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« 中国山地の町・備中高梁市へ(その3)吹屋地区-1 | トップページ | 京都・嵯峨野・広沢池の冬景色 »

2015年1月23日 (金)

中国山地の町・備中高梁市へ(その4)吹屋地区-2

 いよいよ「重伝建地区・吹屋地区のべんがらの町」を、町並みの奥から歩き始めました。

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町並みの奥のスタート地点から、町並みを見通しています。
右側の手前は、「旧片山家住宅」で、公開されています。
左側の2軒先は、「郷土館」で、こちらも公開されています。
どちらも見学させて戴きました。

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反対から見た景観です。1枚目の写真は、突き当りの場所から、こちらに向かって撮ったものです。左側が「旧片山家」です。突き当りから先(右手)にも、町並みは少し続いています。

 先ず、見学の始めは「旧片山家」からです。国の重要文化財に指定されています。この地区の中核的な建物として、保存修理をして公開されています。

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片山家は、江戸時代中期に、早くから弁柄の製造を手掛け、「胡屋」(えびすや)の窯元として、弁柄仲間の株を永く保有し、広兼家などと共に苗字帯刀を許されるまでになりました。↑は、主屋の内部です。

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2階に上がって見ますと、手前が「後継者居室」と、左手奥には「主人寝室」がありました。

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主屋の奥には、工場がありました。
ここは、「弁柄蔵」と言い、内部は展示室になっています。

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これが弁柄です。右手が完成品です。要は硫酸鉄の赤い粉です。

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製造工程の最後の計量から封印までです。
人の姿があって、一瞬ぎょっとしましたが・・・。

 次に、向い側にある「郷土館」を見学しました。

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「郷土館」の外観です。こちらは片山家の分家の様です。
明治12年3月に完成したものです。
間口 5間、奥行 16間の中級の商家の定形だそうです。

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入口には受付があって、おばさんが座っておられました。
ブログのことを話しますと、「沢山の方が、もっと来て貰える様に言うてくださいね」と仰っていました。

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母屋の奥座敷です。内装は生漆と弁柄で塗り上げ、それぞれに飾り金具を用いた仕上げになっています。
向こうに見えるのは、母屋の採光のために造られた中庭です。

この家の特徴は、木組みに巨材を使い、細部は巧緻に造られていることだそうです。

 両片山家の見学を終えて、町中を歩きました。次回にご紹介します。

 ここで、弁柄(べんがら)について、資料から。
宝永4年(1707)に始まったとされる吹屋地区の弁柄生産は、宝暦11年(1761)頃に緑礬(りょくばん)を原料とする製法が確立されて本格化しました。
弁柄は、建材や家具の塗料、陶磁器や漆器の顔料として、国内に広く流通しました。
しかし、昭和26年に緑礬の生産が途絶えると、弁柄の製造は次第に衰退します。その後も合成された硫酸鉄を原料として生産は続けられましたが、昭和46年になって順次廃業が始まり、遂に260年余りに亘った吹屋の弁柄生産は、その幕を閉じました。





















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旅行」カテゴリの記事

コメント

 お早うございます
まるで今の時代とは思えない
明治時代にタイムスリップしたような町並み
今でもこうして残されている事に驚きと
感動そして感謝です
弁柄で栄えていた頃の町並みがそのまま残されているように感じました
国の重要文化財に指定されている片山家と郷土館になっている分家の立派な事
確かに受付のおばさんの言われることが良く解りますね
こんなに魅力的な町なのに人の姿の無いのは不思議です
 今もし緑礬の生産が途絶えていなくて
弁柄が製造されていたら
この町は今も繁栄していたのでしょうね
それとも時代は弁柄に変わるものを要求し実際に生まれているのですね

古都人さん
お早うございます
ここが260年にも亘って「べんがら」の生産のとして繁栄した弁柄の町並みなのですね
一軒一軒の家も広くて立派ですが
国の重要文化財に指定されている
旧片山家の立派なこと
当時の弁柄がここ吹屋地区にとって如何に重要な産業であったか解りますね
弁柄が壁に塗られている家は京都でも有りますが弁柄は初めて見ました
赤い粉なのですね
 この町並は重要伝統的建造物に指定されているのにどうして人の姿が少ないのか?
不思議ですし勿体ないですね
郷土館の方の言葉「沢山の方がもっと来て貰えるように・・・」
古都人さんのブログをご覧になられた方がこの町に足を運ばれたら好いですね
私も感動している一人ですが・・・・

