 願わくは のちの蓮(はちす)の花の上(へ)に
 曇らぬ 月を見るよしもがな

と辞世の歌を詠み、波乱に富んだ85歳の生涯を閉じました。
 市内を転々としていた時に作った茶碗や急須は、「蓮月焼」と称して、世にもてはやされたとか。

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毎年、時代祭には「江戸時代婦人列」の一員として、登場しています。

ご訪問ありがとうございます
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2014年11月30日 (日)

京都・西賀茂を歩く-2 正伝寺

 「西賀茂」の北西部、船山の麓にある「正伝寺」(しょうでんじ)を訪ねました。
 臨済宗南禅寺派のお寺で、吉祥山 正伝護国禅寺と称します。
 創建は、鎌倉時代にさかのぼります。詳しくは後程に。

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緩やかな坂道を上ったところに、その山門はありました。

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杉林の中を、暫く行くとまた小さな門がありました。

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さらに、この様な階段を歩きますと、その先に漸く建物が見えて来ました。
ここまで、静かな佇まいの中をかなり歩いて来ました。

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庫裏の前には、秋明菊が咲き乱れていました。

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庫裏の建物です。禅寺特有のものですね。

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庫裏に繋がる「方丈」(本堂」の建物です。重文です。
伏見桃山城にあった遺構で、「御成殿」と称されていました。
江戸時代初期に、ここに移築されました。
建物の内部は、撮影禁止です。

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方丈内部は撮れませんが、お庭は良いとのことで、撮らせて戴きました。
「獅子の児渡し庭園」と言います。白砂敷平庭で、サツキの刈込によって七五三調を表現した枯山水庭園です。遥かに比叡山を取り入れた借景式庭園です。左半分を見ています。

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右半分以上を見ています。

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方丈前面の上の天井は、いわゆる「血天井」です。
関ヶ原の合戦前の伏見城での、徳川方の武士の戦いの跡です。
城の廊下の板を天井としたものだそうです。

ご訪問ありがとうございます
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2014年11月28日 (金)

大徳寺・塔頭の紅葉(その1)

 昨年から考えていました「大徳寺・塔頭」の紅葉を、今年は是非にと思い、11月20日の午後、拝見して来ました。
 今回拝見した塔頭の場所は、大徳寺の西方に位置する数カ寺です。

 はじめに拝見したのは、「高桐院」(こうとういん)でした。

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最初の門を入って、直ぐに目にした光景です。
奥には竹林があって、紅葉と緑とのコントラストと考えたのですが、竹林が暗くて思った様にはなりませんね。

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境内に入って直ぐに右に直角に曲がります。そして、振り返って見ました。
↑の景色は、右手になります。

感じの良い石畳を歩みます。その先には苔生した屋根の門がありました。

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こちらこそが正式の山門と思われますが、扉は閉まっていました。
ここから見えるモミジは、未だ青モミジでした。
背景の建物は、本堂かと思います。

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再び右に曲がると、拝観者の出入り口がありました。
結局コの字形に曲がったことになります。石畳の道が続きます。
その角にも、塀から伸びたモミジがありました。紅葉の途中で、色のグラデーションが美しく思いました。

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拝観者の出入り口の向こうにも、素晴らしい色彩が満ち溢れていました。
額縁風にしてみましたが・・・・。

「高桐院」について
細川忠興(三斎)が、父幽斎の菩提所として、慶長6年(1601)に創建しました。三斎は、千利休の高弟でしたので、境内には利休ゆかりのものが幾つかあります。
庭園は、カエデ一色で自然のままの林となる本堂南庭と飛石本位で深山幽谷の趣を持つ西庭とかあります。

2014年11月22日 (土)

紅葉の隠れ名所?京都「智積院」

 

 昨年の京都の隠れ紅葉名所として紹介?されていた東山七条にある「智積院」(ちしゃくいん)へ初めて行きました。
 最初は庭園を拝見するつもりでしたが、境内の見事な色様々な紅葉に感動して、来年は庭園を拝見しようと。

 智積院は、真言宗智山派の総本山で、阿弥陀ケ峰(豊臣秀吉の豊国廟がある)の麓に境内が拡がっています。境内全体の印象は明るい感じです。
 その境内は見事な紅葉で彩られていました。

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東大路通から境内に入って直ぐの、本坊に通じる道です。

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金堂(奥に見える大きな屋根)に向かう、境内のメインロード沿いの様子です。
紅葉の林と言った感じでした。

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↑の反対側です。

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金堂の手前の左手にも、見事な紅葉が見られました。

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その金堂に拝礼した後、振り返って境内を見ました。
真ん中の道が、メインロードです。

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鐘楼堂の向こうにも、燃える様な紅葉の木々が見られました。

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主役は紅葉を背景にした若緑の葉っぱです。

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境内はそんなに広くは無いのですが、朝の爽やかな空気の中で上品で色とりどりの紅葉を楽しむことが出来ました。

 最後に、何時もの通り「智積院」について。

○このお寺の元は、紀州にあった「根来寺」(ねごろじ)でした。
12世紀高野山で、興教大師覚鑁(かくばん)により開かれた新義真言宗の
  流れを汲む根来寺でしたが、16世紀に秀吉によって攻め滅ぼされました。
○この地は、秀吉の長男・鶴松が夭折したので、その冥福を祈って建てられた祥雲寺があった場所です。
○秀吉没後、根来寺の僧・玄宥が徳川家康に働きかけ、この地に五百佛山根来寺智積院を建てました。そして、玄宥は第一世となりました。
何か皮肉な運命みたいなものを感じます。
○江戸時代は、徳川幕府の手厚い庇護を受けた様です。
寺地は、2万7千余坪を有し、3千人もの学僧が参集した時期もあったとか。
○明治維新後、寺地は上地令で半減し、また度々の火災で堂宇の多くを失いました。建物などが何か新しい感じがしたのも、そんな経過があってのことと思いました。
○ここには、長谷川等伯と一門の障壁画があります。
国宝・等伯筆の「楓図」と、その子・久蔵筆の国宝の「桜図」は、桃山時代の障壁画の傑作とされ、今も収蔵庫で見ることが出来ます。
これらの障壁画は、祥雲寺から智積院が引き継いだものです。

