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京都府外

2015年3月30日 (月)

高取「町家のひなめぐり」(メイン会場)

 この「町家のひなめぐり」は今回で9回目となるそうですが、私たちは3年前に初めて行きました。
 これも町興しの一環だと思いますが、参加協力されたご家庭(商売屋さんも)は以前と同じ程度かなと思われました。
 今回は今日ご紹介するメイン会場、「京 歩き(2)」では、城下町・高取の町並、ご家庭の雛飾り(こちら)などを紹介しています。

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何体ほどの雛飾りが展示されているのでしょうか?
高取の地域の方達の協賛でしょう。

↑の雛段を分けてみました。禁フラッシュで写真は鮮明では無いです。

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立派な御殿雛です。

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人形の動きや表情にスポットを当ててみました。

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何となく楽しいですね。

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よくこれだけの人形を集められたことですね。
 「町家のひなめぐり」に対する町の方達の意気込みが感じられました。

2015年3月29日 (日)

旧・東海道の宿場町・関宿を歩く(その3)

 昨日の続きです。
「関宿」の町並みの凡そ半分位は来ましたが、未だこの辺りは「中町」かと思われます。

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「関宿」を代表する大旅籠の1つ「玉屋」です。江戸時代の建築で、「関町並み資料館」にもなっています。

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「玉屋」の入口・店の間で如何にも旅籠と言った感じです。
旅人は、ここで草鞋を脱ぎ、足を洗って上がり込み、あてがわれた部屋へと進みます。
多分お金持ちの人でないと、ここには泊まれ無かったかも知れませんね。

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地元の和菓子「関の戸」のお店です。「きゅうひ」を砂糖でまぶした和菓子です。勿論買って食べましたが甘い甘いお菓子でした。

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「高札場」の跡。後ろの建物は、「関郵便局」で、ここが「関宿」のほぼ中央との事です。

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「関地蔵院」で国指定の重文(建造物)です。
右手が街道。本堂(正面)や愛染堂(左手に)、鐘楼の3棟が指定対象です。
天平13年(741)行基の開創と伝えられています。
近郷の人々や旅人達の信仰を集め、現在でも多くの参拝客で賑わっています。
「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」と俗謡にも謡われています。

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ここも大旅籠の1つ「会津屋」です。元は「山田屋」と言ったとか。
2階の部屋の手摺に凭れ、街道を行き交う人達を眺めたりしたのでしょうか。
また手拭いなどを干したりして。

また、右隣の家の2階が「洋風意匠」の窓が付いていて、「洋館屋」と呼ばれています。古風な町並みの中で、極めて目を惹く外観でした。

 ここら辺りから、「新所」の町並みに入ります。

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説明板が見当たら無かったので、良く判らないのですが、江戸時代の関宿の特産物として「火縄」があり、この辺り「新所」を中心に数十件の火縄屋があったそうです。
火縄は、鉄砲に用いるため大名の御用があり、また道中の旅人が煙草などに使うために購入したため、大いに繁盛したようです。
私の推測ですが、このお宅は、「火縄屋」の1軒では無いかと思いました。
表側の造りが、他では見られ無かった頑丈なものになっています。

 いよいよ「西追分」まで来ました。

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県指定の史跡・西追分です。この建物は、休憩施設で「鈴鹿関跡」の調査成果がパネル展示されています。

 ここは、東海道と大和・伊賀街道の分岐点でもあります。

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旧・東海道の「西追分」付近の様子です。東から西方向を見ています。
この先は、次の宿場町「坂下宿」に至り、「鈴鹿峠」の難所に向かいます。

 約200軒ある「関宿」の町並みは、見応えがありました。
町屋は、最も古いものは18世紀中頃の建築で、明治時代中頃までのものが半数以上を占めています。殆どが「平入り」の建物でした。

 国の重要伝統的建造物群保存地区の指定にぴったりの、見応え十分の町並みでした。

2015年3月28日 (土)

旧・東海道の宿場町・関宿を歩く(その2)

前回の続きです。
 「関宿」の約3分の1まで来ました。お昼を済まして、「中町」を西に向かって歩き始めました。

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「中町」の町並みを見通しています。

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さらに西へ歩みを進めます。格子戸が美しい家々が軒を連ねています。

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「脇本陣」の「鶴屋」さんです。
「玉屋」(次回に出て来ます)「会津屋」と共に、「関宿」を代表する旅籠の一つので、江戸時代の終わりには脇本陣も務めました。
座敷の前についた千鳥破風が、その格式を示しています。

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「吉沢家」住宅です。明治・大正年間に「岩木屋」と称して、酒造業を営み
「岩泉」と言う名前のお酒を販売していたそうです。
同時に味噌や醤油も造っていたとのことです。