古都人さん
 お早うございます
素晴らしいですね
ここが「べんがら」の町なのですね
この町並みは重要伝統的建造物に相応しいですね
このような町並みが今もこうして残っている事に感動を覚えます
窯元として栄え苗字帯刀を許された片山家建物の内部、工場の板壁でしょうか?
そして片山家の分家にも
当時の裕福な暮らしが伺えますね
 そんな弁柄も昭和46年から廃業が始まりその幕を閉じたのですね
時代の変化は特に製造業に影響を与えるように思います。

古都人さん
おはようございます。
弁柄製造の町なんですね、立派なお宅ですね。
重要伝統的建造物が立ち並ぶ風景は見事ですわぁ。
街並みを見に行ってもがっかりする
所がおおいなかでこちらは電柱もなくて
良く保存されていますねぇ~
大切に守られているのがわかりますね。
裕福なお家の良さが出ていますねぇ。
素敵な町をご紹介下さってありがとうございます。
古都人さん、物忘れ同じようでほっと
しましたわ、うふふ

植村さんへ
お早うございます
そうですね 結果としては「重伝建群保存地区」の指定を
受けられたのが良かったのではないかと思いますね
「べんがら」の最盛期には兎に角儲けて立派な家を
どんどんと建てられていたのでしょう
相当儲かっていたのでしょうね
今は新建材などが出回り「べんがら」を使う家は
限られたものになっていることでしょうね
例えば料理屋とか粋が売りの旅館などではないでしょうか

taekoさんへ
お早うございます
そうですね 私は京都新聞の記事で初めて知ったのですが
やはり余り広く知られていないことと中国山地の山間の町で
不便です
京都からですと岡山~高梁~吹屋となりますが
高梁~吹屋間がバスしかなく便も少なく行き難いところです
バスは約40分も掛ります
PRも余りされていないかと思います
行く人が極めて少ないのでしょうね

ムームーさんへ
お早うございます
そうですね 今となってはこんな町並みが残っているなんて
奇跡かも知れませんね
「重伝建保存地区」の指定を受けしっかりと残して行こうと言う
住民や町の気持ちが良く伝わりました
しかしこれからどの様にして保存されて行かれるのか
厳しい部分もあるかと思います
何か新しい町起しが必要でしょうね
そうですね 物忘れ 益々酷くなりそうな気配です

古都人さん   こんにちわ~

行かれて良かったでしょうね。
ことに青空でお天気も良くて素晴らしいですね。

ゆっくり遊んでみたいです。
建物だけでなくこのあたりの雰囲気がやはり行って
みたくなるものですね。

少し暖かくなったらそうだんして是非行ってみたいです。

hirugaoさんへ
こんばんわ
そうですね 大変不便なところですが見る価値は十分にあるかと
思いますね
そうですね この旅の3日間はお天気は良かったです
折角の旅が雨降りなどでは旅の楽しさが半減して仕舞いますものね
折角行かれるのなら「備中松山城」にもどうぞ

こんばんは happy01
日本にはこのような街並み、どれほど残っているのでしょうね。
少ないようで、あちこちにあるような・・・。
お写真を拝見しますと、これほど魅力的な街並みにもかかわらず、人の姿が全くありませんね。
特に観光化されてはいないのでしょうか?
それはそれで良いと思うのですが、それにしてもちょっと寂しいような気が・・・(-_-)ウーン
「弁柄」昔はしばしば聞く言葉でしたが、すっかり忘れてしまいました。
江戸時代から隆盛を極めた産業が昭和でその幕を閉じていたのは、とても残念な気がします。

