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2015年2月 6日 (金)

京都・大枝山周辺の遺跡を巡る

 
 京都市西京区の桂地区にある「大枝山」(おおえやま)周辺の遺跡を、「渡来文化」を調査・研究または関心のあるグルーブの皆さんと、巡って歩きました。
 ご案内戴いた方は、この遺跡の発掘・調査された研究者の方でした。多くの専門的なお話が聴けて、大変勉強になりました。

 先ず出発は、市バスの「桂坂中央」停留所でした。歩いて約10分程のところにある「大枝山古墳群」を見学しました。
 ここには、多くの「円墳」があり、その中の1つが移築されています。「横穴式石室」を持った古墳です。古墳の中にも入ることが出来ました。

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ここに移築された「14号墳」です。大枝山古墳群の中でも、残存状態が良かったそうです。忠実に石の1個1個を元通りに移して築かれた様です。
大きさも、古墳群の中でも大きい方だとか。
また、元あった位置が他の古墳とは少し離れた場所にもあったそうです。
この古墳群は、「秦氏」のものと考えられていますが、この14号墳は首長クラスのものではないかとのことでした。

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古墳の入口です。人が立って入れます。中は結構広かったです。
石棺が置かれていたであろう「玄室」の横幅は、3.2mもあります。

次に、古墳群のある場所に移動しました。

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15号墳の前です。説明されている方が、ここの発掘・調査をされた方です。
先の14号墳と向き合った場所です。大きさは、14号墳と変わらない大きさだとか。

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中の様子です。「玄室」=石棺が置かれていた場所にいます。
上は天井石、奥は奥壁などと呼ぶそうです。
ここも玄室の幅は 3.2mです。
石室内からは、土器類や鉄製品などが出土しています。

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15号墳の向いにある「16号墳」です。綺麗な土饅頭形をした円墳です。
右の方に進むと、ここの古墳群が全部見ることが出来ます。
ここには全部で 14基の円墳があります。
この一帯は、「桂坂古墳の森保存会」が、管理されています。
一帯は金網で囲まれていて、通常は閉門されています。春と秋の年2回、一般に公開されます。

古墳は、6世紀後半~7世紀初頭の古墳時代に築造されました。
発掘調査は、昭和55年~62年にかけて、3度行われました。

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古墳群の一部を上の道から眺めたところです。
右下も、向こう側も、左手も、全て古墳です。右にも、左にも古墳が拡がっています。谷間の斜面に拡がった形になっています。



古墳群から離れて、次の遺跡へ行きました。

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この辺りの産土神の「大枝神社」の境内にも、古墳がありました。
形が崩れていますが、円墳の様です。天井石の一部が露出していました。

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旧山陰道から急傾斜を上がったところには、「桓武天皇御母 高野新笠」の御陵がありました。桓武天皇の父・光仁天皇の夫人で、百済系の渡来系の方です。長岡京で崩御され、京の北方のこの地に葬られたとのことです。

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ここは、「大枝の関」跡です。上の祠は「関所の神」を祀ったものだそうです。
手前には、山陰道が通っています。

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山陰道の現在です。西から東を見ています。右手のお宅では「大枝の柿」を売っていましたので、買って帰りました。
右手の上には、国道9号線が通っています。両側から山が迫っているこの辺りには、丹波への道が集中しています。昔から日本海側に抜ける大切な個所でした。
最後に、ご案内戴いた方の意見として、明智光秀が「敵は本能寺にあり」と決断したのは、多分この辺りだろうと仰いました。中国へ羽柴秀吉を助けに行く道はここから右に向かわねばならない。ここから先に直進したら、京都市内に行くことが明確になってしまうからだそうです。

ご訪問ありがとうございます。
本日もコメント欄を閉じさせて戴きます。

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