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「山車倉」(だしくら)です。「関の山」の語源にもなった関宿の山車は、最盛期には16基もあったそうです。互いに華美を競い、また狭い関宿を練ったことから生まれた言葉です。現在は4台の山車が残っていますが、4か所に「山車倉」があります。

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「百六里庭」の「眺関亭」からの眺めです。今まで歩いて来た道を眺めています。「百六里庭」は、関宿の町並みの中に生まれた小公園で、関宿が、江戸から百六里余りあることから名付けられました。
「眺関亭」は、物見台になっていて町並みをやや高いところから一望出来ます。

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同じ場所から、これから向かう方向を眺めています。
奥に見える大きな屋根は、「関の地蔵院」です。

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関宿には、川北本陣と伊藤本陣の2軒の本陣がありました。
本陣は、参勤交代の大名や、公家、公用の幕臣などが利用した格式の高い宿泊施設です。現在残るこの建物は、本陣の店の部分にあたります。

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「伊藤本陣」跡の近くにある「橋爪家」で、角地に建っています。
「橋爪家」は、江戸時代の初めから、両替商を営み、江戸にも出店を持つ豪商でした。街道に面して、三角形の屋根を見せるこの建物は、関宿では珍しいものです。

 ここまでで、関宿の約半分位は来たでしょうか。次回に続きます。

 

2015年3月21日 (土)

旧・東海道の宿場町・関宿を歩く(その1)

 「関宿」(せきじゅく)は、江戸時代の東海道53次の内の、江戸から数えて47番目の宿場町です。三重県亀山市にあり、電車で行く場合は、JR草津線の柘植駅で関西本線に乗り換えて「関」駅で下車します。
駅からは、歩いて約10分程です。「関宿」は、国の「重伝建群保存地区」に、昭和59年に指定されました。
 「関宿」の範囲は、東西の追分の間約1.8Kmあり、江戸時代から明治時代に建てられた古い町家が200軒余りあります。
 町並みは、3つに分かれていて、東から「木崎」 「中町」(ほぼ真ん中) 「新所」 と言います。

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「関宿」の東の入口にあたる「東の追分」で、三重県指定の史跡です。
東海道と伊勢別街道との分岐点です。
大鳥居は、伊勢神宮を遥拝するためのもので、20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮の際、内宮の宇治橋の鳥居が、ここに移されて来ます。
常夜灯や道標なども残っています。

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「木崎」の町並みです。電線は表通りには無く、裏の通りにあって、裏から表に取り込む形になっているそうです。

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「東の追分」の近くにある「岩間家」です。屋号は「白木屋」と言い、建物は200年以上経っているとか。昔は、街道で働く人足や車夫の定宿だったそうです。
格子戸に吊り下げられているのは、「絵手紙」です。これから見て行く各戸に見られます。

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この辺りの各家は、新しい様ですが、古い町並みに合わせた形で、造られています。

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「木崎」の町並みが続いています。この辺りの家々も比較的新しい感じがします。

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「浅原家」で、屋号は「江戸屋」と言いました。江戸時代は、米や材木を商っていたとのことで、「万延」の記録があるとか。「万延」とは、1860~61年です。「桜田門外の変」があった年です。この建物は、江戸期の面影を見事に留めていると言われています。虫籠窓や「ばったり」(床几)も見られます。

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「御馳走場」とあります。「御馳走場」とは、関宿に出入りする大名行列の一行を、宿役人が出迎えたり見送ったりした場所です。
関宿には4か所の「御馳走場」があったそうです。

「御馳走場」跡を少し横道を入ったところには、「大井家」があります。

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「大井家」は、代々「玄庵」と名乗る医家でした。眼科・産科・内科など専門としていた様です。明治初年には、西洋医学も取り入れ、種痘も出掛けたとのことです。

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JR関駅から、この街道に入った角にある「岩」と言う食事場です。
お昼はここで戴きました。お弁当を頼んだのですが、風呂敷に包んで出て来たので吃驚しました。
江戸時代は「岩間家」と言い、幕末に建てられ、明治・大正には料亭を営んでいたそうです。
ちょつと判り難いと思いますが、左端の庇の上に何やら物体が見えます。

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漆喰彫刻で、魔除けの虎だそうです。他にも、鯱・亀・鶴・鯉・龍などがあるそうです。

 「木崎」の町並みは、ここまでで次は「中町」の町並みを歩きます。

2015年2月25日 (水)

奈良県桜井市・長谷寺に詣でる(門前町)

