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2013年8月16日 (金)

京都市学校歴史博物館をご紹介します

 学校歴史博物館は、明治2年に開校した64の「※番組小学校」を中心に、
京都の学校教育の歴史を紹介している博物館です。
  番組小学校とは明治の近代化政策の中、京都の町衆達の手で創られた日本初の学区制小学校で、博物館自体はその一つである旧開智小学校(平成4年閉校)を利用したものです。


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館長は画家の上村 淳之氏です。

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館内には実際に使われた教科書などの教具・教材や、古文書などの歴史資料、学校ゆかりの作家から寄贈された美術工芸品などの学校文化財が展示されていて、全国に類を見ない内容の施設となっています。
13のコーナーに分かれた常設展示の他にも、二階・三階の企画展ではテーマを定めた企画展も随時開催しています。


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ここを訪れた目的は、企画展「挿絵と表紙絵からみる教科書の世界」を拝見することでした。

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小学生の教科書や教材も見せて戴き、タイムスリップしたような懐かしさと、
当時の貧しくとも隣組が仲良く暮らしていた頃が思い出され、暫く郷愁に浸ってしまいました。


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校門は明治34年に建築されたもので、高麗門の建築様式が取り入られています。
また、石塀も白川石が用いられており、こちらは大正7年代に築かれたものです。
  所在地 京都市下京区御幸町通仏光寺下ル橘町437


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学校の向かいには、創業 元禄年間の”きせる専門店”が有りますが
今でも煙管の愛用者が居られるのですね。

※番組小学校(ばんぐみ)は、明治維新後の1869年(明治2年)、京都の町衆たちの手によって、当時の住民自治組織であった「番組(町組)」を単位として創設された、64の小学校を指します。
 これらの小学校は、1872年(明治5年)の、国家による学校制度(学制)の創設に先立つ、日本で最初の学区制小学校でした。
 近世、京都には「町組」という住民自治の組織が有りましたが、
明治維新の前後に、町組は「上京(下京)第○○番組」という通し番号のついた地域的なまとまりを持つ組織に再編され、
「番組」と呼ばれるようになりました。(以上 説明書による)

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地域 歴史」カテゴリの記事

コメント

古都人さん
 おはようございます
「番組小学校」懐かしい響きの言葉ですね
父か母のどちらかに聞いた言葉です
京都は全国でも初めての町衆による小学校が生まれたのですね
それだけ京都市民の教育に対する心の入れようが解ります
 旧開智小学校の跡地にそのままの姿で利用された学校歴史博物館
館長さんのお話を聞いたり催しを拝見したりしますが
この場所に立っただけで
子供の頃に戻れた様な懐かしさを感じます
そして京都に生まれて好かったとも。
我家も貧しいでしたが両親は京都生まれで
「子供に教育だけはつけたい」といつも言っていました。

古都人さん 
 おはようございます
ご紹介の”教科書の世界”私も拝見しました。
そして多分、古都人さんと同じ郷愁に浸りました
京都には数多くの文化施設が有りますが、
学校歴史博物館は特に好きです。
グラウンドに立って、館内に入って
あの人はどうしてはるやろ
学友の事を懐かしく思い浮かべたりします
番組小学校の事は何となく知っていました
京都が教育に熱心な町であってことも
母の「貧乏しても学校だけは出とかんとあかん」
の言葉は耳にタコが出来るくらい言われました。
勉強が嫌いで遊んでいたからだと思います。
今、一応こうして普通の暮らしが出来るのも
母の強い意志が有ったからだと改めて感謝です

教科書といえば
真新しい教科書を開くお嬢さんの横で
姉のお下がりの教科書を開いた事を
思い出しました。
ページや行、内容に変化がないか見比べてり・・・
自然と話せる機会ができた。
最初は少し恥ずかしい思いをしたが、すぐに慣れた。
これも貧しい親の教育。
同じ高校に行きたかったが女子高では・・・
数年前の還暦同窓会で、隣の席で苛められた発言にびっくり。
休み時間、席を立たずによく話合いをしてたのに・・・
でも、楽しかったよ。そうだろうと納得。

