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2014年8月24日 (日)

京都東南部の名刹を訪ねて-2  醍醐寺

 「隨心院」(山科区)から、伏見区に入りました。「醍醐寺」に向かう途中、2つの御陵と1つの神社を訪れました。

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第60代・醍醐天皇の御陵「醍醐天皇陵・後山科陵」(のちのやましなのみささぎ)です。
父・宇多天皇から譲位されて、13歳で即位され、46歳で崩御される直前までの、当時の天皇としては非常に長い在位34年を数えます。
在位中は、穏便で政治面では善政の時代とされています。
もう1つの御陵は、醍醐天皇の子・「朱雀天皇陵・醍醐陵」(だいごのみささぎ)でしたが、上と同じ様な感じでしたので、写真は掲載しません。

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神社と言うのは、ここ「長尾天満宮」です。石段に恐れをなして、ここからの参拝とさせて戴きました。
ご祭神は、菅原道真・大己貴命(おおなむちのみこと)・スサノオノミコトです。
天慶3年(940)、醍醐天皇が道真の怨霊を慰めるために、この地に勧請創祀したと伝えられています。
一方、他説では道真が在世中からこの地を好み、墓所をここにと望んでいたとか。結果的には没後北野に祀られてしまったので、改めてこの地に社を構えたとも伝わります。社殿前には「菅公衣裳塚」があるそうです。

 いよいよ、「醍醐寺」に遣って来ました。「醍醐寺」は、山の上に広がる「上醍醐」と、平地にある「下醍醐」とがあります。今回は「下醍醐」の境内を歩きました。「上醍醐」へは、約1時間の山道を行かねばなりません。

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何時も参拝する道とは違う道から入りましたので、いきなり「西大門」(仁王門)の前に来ました。

「西大門」をくぐって国宝の「金堂」に向かいます。

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醍醐天皇の御願により、延長4年(926)に創建されました。当時は釈迦堂と言われていたそうです。その後2度にわたって焼失しています。現在の金堂は、豊臣秀吉の命によって、紀州・湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成しました。
「醍醐寺」の中心のお堂であり、安置されている薬師如来像は「醍醐寺」の本尊です。

毎年春には、このお堂の前では、巨大な紅白のお鏡餅を持ち上げる行事が行われます。

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国宝「五重塔」です。
醍醐天皇の菩提を弔うために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。
高さは約38mあり、屋根の上の相輪は約13mもあって、塔の3分の1を占めていて、安定感を与えています。

 更に奥に進みます。

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「観音堂」です。
西国33観音霊場第11番札所・上醍醐准胝堂の遥拝所です。ここに納経所があります。

 各お堂での参拝も終わり、再び「西大門」をくぐつて「三宝院」に向かいました。

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「三宝院」の国宝の「唐門」です。
現在の「三宝院」は、慶長3年(1598)に豊臣秀吉により再建されたもので、この「唐門」の他、表書院も国宝に、その他の建造物の大半が国指定の重文になつています。

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何時もは、ここから境内に入らせて戴いている「総門」です。
奥に見えるのが「西大門」です。それまでの道の両側が桜の名所となっているところです。「三宝院」は、ここを入って左側にあります。

「総門」の前の道が「奈良街道」です。
ここから歩いて、約15分程で、市営地下鉄・東西線「醍醐駅」に行くことが出来ます。私もその様にして、帰途に着きました。

 なお、説明は当日戴いた資料を、主に使わせて戴きました。

 

 

 

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