2014年11月15日 (土)

11月13日の南禅寺塔頭”天授庵”の紅葉

 

天授庵はご存知のように、昨年秋のJR東海”そうだ 京都 行こう”のコマーシャルで紅葉の名所として紹介されました。
 13日は下見?のつもりで拝観しましたが、既に紅葉は始まっていました。
早朝にもかかわらず大勢の観光客やカメラマンの方達です。最近の京都の傾向として海外の方が多いですが、天授庵も同じでした。
唯、感心したのは皆さん静かに紅葉を愉しんでおられた事です。

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 ↑も↓も菱形の畳石が並んだデザインの枯山水庭園・方丈前庭です。

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濃いピンク、薄いピンク、オレンジ色そして濃い緑と淡い緑のモミジが白砂と苔に見事にマッチしています。

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紅葉が池の周りを取り囲む池泉回遊式庭園・書院南庭に回ってみました。
ガラスに紅葉と常緑樹の濃い緑が映りこんでいます。

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池の周りを回ってみたかったのですが、大勢の方達で今回は諦めました。

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塀の外から撮った紅葉です。
ここでも多くの方達がシャッターが切っておられました。
 11月15日~30日まで行われるライトアップの準備が着々と進んでいました。今年も多くの観光客が、何時もは入れない書院に座って係りの方の丁寧な説明を聞きながら、幽玄の世界に浸られることでしょう。
 
 
尚、天授庵は四季に花を愛でることが出来ますが、秋はシュウメイギクが特に綺麗です。

2014年8月24日 (日)

京都東南部の名刹を訪ねて-2  醍醐寺

 「隨心院」(山科区)から、伏見区に入りました。「醍醐寺」に向かう途中、2つの御陵と1つの神社を訪れました。

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第60代・醍醐天皇の御陵「醍醐天皇陵・後山科陵」(のちのやましなのみささぎ)です。
父・宇多天皇から譲位されて、13歳で即位され、46歳で崩御される直前までの、当時の天皇としては非常に長い在位34年を数えます。
在位中は、穏便で政治面では善政の時代とされています。
もう1つの御陵は、醍醐天皇の子・「朱雀天皇陵・醍醐陵」(だいごのみささぎ)でしたが、上と同じ様な感じでしたので、写真は掲載しません。

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神社と言うのは、ここ「長尾天満宮」です。石段に恐れをなして、ここからの参拝とさせて戴きました。
ご祭神は、菅原道真・大己貴命(おおなむちのみこと)・スサノオノミコトです。
天慶3年(940)、醍醐天皇が道真の怨霊を慰めるために、この地に勧請創祀したと伝えられています。
一方、他説では道真が在世中からこの地を好み、墓所をここにと望んでいたとか。結果的には没後北野に祀られてしまったので、改めてこの地に社を構えたとも伝わります。社殿前には「菅公衣裳塚」があるそうです。

 いよいよ、「醍醐寺」に遣って来ました。「醍醐寺」は、山の上に広がる「上醍醐」と、平地にある「下醍醐」とがあります。今回は「下醍醐」の境内を歩きました。「上醍醐」へは、約1時間の山道を行かねばなりません。

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何時も参拝する道とは違う道から入りましたので、いきなり「西大門」(仁王門)の前に来ました。

「西大門」をくぐって国宝の「金堂」に向かいます。

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醍醐天皇の御願により、延長4年(926)に創建されました。当時は釈迦堂と言われていたそうです。その後2度にわたって焼失しています。現在の金堂は、豊臣秀吉の命によって、紀州・湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成しました。
「醍醐寺」の中心のお堂であり、安置されている薬師如来像は「醍醐寺」の本尊です。

毎年春には、このお堂の前では、巨大な紅白のお鏡餅を持ち上げる行事が行われます。

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国宝「五重塔」です。
醍醐天皇の菩提を弔うために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。
高さは約38mあり、屋根の上の相輪は約13mもあって、塔の3分の1を占めていて、安定感を与えています。

 更に奥に進みます。

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「観音堂」です。
西国33観音霊場第11番札所・上醍醐准胝堂の遥拝所です。ここに納経所があります。

 各お堂での参拝も終わり、再び「西大門」をくぐつて「三宝院」に向かいました。

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「三宝院」の国宝の「唐門」です。
現在の「三宝院」は、慶長3年(1598)に豊臣秀吉により再建されたもので、この「唐門」の他、表書院も国宝に、その他の建造物の大半が国指定の重文になつています。

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何時もは、ここから境内に入らせて戴いている「総門」です。
奥に見えるのが「西大門」です。それまでの道の両側が桜の名所となっているところです。「三宝院」は、ここを入って左側にあります。

「総門」の前の道が「奈良街道」です。
ここから歩いて、約15分程で、市営地下鉄・東西線「醍醐駅」に行くことが出来ます。私もその様にして、帰途に着きました。

 なお、説明は当日戴いた資料を、主に使わせて戴きました。

 

 

 

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