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京都・花街

2015年2月27日 (金)

京都天神さん 梅花祭の日の舞妓さん

 野点が終わって上七軒に帰られる普段は見られない?表情や仕草の一人の舞妓さんの姿を追ってみました。

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お点前が終わって、天神さんの境内にを歩いておられる舞妓さんです。

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境内を出て帰って行かれる舞妓さん、
お店の方の「お疲れさま」の言葉を受けた後、俯きかげんです。

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何方か親しい方を見つけて手を振っておられます。


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お相手はこちらの方でした。
沿道の人たちから「可愛い」の声です。


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お点前の緊張が解けたのか寛いだ顔は年頃の娘さんですね


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男性と別れて上七軒の歌舞練場への道に入られますが、その前にカメラマンに向かって笑顔の挨拶です。
後ろの女性は置屋さんでお手伝いをしておられる方です。


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本来の舞妓さんの表情になり
もう一度会釈して歌舞練場の方角に向かわれました。

2014年12月24日 (水)

宮川町で見かけた舞妓さん

 この日は偶然が重なりました。

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「あじき路地」の”まりきこ”さんを訪ねるのに折角だから、宮川町を通って行こうと
そして向こうの方から来られる舞妓さんらしい人の姿です。
最近は”舞妓体験”の人が増えていて遠くからでははっきり解りません。


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やはり舞妓さんです。


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ふっくらさんで未だ初々しさが残ります。
一応了解を得て撮りました。
普段着の芸舞妓さんは写真を撮ることを嫌がられます。
最近は特にその傾向が強いのですが・・・


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後姿を撮らせて戴いて、気分よく「あじき路地」へ向かいます。


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その帰りに宮川町を通ったら今度は帰ってこられた二人にバッタリ。
「先ほどもお会いしましたね」
「はい」とお互いに笑顔です。
やはり愛くるしいですね。


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舞妓さんの足は驚くほど早いです。
この道で出会う確率は少ないです。
数分の違いで逢えなかったと思いながら、今年はついているようです。

2014年11月 3日 (月)

京都の秋 音楽祭 「京都おもてなし音絵巻」2014

 恒例となった 京都の秋 音楽祭の1つ 「京都おもてなし音絵巻」が10月19日に京都コンサートホールで行われ、京都市交響楽団 京都市少年合唱団 京都市立芸大他のステージとは別に、エントランスや大ホールロビーで、京都を感じる複数の企業ブースが設置されました。
 又、花街舞踊 島原大夫道中/司太夫の伝統芸能なども催しされました。
当日のチケットは発売と同時に完売となり、コンサート会場へは入れませんでしたが、運よく展示されていた四季の十二単(後日紹介します)と島原の司太夫と二人の可愛い禿(かむろ)に出逢え、写真を撮らせて戴きました。


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 コンサートホールの前でお出迎えしているのは「DO YOU  KYOTO?」の可愛いマスコット”えこちゃん”です。
 ごみを減らし、小さくなったごみ袋をモチーフにして、「環境にいい取組」を表わしています。
結び目はエコを象徴する木の葉をイメージし、五重塔のシルエットで京都らしさをアピールしています。
 平成9年に国立京都国際会館で開催されたCOP3で採択された議定書にちなんで,京都から世界に向けて発信する「環境に良いことをしていますか?」という意味の合言葉です。 
 京都市では,京都議定書が発効した2005年2月16日にちなみ,毎月16日を「DO YOU KYOTO?デー」(環境に良いことをする日)としています


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他府県から来られたご贔屓さんと写真撮影です。

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室内撮影の為見難いかも知れませんが素足です(1年中素足との事)。

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髪飾りに注目しました。

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歯は鉄漿(おはぐろ)に染めています。

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可愛い禿ですが、白足袋を履いていますね。

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後姿も可愛いです。赤い鼻緒の付いた高いおこぼですが、足元が何となく落ち着かないように見えます。

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お茶屋遊びの投扇興に夢中になっていますが、「難しいわあ」でした。

先日島原を訪ねたところで太夫や禿により親しみを感じました

この日は隣の京都府立植物園でも手づくり市など、色々な催しが有り、行ったり来たりと忙しく(?)愉しませて戴きました。





2014年11月 1日 (土)

京都の和風建築を巡る 島原-3

 前回の続きです。京都の旧花街・島原の揚屋の「角屋」に長居しております。
今回は、お座敷とお庭をご紹介します。
 (2階は公開されていませんので、1階の2つのお座敷です)