古都人さん   おはようございます

小学校と言えば3枚目の写真のような3階建ての校舎は
まだ見られます。
玄関はさすがないですが・・・

懐かしいですね~
本がすくなかった頃ですので教科書は格好の
活字でした。
何度も読んだりしていましたもの。

こうして残されるのは本当にうれしいですね。

ご紹介ありがとうございました。

taekoさんへ
こんにちはわ
そうですね
番組小学校の言葉は懐かしいですね
京都市民は昔から教育熱心だったのですね
そして今もそれは引き継がれています
館長さんのお話は愉快ですね
私の両親も貧しい暮らしでしたが
教育は・・・の一人でした

hirugaoさんへ
こんにちはわ
校舎も随分変わりましたが3階建ての建物は未だ有りますか
hirugaoさんは子供の頃から本が好きだったのですね
今の若者は活字離れと言われていますが
当時の子供は読みたくても読む本が無かったです
喜んで戴いて嬉しいです

maetetuさんへ
こんにちわ
そうですね 昔は兄弟姉妹間でのお下がりは当たり前の
ことでしたよね
3代にも亘るお下がりもありました
昔は兄弟姉妹が多かったのと教科書などもそんなに
変わらなかったこともあり世代引き継ぎは恥ずかしい
ことでは無かったです
「還暦同窓会」があるのですね 良いことです
還暦ならば物故者も未だ少なく多くの皆さんが
集まられたことでしょう
突然のいじめ発言 驚かれたことでしょう
昔と今とではいじめの認識もかなり違ったのではないでしょうか
今となればいじめも懐かしい出来事でしょうね

こんばんは (◎´∀`)ノ
今では義務教育である小・中学校の学区制は当然のことなのですが、ルーツはここにあったのですね。
展示室入り口脇に”二宮金次郎”さん。これはきっとどこからかこの場所へ持ってきたのでしょうね。
ふつう、大きな台座に載せてありますよね。子供のころはそれを見上げるように見ていましたから!
私が小・中学生のころからでしょうか、木造やプレハブの校舎から鉄筋の校舎に変わって行きました。
ご紹介のような立派な校門はありませんでしたが、懐かしい『学び舎』を思い出すことができました。

古都人さん、こんばんは~♪
「番組小学校」という言葉、初めて知りました。
京都では明治2年に64もの番組小学校ができていたのですね。
さすが京都、文化・教育の高さが窺い知れます。
学校歴史博物館は3階建ての大きな旧開智小学校を
利用しているので、展示物なども多いのでしょうね。
私も明治時代、伊豆・松崎に建てられた小学校で
当時のから現代までの教科書や資料、他を見てきましたが
すべてガラスケースに入れられていたので、
ページが開かれているもの以外は、
教科書の表紙ぐらいしか見られませんでした。
時代を追うごとに挿絵も多くカラフルになり、
子供にも分かりやすく書かれているようでいた。
高麗門の建築様式が取り入れられている当時の校門は趣がありますね。
学校というより、旧家の門のような気がします。
学校歴史博物館の正面玄関は、私が小学生のころの
木造建築の正面玄関に似ていて懐かしかったです。

慕辺未行さんへ
お早うございます
当時の京都の旦那衆は偉かったです
都が東京に移って寂れる京都の復興は
先ず子供の教育と言うことで市内に多くの学校を
造ったのです
資金も自ら出した旦那衆もいたと聞きます
お上などあてしないで自分達でやろうと言う意気込みは
素晴らしいものがあった様です
その基本的には祇園祭の町衆の精神も生きていたと思います
二宮金次郎の像は門脇に有りました

hiroさんへ
お早うございます
そうですね 番組小学校がこの様に多数造られた背景には
都が東京に移って寂れることを心配した当時の旦那衆が
復興は先ず子供の教育と言うことで始めた壮大な計画に
よるものでした ですから当時として手っ取り早い校舎は
寺院などの利用かその建築技術の活用だったと思います
移築もあると思います
またお金持ちの地域では鉄筋コンクリートの校舎もあります
それは室町筋の学校です
祇園祭の町衆の自治の精神も生きていると思います
そうですね 教科書などの展示もいろいろと工夫されています
勿論手に取っては見られない展示もありますね
しかし展示資料の収集にも驚く程多数に及んでいます

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