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2014年7月 4日 (金)

京都・鷹ケ峰界隈を歩く お寺2か所

前回の続きです。
引き続き京都の北・鷹ケ峰界隈を歩いています。今回は、お寺2か所をご紹介します。
 はじめは「源光庵」です。鷹ケ峰街道の突き当りにあります。

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「源光庵」の表参道と山門です。

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山門をくぐつて境内に入りました。今回は時間の関係で、ここまでとしました。
山号も「鷹峯山」です。ここで有名なのは、本堂から庭園を望む壁面に円形と角形の窓が並び、禅の悟りと迷いを示しているとか。それと「伏見城の血天井」です。

 歩を東に少し進めますと、「常照寺」があります。江戸時代の名妓「吉野太夫」ゆかりのお寺として有名です。

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山門は「吉野門」と言い、吉野太夫が寄進した「吉野の赤門」と呼ばれています。

「吉野門」をくぐって進みますと、正面に本堂があります。

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手前の受付で拝観の手続きをしますと、先ず本堂右手の建物に行く様言われました。
「吉野太夫」やお寺のビデオを見ましたが、中々上手く作られていました。
見終わってから、本堂にお参りをしました。
このお寺は、本阿弥光悦が日乾に寄進した土地に開創されたお寺です。
吉野太夫は、この日乾に帰依したと言われています。

境内を散策します。

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境内に建てられていたお茶室ですが、丸窓の下が一部直線になっています。
「吉野窓」と言います。人間は完全な人はいない。何処かに欠点がある。
それが直線部分で、そのことを承知して、日々精進すべきと言うことを示しているとか。

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「吉野太夫」のお墓です。彼女については、最後にご紹介します。

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夫である豪商「灰屋紹益」(佐野重孝)と吉野太夫との比翼塚です。

「吉野太夫」について (お墓の傍に立っていた説明板から)
 太夫は、西国の武士・松田某の娘として育ったが、故あって後に京都・島原で名妓となりました。そして遊女としての最上の地位まで達しました。
詩歌・管弦・茶の湯・香道などの諸芸に秀で、当時の京都の上流階級の社交場の花として、2代目・吉野太夫として一世を風靡しました。
 本阿弥光悦との縁で、日乾上人に帰依し、当寺とのご縁が生まれました。
 「灰屋紹益」とのロマンスは、後世演劇や歌舞伎にまで取り上げられています。
 寛永20年8月25日、38才の若さで病で亡くなったそうです。

「吉野太夫花供養」
 毎年4月の桜の季節には、名妓慰霊のため、島原の太夫道中による墓参と、供茶法要が営まれています。境内随所では野立茶席も設けられます。

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