 先ず「網代の間」(あじろのま)です。

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「網代の間」の床の間、1階の表座敷です。

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部屋の名前の元になっている天井の様子です。
天井板を網代組にしてあります。網の目状に組んであります。

 次は「松の間」です。1階の奥座敷で、角屋の中で最も大きな部屋です。
43畳もあるそうです。

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その床の間です。流石に床の間も立派です。
そして、部屋の名前の元は、前に拡がるお庭にありますが、その前に襖を
ご覧戴きましょう。

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「金地桐に鳳凰図」で、筆は「岸 連山」(幕末の絵師)によるものです。
この「松の間」は、大正14年(1925)に焼失し、直ぐに建て替えられたそうです。従って、この間だけが重文指定にはなっていないそうです。

 では、お庭をご覧戴きます。

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庭一杯に「臥龍松」(がりゅうしょう)がその枝を伸ばしています。
この松は2代目だそうです。初代の松も左手にあります(↓でご紹介します)
右手に見える屋根は、茶室です。左手奥にも茶室があります。

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右手の茶室ですが、その後ろにも茅葺屋根の茶室が見えます。

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初代の「臥龍松」です。横に伸びた枝が、その姿を留めています。

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「松の間」付きのお手洗いです。

 なお、2階には7つの部屋がある様です。

 最後に、「島原」の語源や花街のこと、太夫のこと、角屋のことなど、戴いた資料からご紹介します。もしご興味があればご覧ください。

○島原の語源~この地の正式名称は「西新屋敷」と言います。
  京都の花街は、豊臣秀吉の時代には、柳馬場二条に「柳町」として開設され、その後御所に近いと言うことで、六条柳町(東本願寺の北)に移転、さらに朱雀野(今の島原)に移転させられたそうです。その移転が急だったため、当時九州島原の乱に似ているとして「島原」と通称されたのが始まりとか。

○島原の接客の形~島原は、遊宴の場である「揚屋」と、揚屋に太夫や芸妓
  を派遣する「置屋」からなる分業制をとっていました。

「揚屋」は江戸吉原にもあったそうですが、宝暦年間に完全消滅し、京の島原と大坂の新町では、拡張し大型宴会場化していったそうです。

○太夫とは~島原の傾城(けいせい・遊宴のもてなしを公認された女性)の中
  でも最高位の女性。太夫は単に美しいだけではなく、茶・花・詩歌・俳諧・舞踊・文学などあらゆる教養を身につけていました。吉野太夫や八千代太夫などが有名です。

○角屋~島原が出来たのは寛永18年(1641)で、角屋は島原開設当初から
  存在する揚屋です。現在の規模になったのは、天明7年(1787)の増築後だそうです。幕末には、勤皇の志士や新撰組が出入りしていたとか。
新撰組が付けたと言う刀傷が入口の柱にありました。
 明治維新後は、大型宴会の需要がなくなるとともに、足場の悪さもあって、島原の町全体が衰微しました。それ以降は祇園が花街の主役に取って代わっていきました。 
 

2014年10月28日 (火)

京都の和風建築を巡る 島原-2

 時代祭の紹介で、すっかり遅れてしまいましたが前回の続きです。
京都は旧花街・島原の「揚屋・角屋」の中にいます。
門口前を通って、その先の通用門から入って、先に「角屋もてなしの文化美術館」内を拝見(写真は撮れません)した後は、「台所」に入りました。50畳もある大きな台所です。

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台所に入って直ぐに目に入ったのは、この竈でした。
左手には流し場が、右手には畳の広間があります。

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ふと見上げると、こんな様子でした。台所に入って直ぐに振り返った場面です。
やはり立派な造りです。

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台所の畳の広間の方です。右手の小さな囲いは「帳場」です。
お客を持成すための準備の場ですね。
お寺の庫裏と同規模の台所は、ここの重要な特徴だそうです。
左手の上に見える傘状のものは、「八方」と言う照明装置です。灯心に種油を染ませて、火を点します。広い面積に灯りが行き渡る様にするためのものです。八方を照らすから来ているのでしょう。

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帳場に座って、格子から来られたお客の顔を見て、直ちに接客の仕方を判断し、それぞれの係りに伝えるシステムです。
ですから「一限さんお断り」の理由は、そこにあると説明の方が仰っていました。

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しっかりと磨き込まれた「箱階段」です。神棚まで造り込まれています。
貫録を感じます。


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箱階段の右横には、お稲荷さんを祀った立派な神棚もありました。

 次回は、幾つかの座敷やお庭などを、ご紹介します。

2014年10月22日 (水)