 長谷寺での参詣を終えて、駅に向かって歩き始めました。
参詣道を大別しますと、仁王門に直結した道には食堂やお土産屋さんが並んでいるのに対して、道が直角に曲がって駅方向に向かう道には、蔵を伴う立派な民家が並んでいます。

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このお宅だけは、門前町から少し離れた場所にあります。
長谷寺の伽藍を、初瀬川の傍から見上げた場所にあったお宅です。
民家にしては、重厚な感じを受けました。
後からもご紹介しますが、虫籠窓がこの地域の特徴を示しています。
そして、格子戸も特徴的です。勿論蔵もあります。
古くから盛んだった「長谷寺詣で」や西国三十三所観音霊場巡拝の恩恵などが、この門前町を造り上げたのかなと思ったりしました。

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古くからのスタイルを残しつつ、建て替えられた感じがします。
上にも書きました様に、虫籠窓や格子戸が美しいです。
このお宅は、右の方に蔵が二つ、連なっています。

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この様な形です。二つの蔵に挟まれた建物は、入口などは無い様ですから、4つの建物が連続している様に思いました。

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このお宅は、進行方向(駅に向かって)の右側に建っています。随分間口が広いお宅です。左端の白く見える部分は、一部改造されているのが残念に思いましたが、住む方にとっては日々の生活上やむを得ないことなんでしょうが・・・。

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蔵の壁がユニークに思いました。上の方は何かの金属板(銅板?)が張られている様でした。模様も面白いです。

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左側に建つ旅館です。門前町に相応しい感じがしました。
きっと多くの参詣客が泊まられたことでしょう。
他にも数軒の旅館がありました。

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この門前町の中で、一番美しいと感じたお宅です。
虫籠窓と言い、格子戸と言い、出窓と言い申し分の無い美しい民家です。

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見事な格子戸のお宅です。2階の左右には、小さいながらも「うだつ」もあります。
 右や左を見ながら、門前町の各家々の素晴らしさに見惚れつつ、道は左折して、やや急な坂道を上って、長谷寺駅に到着しました。





2015年2月21日 (土)

奈良県桜井市・長谷寺に詣でる(伽藍)

 過日は、長谷寺の「寒牡丹」をご紹介しましたが、今回は長谷寺の伽藍などをご紹介します。

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長谷寺は、小初瀬山の中腹に建てられていますので、伽藍群が立体的に見られます。手前には、初瀬川が流れていて、川に架かる橋の上から、伽藍群を見ています。左手上に少し見えているのが仁王門、真ん中の上の大きな建物が本堂です。

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仁王門の前に来ました。長谷寺の総門です。現在の建物は、明治27年(1894)の再建です。

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寒牡丹でもご紹介しましたが、「登廊」(のぼりろう)と言います。
108間、399段あり、上中下の三廊に分かれています。写真は、下廊です。
風雅な長谷型灯篭が吊るされています。

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伽藍群を上から見ています。手前が「登廊」です。寒牡丹の菰の列が見えます。

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本堂の正面上部で南面しています。
本堂の前は舞台造りになっています。


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本堂を下の方から見ています。京都の清水寺程では無いですが、懸造りになっています。

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懸造りを違う位置から見ています。左手に本堂があります。

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少し離れたところには、五重塔があります。
昭和29年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、「昭和の名塔」と呼ばれているとか。
山の中腹に各伽藍が建てられていて、下りるのは長い石段ばかり。
たっぷりご利益を戴き、失礼しました。
この後は、駅までの参道の町並みを拝見しつつ、近鉄長谷寺駅に向かいましたがその様子は後日ご紹介します。

2015年2月15日 (日)

長谷寺の寒牡丹が咲きました

 久しぶりに奈良県桜井市にある長谷寺にお参りしたいと思っていたところ、ホームページで「寒牡丹が咲きました」のニュースを見て早速出かけました。
 以前から有名な寒牡丹を見たいと思っていたので、
雪避けの菰の中に咲いている花を見たいと思ってたので、タイミング良く出かけることが出来ました。

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長谷寺はこの長い祈りの回廊が有名ですが、寒牡丹は回廊の右側の外側に

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冬の日差しを受けて行儀よく並んで咲いていました。

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このように菰に守られるようにして植えられています。

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色々な花色を集めてみました。

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蕾もいくつかあり、暫く見頃が続くのでしょうね。

お寺の受付の方に「寒牡丹が綺麗でした」に「もう咲いていましたか?」の答えです。
商売気?が無いのですね。
 寒牡丹が咲き始めたことは知られて無いようで、お遍路さん(西国三十三所観音霊場の第八番札所の数組に出逢ったくらいで静かな長谷寺でした。
 そう言えば門前町にたくさんのお土産物屋や食堂が有りますが、閉まったお店も有り森閑とした門前町でした。