古都人さん、こんばんは~♪
ベンガラに彩られた見事な町並み、素晴らしいですね。
まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようです。
どの家も立派で、当時の繁栄ぶりが窺い知れます。
片山家は当地を代表する商家で、苗字帯刀を許される
までになった家柄なのですね。
ベンガラは硫酸鉄の赤い粉なのですね。
これを瓦や塗料に混ぜて綺麗な赤い色を出して
いたのですね。防腐効果もあったのでしょうね。
郷土館は片山家の分家だそうですが、
これを拝見しただけでも片山家の凄さがわかります。
ベンガラについても詳しい説明でよくわかりました。
もう少し近かったら訪ねてみたい観光地でした。
素敵な御紹介ありがとうございました。

慕辺未行さんへ
お早うございます
そうですね この様な町並みを探す切り口は
「重伝建」保存地区の指定ですね
既に指定されている地区は100か所近くあったと
思います 京都市内だけでも4地区あります
商家・漁業・城下町など区分されています
やはり余り知られていないものと思いますし
場所は大変不便なところです
やはり時代の変化でしょう べんがらを使う建築が
減っているからでしょうね

hiroさんへ
お早うございます
そうですね 一時期は「べんがら」で繁栄した町ですね
かなり儲かっていたことがこの町並みからも判ります
しかし近年の建築方法が変化し需要が大幅に減って
仕舞ったのでしょう
そうですね 江戸時代にタイムスリップした感じですね
そしてこの場所が大変不便なところですから
この町並みが保存されたとも言えますね

古都人さん  こんにちは
「べんがら」は耳した事はあっても
詳しい知識は全くありませんでした。
重伝建地区・吹屋地区の「べんがらの町」
繁栄した当時の息衝きを今も感じる
美しい町並みだなぁ~思いながら拝見しています。
260年余り繁栄したべんがら
家並みを見ても当時の活気が窺い知れます。
江戸時代、苗字帯刀を許された家柄
邸宅の外観も立派で素晴らしいですが、巨材や
内装の拘りが富を築いた邸宅として
興味深く思います。

敷地2581平方mは想像も付きませんが、
広兼邸の素晴らしい事、
溢れるほどの巨大な富が有ったのでしょうね。
まさに「べんがらお大尽」ですね。
旧吹屋小学校、高梁基督教会堂、頼久寺、
旧武家屋敷など何処も興味深く
直に目に触れ感動を味わってみたい思いました。
いつも素晴らしい旅にお出かけですね。
多くの方に知ってほしい素晴らしい日本の町並みですが、
でも観光客で騒がしくない素敵な場所であって欲しいです。

こんにちは
京都で弁柄の壁を見て
あまりの色っぽさに見とれたことがあります。
神奈川あたりでは見た記憶がないので
京都特有のものかと思っていました。

こうやって拝見すると
アーチ型の天井や、鴨居などに
作った職人の技が息づいています。
実に素敵です。
こんなに広くては、冬は寒いだろうなと思うところが凡人ですね。

このブログを見て訪れる方もいることでしょう。
私も深く興味を持ちました。

すみれさんへ
こんにちわ
そうですね 今回の旅は「備中松山城」が第1の目的だったのですが
中国山地の中の町・備中高梁市がこんなに多くの感動を戴ける町とは
初めは思ってもいませんでした
特に「重伝建」保存地区の吹屋地区は想像以上の景観でした
流石「重伝建」の指定に値する町並みでした
「べんがら」が齎す莫大な富がこんなに素晴らしい町並みを
生んだのだと思うと その後の衰退が信じられない想いです
これも時代の変遷なんでしょうか

まさみさんへ
こんにちわ
そうですね この町は「べんがら」の生産地ですから
今で言う「地産地消」で色んなところに「べんがら」を
使って家々が建てられたのでしょう
そして京都などの都市では料理屋とか旅館とか
建物を特徴付けるのに使われていますね
一昔の田舎での建物には多く「べんがら」は使われて
いました 
そうでしょうね 中国山地の山間部ですからきっと寒いことでしょう
最近は余り雪は積もらないとか仰っていましたが・・・
そうですね 一人でも多くの方が訪れて戴ければ
私も嬉しいです
受付のおばさんの希望が少しでも叶うことを願います

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