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2014年12月 1日 (月)

京都・西賀茂を歩く-3 2社寺

 
 京都・西賀茂を歩きました。
賀茂川に設けられた「柊野堰堤」、山の麓に抱かれた禅寺「正伝寺」に続き、2つの社寺を訪れました。「大将軍神社」と「神光院」の2社寺です。

 先ず、「大将軍神社」から。

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正面入口の鳥居です。昔の田舎の鎮守社の雰囲気です。
創建の由来については、後程に。

鳥居をくぐつて境内に入ります。

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境内に入って先ず目に入るのは、この建物です。神社に不似合な感じの建物です。何処かの民家を移築したのかと思う建物です。

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中はこんな風になっています。待合室風です。
氏子の皆様が、ここに集まって神事の相談などをされるのでしょうか。
普通は本殿前には、拝殿とか舞殿などがありますが、ここは違う様です。

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本殿は、この様に覆屋に覆われています。京都市指定文化財です。

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ご本殿の様子です。上賀茂神社との所縁があるようです。

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境内には多くの境内末社がお祀りされています。
東側に4社、西側に5社 あります。こちらは、西側で 愛宕・松尾・八幡・春日・山王の神々です。東側は、片岡・貴船・稲荷・角の各社です。

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神社の横側から見た鎮守の森です。

「大将軍神社」の由緒について

 推古天皇17年(約1300年前)、この地にあった瓦窯で働いていた人々の瓦屋守の鎮守社として建立されたと伝えられ、桓武天皇の平安遷都に際して、都の四囲に大将軍神社を祀った時の北方の守護神とされたとも伝えられています。その後は今日までこの土地の氏神様として鎮座しておられます。

 ご祭神は、主祭神として磐長姫命で、そのご家族5柱の神も祀られています。寿命長寿の神であり、方除の神でもあります。

 紫野の今宮神社の「やすらい祭」には、ここで神事を行った後、今宮神社に向かうならわしがあるそうです。

  次は、「神光院」(じんこういん)です。

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もとは上賀茂神社の境内にあったそうでが、建保5年(1217)にこの地に移されたそうです。
本堂に安置されている弘法大師像は、「厄除大師」として崇敬されています。

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弘法大師像は、ここにお祀りされています。

丁度ここを訪れた時に撮影が行われていて、聞けばNHKの木曜時代劇「ぼんくら」の撮影だとか、スタッフの方が仰っていました。撮影が終わって子役などがぞろぞろと出て来ました。

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境内には「連月尼旧栖之茶所」の石碑が建ち、その背後には平屋建ての小さな建物があります。
「太田垣連月」は、夫や子供を亡くした後、世をはかなんで出家し、市内各所を30数回も転住し、慶応2年(1866)76歳の秋に、ここに住んだそうです。
ここで10年を過ごし、明治8年(1875)11月10日に、

 願わくは のちの蓮(はちす)の花の上(へ)に
 曇らぬ 月を見るよしもがな

と辞世の歌を詠み、波乱に富んだ85歳の生涯を閉じました。
 市内を転々としていた時に作った茶碗や急須は、「蓮月焼」と称して、世にもてはやされたとか。

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毎年、時代祭には「江戸時代婦人列」の一員として、登場しています。

ご訪問ありがとうございます
本日留守にしていますのでコメント欄は閉じさせて戴きます。













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