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2014年9月15日 (月)

京都の魅惑的な地名を訪ねて(1)名古曾町

 新しいシリーズを始めます。
動機は、私の生涯学習の1つの場所「京都アスニー」で拝聴した、歴史作家の高野 澄(きよし)さんの講演「京都 魅惑の町名」を実地に検証をしようと言うものです。
 先ず始めは、「名古曾町」(なこそちょう)です。この言葉を聞いただけでピンと来た方は、歴史の造詣が深い方でしょう。

 「名古曾町」とは、大覚寺の大沢池の北の一角にある「名古曾の滝」から付けられた町名です。

 では、大覚寺の境内の「大沢池」から、ご紹介しましょう。

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大沢池を西側から見ています。夏の初めに見た時には少ししか無かった蓮が、吃驚する程池面に広がっていました。少し蓮の花も咲き残っていました。
来年は期待出来そうです。「名古曾の滝」は左手奥にあります。
池の周辺では、9月15日の名月鑑賞会の準備が始まっていました。
ここへ来たのは、9月2日でした。
 

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 池の北側の道を行くと、こんな案内板がありました。
右手の「放生池」でも、蓮の花が見られます。こちらは白い花でした。
「名古曾の滝」の前に来ました。 

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 滝の址ですが、ただ石が重なってるだけです。

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 滝の址らしい感じが見られ無いものかと思って、うんと近付いて見ました。
全く水は流れていないので、判り難いかと思いますが、雰囲気だけでも感じて戴ければ思います。

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滝から流れ出た水は、大沢池(前方に見えます)に流れ込む様になっています。見えている水は、滝からのものではありません。

 この一帯は、嵯峨天皇の離宮(810年)の「嵯峨院」の庭園があつたところで、「名古曾の滝」は庭園内の建物「中御所」の西南隅にあったとのことです。
 大覚寺は、876年に創建されています。

 この滝に因む有名な歌があります。歌を詠んだのは、「小倉百人一首」で有名な大納言・藤原公任(ふじわらのきんとう・966~1041年の人)です。
三十六歌仙の一人でもあります。

 滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なお聞こえけれ

 さて、「名古曾町」ですが、地域の詳細地図によりますと、大沢池の北側の一部を南端に、滝址も含め北に拡がっています。そして、現在の大覚寺の境内を越えて、その北側には凡そ50戸近くの住宅が建ち並んでいます。町の真ん中には、府道大覚寺平岡線(136号)が通っています。約200m四方の、そんなに大きな町ではありません。町中には、田んぼもありました。

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 町中で唯一あった町名表示板でした。かなり朽ち果てています。

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 こんな石碑も立っていました。「嵯峨院」の庭園内の一区画に「中御所」はあった様です。その西南隅に「名古曾の滝」がありました。この石碑は、滝址の近くに立っています。勿論今は境内の外になりますが。

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 名古曾町の真ん中を通る「府道136号」です。
左側が大覚寺の境内(ですが名古曾町の一部です)、右側が名古曾町の町並みです。上の石碑は、右手前のお宅の角に立っています。

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址は、この竹藪の左手奥位にあります。

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 町の北部の様子です。こんな田んぼもありました。

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 町の北側の一角には、「大覚寺宮墓地」がありました。
大覚寺は、宮門跡の寺院でしたから、この様な立派なお墓があるのでしょう。

 これからも、京都の魅惑的な地名の原点や現状を訪ねて歩きたいと思っております。

 次回は、「歌の中山町」を予定しています。

 

 

 

 

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地域 歴史」カテゴリの記事

コメント

 お早うございます
古都人さんは何にでも興味をお持ちの勉強家だとは思っていましたが、
ロマンチックな一面も持ち合わせておられますね
講演を聞かれて興味を持ち現地に赴く。

詳しい説明と写真を拝見して「名古曾町」の町名は深い歴史に関係した町だと言う事が良く解りました
そう思って見る為か町の佇まいも他の場所とは少し違うような気もします。
”滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なお聞こえけれ”
は知っていましたがこの名古曾の滝に因む歌だったのですね
大覚寺の立派なお墓が有るのも頷けます

1200年の歴史が有る京都
至る所に長い歴史の一端を知ることが出来、今も息づいていることに感動しました。
観光都市京都ですが、古都人さんのような目で目的を持ってルーツを訪ねるのも意味が有りますね
ご紹介ありがとうございます
学びながら、興味深く拝見しました
魅惑的な町名、これからのご紹介も愉しみです

