2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

お勧めブログ

無料ブログはココログ

« 京都・法然院を訪ねて | トップページ | 東海道の宿場町・土山宿を歩く その1 東口から »

2014年2月 3日 (月)

東海道の宿場町・土山宿を歩く その2  中心部から西口へ 

からの続きです。
 昔の東海道の「土山宿」を、西に向かって歩いています。

026a

旅行者の便をはかる目的で、道中の目印として、江戸初期に設けられました。
塚を造り、塚の上には榎などの木を植えて、遠くからでも見える様にしてあったそうです。
土山町内には、2か所あったそうですが、ここだけが地名から判断出来たようです。
或るお宅の前に建てられていました。

028a

「二階屋脇本陣跡」とあります。多分建物は後世建て替えられたものと思います。
土山宿には、後でご紹介する本陣の他、脇本陣や旅籠など、数多くあったようで、それだけ旅人の往来が多かったのでしょう。

031a

建物はありませんが、「問屋場」と「成道学校」の跡です。
問屋場と言うのは、公用通行の客や荷物の人馬継立、宿泊施設の世話など、宿に係わる業務を行った場所です。
 別に役人の住まいとして「問屋」(次に出て来ます)もありました。土山宿には2か所あったそうです。

 明治に入って宿場制度が廃止されたため、その施設を利用して「成道学校」が造られました。

035a

この建物が「問屋宅」跡です。問屋とは、宿駅業務を行う宿役人の責任者のことで、宿には、1~数名程度居て、庄屋などを兼ねていた様です。

036a

その「問屋宅」跡の隣には、「土山宿本陣」跡があります。
右手に見えるのが、「問屋宅」跡です。
ここは、三代将軍・徳川家光が上洛の際に設けられたそうです。
本陣には、当時の大名・旗本・公家・勅使などが宿泊しました。
明治になっても、しばしば利用されていた様です。
明治元年九月には、明治天皇行幸の際、ここで誕生日を迎えられた天皇の
第一回の天長節が、ここで行われたそうです。

 土山宿の中心地から、さらに西の出口に向かって歩きます 
石碑も結構沢山建てられていました。「土山の街並みを愛する会」と言う団体が力を入れて遣っておられる様でした。

038a_2

街並みの様子です。どのお宅も、建物はそんなに古いものは見当たりませんでした。旧態を残しつつ、整備・保全されている様に見受けました。

045a

ここは、「大黒屋本陣」跡と言います。また「高札場」跡でもあります。丁度道の分岐点になるところです。前回ご紹介した「本陣」は、甲賀武士の1人・土山氏が建てたものですが、こちらは豪商・大黒屋が建てた「本陣」だそうで、土山氏の「本陣」を補完する役目を果していたそうです。建物は無い様です。

047a

漸く西口まで遣って来ました。ここで、国道1号線と合流します。
旧東海道は続く筈ですが、辺りを見渡してもそれらしい道はありませんでした。
この先、少し行ったところに「旧東海道の松並木」がある様でしたが、もう暑くなって来たので、ここで打ち切りバスで貴生川駅に向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

« 京都・法然院を訪ねて | トップページ | 東海道の宿場町・土山宿を歩く その1 東口から »

京都府外」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1153718/52007736

この記事へのトラックバック一覧です: 東海道の宿場町・土山宿を歩く その2  中心部から西口へ :

« 京都・法然院を訪ねて | トップページ | 東海道の宿場町・土山宿を歩く その1 東口から »