2014年10月19日 (日)

兵庫県篠山市探訪 (6) 武家屋敷他

昨日の続きです。 ”篠山市探訪”も愈々最後になりました。
篠山城跡」の南外濠沿いの道を歩いていますと、東外濠から見えていた「謎の民家」の前に遣って来ました。

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このお宅でした。武家屋敷ではないように思いますが・・・?。

これからは本当の「武家屋敷」が並ぶ一帯へと向かいます。

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先ず始めに目にしたのは、「小林家長屋門」です。

この門の裏手には、「お徒士町通り」があって、その中にある「安間家」です。

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ここ「安間家」は、篠山藩青山氏の家臣で、篠山藩の標準的な徒士住宅だそうです。現在は、「篠山市立安間家史料館」となっています。

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「お徒士町通り」の様子です。「お徒士衆」とは、藩主の警衛にあたる武士達のことです。「安間家」を含め、慶長14年(1609)頃に出来たそうです。

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武家屋敷の1つですが、以前はこの一帯と同じく茅葺だったのでしょう。

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こちらのお宅は、完全に茅葺の屋根ですね。

 この「お徒士町武家屋敷群」は、「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれているそうです。

この後、篠山市内の旧町並みが残る通りを少し歩きました。
 そんな中で見付けたのが、この建物でした。

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現在は、「歴史美術館」となっている「篠山地方裁判所」ですが、その玄関です。

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明治24年(1891)に建てられ、昭和56年(1981)まで、地方裁判所として使用されていました。我が国で最も古い木造の裁判所の建物だそうです。
 
以上の他にも、篠山市内は古い建物などが残され、今も利用されているところが多くあるようでした。また時間があれば来てみたいと思っています。

2014年10月18日 (土)

兵庫県篠山市探訪 (5) 篠山城跡

 重伝建群の「河原町」の中にある「栄亀堂」で、お昼を済ませてから、「篠山城跡」に向かいました。「河原町」から西へ、歩いて約20分位のところです。

 この「篠山城」は、徳川幕府が西国大名の監視のために置かれた城で、築城の第一人者・藤堂高虎の縄張り(設計)で行われた平山城です。
 方形が約400mと小規模のお城で、別名「桐ケ城」とも呼ばれているそうです。維新後に城は取り壊されましたが、現在は「大書院」が復元されており、石垣などの城郭遺構はほぼ昔のままの姿を留めています。
 なお、城主は譜代大名の「青山家」で最終では、6万石でした。

 「河原町」の入口から、「篠山城跡」に向かうには西に歩きます。
 そして、行き着くところは、城の南東角にある大きな外濠に出会います。

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「南外濠」です。右寄りに石垣の一部が見えます。

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「南外濠」の南側には、このような建物が見られました。
略地図を見ると、「武家屋敷」とは書いてないので、古民家のようです。それも豪農クラスのものではないかと、想像します。

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「東外濠」から「北外濠」に回って来ました。
豪壮さは感じませんが、整った美しさを感じました。

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城跡の入口に立てられていた案内板を撮りました。
右下の「2」の数字の所から、城内に入ります。
右下・左下・右上の3カ所の出っ張りを「馬出し」と言い、軍勢を整える場所です。全国的にも、残っているのは、ここだけだそうです。
「10」が「大書院」(後でご紹介します)です。

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「篠山城跡」内に入る入口です。上の図面の「2」の場所です。

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ここは所謂「本丸」に当たるところです。隅櫓はあったようですが、天守閣は無かったようです。それに相当するのが、向こうに見える「大書院」です。大規模な木造平屋建築で、昭和19年に焼失しましたが、半世紀ぶりに復元されました。一大名の書院としては、破格とも言える規模です。

 この後は、城跡の外周にある「武家屋敷」跡を見に行きました。

2014年10月13日 (月)

兵庫県篠山市探訪 (4) 「栄亀堂」

 前回の続きです。
篠山河原町を散策していて、お店の佇まいに思わず暖簾を潜って入った町屋カフェ 栄亀堂(えいきどう)です。
 ランチには早かったのですか、声を掛けさせて戴いたら「どうぞ どうぞ」。

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江戸時代の建物で、以前は和菓子屋さんだったとの事ですが、
開店して間もない若いご夫婦の初々しい素朴な対応が印象的です。


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店内からガラス越しに外を見ています。


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町家特有のウナギの寝床です。
突き当りの中庭を挟んで奥にも部屋が有ります。


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この日戴いた色々な豆を使った身体に優しい、1日限定10食のランチです。

ほっこりとしたスローな時間を楽しみ江戸時代にタイムスリップ
身体も心もニッコリのランチタイムでした。

 

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