京都の和風建築を巡る 島原-1

 「京の花街島原の文化とお屋敷めぐり」と言うタイトルの「京の夏の旅」(第39回)の定観バス特別コースに参加し、久し振りのお上りさん気分を満喫しました。
 コースは、JR京都駅前~島原(輪違屋・角屋)~しょうざん(峰玉亭・昼食)~
旧九条家別邸・拾翠亭~京都駅前 でした。

①島原・輪違屋(わちがいや)~元禄年間(1688~1704)の創業以来320
      
以上も営業を続けている旧花街島原に唯一残る「置屋」です。
   「置屋」と は、太夫や芸妓を抱え
ていて、客の求めに応じて「揚屋」へ出向
       き接待します。「揚屋」は後程ご紹介する「角屋」です。

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「輪違屋」の表側です。島原の町中にあります。
現在の建物は、安政4年(1857)に再建されたもので、京都市の指定文化財となっています。ここの一般公開は、10年ぶりとのこと。

見学は、1階の「主の間」と2階の「傘の間」・「紅葉の間」そして「太夫の間」。
2階は、撮影禁止でした。

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1階の「主の間」(主座敷)の目玉は、この屏風です。
新撰組の隊長・近藤 勇の書を屏風に仕立てたものです。

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「主の間」のお庭です。右手の灯篭は、マリア像を刻んだキリシタン灯篭です。
当時、ご禁制のキリシタンやマリア像などが、何故ここに置かれていたのか不思議です。

 2階の目玉は「傘の間」ですが、撮影禁止ですので、戴いたパンフレットの表紙です。

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銀紙を貼った襖の上に、和傘の紙の部分を貼り付けたものです。
右が雨傘で、左は日傘だそうです。
「高」の文字は、ここの経営者の「高橋」さんの名字です。


係りの方の丁寧な(やや長い時間)の説明と、次の「角屋」への集合時間の切迫などで、ゆっくりと出来ませんでした。
長い説明は有り難迷惑なような・・・

 説明では、「島原」の語源や太夫とは?などでした。後程ご紹介します。

②島原・角屋(すみや)~旧花街の島原開設当初から残った角屋です。
   江戸時代の饗宴・もてなしの文化の場として、揚屋建築の唯一の遺構で
   重要文化財です。

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「角屋」の外観です。
お客に呼ばれた輪違屋の太夫は、八の字歩きで太夫道中をしながら、ここまで歩いて来ていたのですね。今私達が歩くと、普通に歩いて5~10分程掛りました。太夫道中でしたら、30分以上掛ったでしょう。

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戸が閉まっていますが、門口です。お客さんは、ここから入ったでしょうが、太夫はここからではないでしょうね。
左手に見学者用の出入り口(通用門)がありますが、多分そこから入ったのではないでしょうか。広い出入口でした。
 

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 門口の中側には、こんな暖簾が掛っていました。

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 お客が出入りする正式の玄関です。履物脱ぎ石や式台が見えます。
暖簾は右手奥に掛っていました。

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 玄関の中から、見ています。左手が門口、右手は台所です。

 その台所の入口には、こんなものが置いてありました。

 

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飾りの竈と大釜です。右手を入ると台所です。

次回はここ「角屋」の、見事な台所や座敷、お庭をご紹介します。

2014年9月23日 (火)

巨大ロボ 平安神宮前に立ちはだかる

 21日はお彼岸でお墓参りに行きました。
ふと、思いついて催しの行われて平安神宮に向かいました。
 20日と21日の両日は、レッドカーペットの敷かれた平安神宮前に巨大なロボットが立ちはだかるとのことです。


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到着したのは12時を過ぎたところでしたが、既に多くの観光客が両脇に陣取っています。
 これは岡崎地域の魅力を高めるために20日から始まった「京都岡崎ハレ舞台」の趣向の一つです。

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1時丁度の開会宣言と共にトラックの荷台がゆっくりと動いて、横たわっていた全高8メートルの巨体が立ち上がると、観光客やアニメ愛好家からどよめきと拍手が起こりました。

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大きくしてみました。

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場所を変えて、平安神宮の鳥居の前から撮りました。
ロボットが小さく見えます。
 この後、真っ赤なカーペットが敷かれた神宮道をゆるキャラや子供たちが歩いたとの事です。


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居合わせた舞妓さんとお友達らしき人もロボットを撮っています。
舞妓さんは素顔だったので写真は遠慮しました。


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 京都市美術館の前でタクシーを止めて去って行かれましたが、日常的に舞妓さんと出会えるのも京都ですね。
 