古都人さん
おはようございます
やっぱり古都人さんですね
京都アスニーで聞かれた講義を実地検証
私も偶に金曜日のゴールデンエイジの講演など聞くことは有ってもその場限りです

「名古曾の滝」は大沢池に行った時に中を覗いてみましたが、水が流れていないのを残念に思いました
唯、石が重なっているそんな事を思っていました
 ご紹介の歌は有名で知っていましたが
藤原公任の事は知らなく「名古曾の滝」に因む歌とは知りませんでした。
勿論「名古曾町」が実在していることも
やはり大覚寺の雰囲気を壊さない静かな佇まいですね

今朝は読み返して学ばせて戴きました
これからは日中も涼しくなるでしょう
是非機会を作って改めて「名古曾の滝」をそして「名古曾町」を探してみます
ご紹介ありがとうございます

古都人さん
 お早うございます
京都アスニーの公開講座には出席していますが、そして内容に興味を持つことも有りますが
今まで一度もその地に赴いたことは有りません。
流石は古都人さんですね
写真を拝見しながら説明を読ませて戴いて私なりに改めて興味を抱きました
長い歴史の京都ならこそでしょうか?
至る所にその名残を留めているのですね
今年も桜の季節に大沢池へ行きましたが
名古曾の滝は水が枯れていることを知っていましたので近寄ることもなく
説明板が立っていたと思いますが通り過ぎていました
勿体ない事をしたと改めて思います
次回は名古曾の滝は勿論ですが
石碑、竹藪や田圃も有る名古曾町を探して歩いてみたいと思います
歴史の一端に触れることが出来ますね
ご紹介ありがとうございます

古都人さんのお勉強ぶりを拝見した感じの
記事となりましたね。
そこを訪れるというのはまた何ともいいものですね。

京都の古い歴史の中での地名これからも楽しみにしています。

hirugaoはその地名が小説などに出てくるのを
反対に出かけてみてきました。

古都人さん
おはようございます。
私も大好きな嵯峨野あたり、大覚寺は以前は
良く行きました、こうしてご紹介いただくと
歴史がよくわかりますわぁ。
「名古曾町」素敵な佇まいですね、その昔
嵯峨天皇がお住まいになった名残が
そこかしこにあって何と素晴らしいことでしょうかぁ。
やっぱり京都は長い歴史に彩られた
素敵な街ですね、いつも知らないことを
学ばせて貰えて嬉しいですわぁ。
ありがとうございます。

植村さんへ
こんにちわ
そうですね 何故? どうして? が私の悪い癖なんです
物事の裏や底にあるものが知りたくなるのです
要は興味の連鎖でしょうか
百聞は一見に如かず もありますしね
困ったもんです
これからもその精神で遣って行きたいと思っております
京都はその点 ネタに困らない所だと思いますね

taekoさんへ
こんにちわ
色々と良くご存じですね
何時頃にこの町名が付けられたのか知りたくて
色々調べて見たのですが今の所不明です
滝は古いのですが町名は未だ新しいのではないかと
想像します
嵯峨野のPRにちゃっかり「名古曾の滝」を拝借された
のではないでしょうか
「名古曾の滝」は知る人ぞ知る程度の知名度ですものね

hirugaoさんへ
こんにちわ
そうですね 地名と言うのは何処でも何かの謂われや
故事見たいなことから付けられていると思います
特に京都は1200年の歴史の過程で興味ある地名が
多い都市・街だろうと思っています
私独自でも発掘出来ればと思っております

ムームーさんへ
こんにちわ
そうですね 嵯峨天皇は崩御されてからの贈名ですが
生前から嵯峨がお好きだったのでしょう
生前の御所がお寺・大覚寺になり
大沢池近くに別荘があって庭園を造られ
名古曾の滝もその一角にあったとのことですから
どっぷりと嵯峨の地を愛されたのでしょう
ですから亡くなられてから「嵯峨天皇」と付けられたのでしょうね
生前から「嵯峨天皇」ではないですからね

こんばんは
「名古曾の滝」は何度も目にしていますが
興味を持たずに見過ごしていました。
ダメですね~
古都人さんの探究心を見習います。
町もぼんやりとただ通り過ぎるだけで
町名すら気にしませんでした。

嵯峨天皇がどのような思いで
このあたりの景色を眺めておられたのかと思うと
なんだか不思議な感覚にとらわれます。
お山の形はその頃とあまり変わらないのでしょうね。
早く京都に行きたいです。
10月が待ち遠しいです。

