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2014年7月 2日 (水)

京都・鷹ケ峰界隈を歩く 光悦寺-2

 
 昨日の続きです。本堂でお参りを済ませてから、お庭を拝見しました。

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お庭に入って来ました。以前に一度来た時より、木々の茂みが深くなった様に感じました。

少し広くなつたところに出て来ました。

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有名な「光悦垣」です。時々他所でも見掛けることがあります。

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光悦のお墓も、ここにはありますが、このお墓は養子の「光瑳」と、その息子の「光甫」のお墓です。他の一族のお墓でもあります。

光悦寺には、6つもの茶席がありますが、そんな中から1つを選びました。
 光悦は、茶道においても一流儀に偏することなく、古田織部や織田有楽斎にも教えを受け、また千宗旦とも最も深く交わったそうです。

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「本阿弥庵」茶席です。ここからは、遥かに京都市内を見下ろすことが出来ました。

心穏やかに、お庭の散策を終え、来た道を引き返すことにしました。

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景色は反対方向から見た時、また違った印象を受けると言います。
山門をくぐり、表の方を見た景色です。

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美しい石畳みを、再び通って、入口に出ました。

 本阿弥光悦について(受付で戴いたパンフレットから)
本阿弥家は、代々刀剣鑑定、磨砥、浄拭を家業とし、今も尚その業を続けている家柄である。
 
光悦は、永禄元年(1558)本阿弥光二を父として、妙秀を母として、その長男に生まれ幼名を次郎三郎と称した。
 
加賀前田侯の扶持200石を父の代より受け、禁裏を始め将軍家及び諸大名の御用をもつとめたが、本業とは不即不離の芸術面に、その豊かな才能を以て多くの作品を遺した事は、日本文化の上に大きな功績である。

作陶・書道・絵画・蒔絵・彫刻などの多面にわたって、前人未踏の斬新的な表現法で、驚嘆の目を見張らぬものはない。

寛永14年2月3日、その偉大な人生80年の幕をとじたのである。

 

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