ロボットは人気アニメの実写版映画「THE NEXT GENERATION バトレイバー」に登場するとのことです。
近くのみやこめっせで開かれている「京都国際マンガ・アニメフェアー2014」で紹介されていて、「京都岡崎ハレ舞台」の開幕に合わせた式典に登場しました。

2014年7月23日 (水)

京都 石畳の街を訪ねてー10 (宮川町)

 花見小路を歩いた後は、これも京都の5花街の一つ「宮川町」まで足を延ばしました。
五条の橋から川端通りを上り松原の橋へ。 松原の橋から東へ行きます。 
直ぐの南北の通りが宮川町になります。

相変わらず雨が降っています。前方から傘を差した男性数人の姿が見えます。


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祇園や先斗町に比べると目立ちませんが、夜になるとお茶屋さんの提灯に明かりが灯ってしっとりとした風情になります。

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お稽古に向かわれる芸妓さんです。
お昼すぎにこの通りを歩くと、必ずと言って良いほど舞妓さんに出会います。
ここは舞妓さんに出会える街ても有ります。
 ご存知のように、京都には、5つの花街があります。
祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町、上七軒です。 
全部で 約170軒のお茶屋さん、約60人の舞妓さん、約190人の芸妓さんがいるそうです。 
 

2014年2月28日 (金)

京都天神さん 梅花祭の日の芸・舞妓さん (1)

 菅原道真の命日の2月25日は、天神さんの縁日も賑わいますが、梅の花もちらほら咲き始め、カメラを持った人の姿も何時もの縁日より多く見られます。
 そして
『 東風吹かば匂いおこせよ梅の花
        あるじ無しとて春な忘れそ 』

と、梅を愛した道真に因んだ「梅花祭」が行なわれますが、上七軒の芸・舞妓さん総出の梅花祭野点大茶湯も行われます。
 野点には間に合いませんでしたが、タイミング良くお点前を終わった芸・舞妓さんに会えました。

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未だ野点は終わっていなかったのですが、お座敷が有るらしく一足早く出てこられた芸妓さんです。

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少し遅れてこちらも芸妓さんです。

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やはりお座敷の時間を気にしておられるらしく足早に・・・

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野点が終わって次から次へ出てこられますが、少しお疲れの様です。
こちらのお二人は舞妓さんです。
 今年の野点は春を思わせる暖かさと晴天に恵まれ、多くの方達の申し込で長い行列が出来ていたとの事です。

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芸妓さんです。

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↑と同じ方ですが、置屋のおかあはんの話に笑顔です。

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芸妓さんですが、右側の女性はお座敷で手伝いをしたり、芸妓さんたちの身の回りのお世話をされている方の様です。

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後姿も色気が有ります。

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舞妓さんですが、まだ初々しさが感じられます。

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天神さんの東門を出て、上七軒に戻られます。後ろの舞妓さんは↑の方の後姿ですが、帯を気にしておられるようです。

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最後は上七軒を歩いておられるところです。

 芸・舞妓さんにとっては、慣れて居られるとは言え、至るところにカメラマンの姿が有り、気の抜けない一日でしたでしょう。

境内で、「広島から来ました」の若い三人連れに会いましたが、
今回の京都行きは「天神さんの梅花祭に合わせて計画を立てました。
生まれて初めて芸・舞妓さんを真近で見て、お茶を戴き感動しました。」
との事でした。


 

2013年12月31日 (火)

2013年 ありがとうございました

 色々なことが有った2103年も今日で終わりです
皆さまにとってはこの1年間はどのような年だったでしょうか
私個人的にはブログを通して多くの方に出逢えて実りの多い年でした。


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年末は京都らしく五花街のひとつ上七軒の芸・舞妓さんにしめて戴きましょう。
今年一年間に上七軒でお会いしてブログで紹介しなかった方達です。


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お座敷へ向かわれるところです。
置屋のおかあはんから快く承諾して頂いて。


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芸妓さんです。
天神さんの梅花祭でお点前を披露しての帰りです。
余裕と貫禄が有ります。


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天神さんの還幸祭の時にお神輿が戻ってくるのを待っておられました。
右側は芸妓さんです。


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上七軒の盆踊りの時のスナップ写真です。

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最後は寿会が行われていた時の舞妓さんです。

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滅多に5人の舞妓さんに出逢う事は有りません。
この日はラッキーでした。


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五花街の中では上七軒の芸・舞妓さんが一番快く写真を撮らせて下さいます。

 今年も拙いブログをご覧戴いてありがとうございました。
来年もどうぞ宜しくお願いします。
 皆さまにとりまして、来る2014年がより幸せな年で有ることを願って
ブログ納めとさせて戴きます。
良いお年をお迎えください。