まさみさんへ
こんばんわ
嵯峨と言う地名は一説に依りますと唐の都・長安の近くにある
景勝地だとか 嵯峨天皇がその地の名前をここ嵯峨の地に
付けられたとか 嵯峨天皇は生前この地を凄く愛されていた様です
ですから崩御された後の贈名に嵯峨の文字が付けられたと
言われています
地名も奥が深いものですね

こんばんは happy01
古都人様の向学心と好奇心、もうただただ脱帽です。(=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ
今回訪れました名古曾町、もちろん私は初めて聞く町ですが、いつも歩かれる散歩コースの近くなのですね。
以前はそこに滝があったとのことですが、百人一首のころにはもうすでに無くなっていたようですね。
滝が無くなって少なくとも1000年ほどは経つ、ということでしょうか?!
名古曾町の町並み、大覚寺の深い樹々に守られて、夏でも涼しそうに見えます。

昔からの町の名前、どんどん無くなっていくように感じます。
こちら名古屋市内も新しい地名表示が幅を利かせ、昔ながらの町の名前が次々と忘れ去られていきます。
交差点の地名表示に昔の地名がそのまま残っているぐらいでしょう。

古都人さん、こんばんは~♪
皆さんがおっしゃっていますが、古都人さんは
本当に好奇心が強く、勉強家でいらっしゃいますね。
私も見習わなくてはと思います。
「名古曾の滝」は絶えてしまいましたが、
「名古曾町」という地名を残し、その土地の
歴史まで窺い知ることが出来ますね。
京都には他にも興味深い地名が多いのでしょうね。
これからの御紹介も楽しみです。

慕辺未行さんへ
お早うございます
そうですね 好奇心ですね その訳やその裏側に興味を
持って仕舞うのです 困ったものです
そうですね 昔の地名がどんどんと無くなっていますね
数字ばかりで表示する地名は味気ないですものね
行政の横暴と言えますね
滋賀県大津市では旧地名を併記していますが
それならば旧地名で遣れば良いのにと思いつつ
横目で見ています
京都市内の場合は中心部分では平安京の縦と横の通りの
交点からの上り・下り・東入り・西入りと独自の町名の2本立てに
なっています
従って電話番号帳が分厚くなっています

hiroさんへ
お早うございます
そうですね 京都市内の地名には歴史を感じさせる
地名が多いですね
今回の場合は有名な「名古曾の滝」の名前をちっかりと
拝借した命名ではないかと想像しています
調べてみたのですが地名の歴史は今のところ不明です
次回にご紹介予定の「歌の中山町」はもう少し由来が
はっきりしている様に思いました

古い町の名前をたどりながらの待ち歩き、
とても興味があります。
古都京都ならではの楽しみ方ですね。
名古曾の滝、水が流れていたらどんなに素敵だったでしょうか。

次の「歌の中山町」の「歌」とは?
楽しみです。

古都人さん  こんばんは
京都アスニーでの講演拝聴も
素晴らしい学びの姿勢だと感心していますが、
それを赴き実地検証される古都人さんは、
素晴らしい探究心が有り勉強家だと私も思います。
きっと魅力的な素晴らしい
講演だったのでしょうね。
古い歴史ある「名古曾町」は、初めて知りました。
今も歴史が息衝いている静かな佇まいの
町並みに素晴らしさを感じています。
嵯峨天皇の離宮「嵯峨院」の庭園が興味深いです。
歌は知っていましたが、名古曾の滝との
関わりも知らずにいました。
滝の流れは途絶えていても、お写真から
雰囲気は窺えますね。
出かけたら立ち寄ってみたいと思います。
違った目線の京都、次回のご紹介も楽しみです。

やっこさんへ
お早うございます
そうですね 京都は永く都があったために
その名残の町名が多くありますね
秀吉の聚楽第の周辺にも当時の武将の屋敷跡に
付けられた町名 例えば「如水町」 黒田官兵衛の屋敷跡
などもあります
伏見の町にも同じく武将の名前の町名が沢山あります
この新シリーズもネタは豊富です

すみれさんへ
お早うございます
いえいえそんな立派なものではないのですが
好奇心が強いのでしょう 何故?とか何か裏が?とか
そんな他愛のないことが出発点なんです
もっと奥が知りたい そんなことです
京都には歴史に裏打ちされた町名が多くあります
これからも時々そんなところを探して歩きたいと
思っています 一石二鳥を狙って・・・

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