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2013年7月26日 (金)

「八重の桜」ゆかりの地を訪ねて 同志社大学今出川キャンパス(2)

 前回の続きです。
同志社大学の学生さんの案内で、今出川キャンパス内の重要文化財の建物などを見学しています。

 同志社大学の正門です。

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手前の道路は、「今出川通」です、右の道を進むと「相国寺」に至ります。
また、この正門の向いは「京都御苑」の「今出川御門」があります。

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正門を入って左に進むと、この「有終館」があります。
明治20年(1887)に開館。勿論、重文です。
 当初は「書籍館」と呼ばれ、最初の図書館でした。
実は、現在はこちらが正面になっていますが、当初は左手が正面でした。
大正6年(1917)に、今出川通の道路拡幅工事のため、入口をこちらに移築したそうです。
その後、2代目の図書館が出来たため、「有終館」と改名されたとのことです。

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こちらが、当初正面だった部分です。
建物のデザインは、東の方と殆ど同じですが、細かく見ると、こちらが当初正面だった名残があるそうです。

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正門を入って、左手に建っている「良心碑」で、同志社の創立者・新島 襄の自筆の言葉が刻まれています。

  「良心之全身ニ充満シタル丈夫(ますらお)ノ起リ来ラン事ヲ」

新島 襄の没後50年を記念して、昭和15年(1940)に建てられたものです。
日米各地に 8本もあるそうです。

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「良心碑」の右手には、「致遠館」があります。
その入口に掲げられている額は、同志社の出身者で、後に同志の1人になった「徳富猪一郎」後の蘇峰(そほう)による書です。
 徳富は、当時の八重の姿・衣装を見て「鵺」(ぬえ)の如きと言い、それが後に八重のあだ名になったそうです。
 若き日の八重は、ハイカラな帽子を被り、足にはハイヒールを履き、着物に帯と言った格好だったそうです。

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工事中のために近付くことは出来なかったのですが、この建物は「寒梅軒」と言うお茶室です。
煉瓦積みの建物ばかりのキャンパスの中では、唯一日本建築の建物でした。
八重は、同志社にいた時は、ここでお茶を楽しんだそうで、後年女流茶道家としても活躍しています。

最後に、西門近くの「礼拝堂」を見学しました。

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「礼拝堂」(チャペル)で、明治19年(1886)の竣工で、重文指定です。
同志社では、2番目の煉瓦建築だそうです。
プロテスタントの煉瓦造りチャペルとしては、日本最古だそうです。

私は、初めて堂内に入らせて戴きました。

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プロテスタントの会堂らしい簡素な造りと言われております。
正面の右の壁には、新島 襄の肖像画が、左には八重の兄・山本覚馬が掲げられていました。

その山本覚馬の肖像画は、「八重の桜」展に貸出中とかで、レプリカが掲げられていました。

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この時点では、もう完全に視力は失われていた筈です。
にも拘らず、彼は同志社のため、また京都市のために大活躍しました。

  今出川キャンパス内の見学が終わって、午後は「新島旧邸」を拝見します。

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地域 歴史」カテゴリの記事

コメント

古都人さん
 おはようございます
同志社大学今出川キャンバスの前を通る時に
中に入りたい、見てみたいと思っていました
私は大河ドラマ八重の桜のファンで
特に最近は心を痛めて胸を熱くして見ています
その八重の桜のゆかりの同志社大学今出川キャンバス
文字通り興味津々で拝見ました
外から眺めて戴けでは建物の本の一部しか見られませんし
歴史を知ることも出来ません。
思っていた以上に多くの建物がそれも重文指定の建物が有る事に驚きました

今回、古都人さんの写真を拝見しながら
説明を読ませて戴いて建物の素晴らしさ歴史の深さ
八重の京都での生活をその一部ですが
垣間見る気がしてとても嬉しく拝見しました


古都人さん 
 おはようございます
先日京都文化博物館の八重の桜展を見てきました。
私も大河ドラマは大好きで
特に今回の八重の桜は特に最近は胸を痛くして見ています
同志社大学今出川キャンバスは守衛さんにお断りして
一度だけ中に入りましたが
勿論、建物の外から見学しただけでした。
建物と説明を拝見して改めて驚いています
レンガ造りの古い建物の多い事と
重文指定されていることです
 八重の兄の山本覚馬は京都市の為に努力された
人だと以前に京都府知事が話されていましたが
お二人とも京都の近代化に貢献されたのですね
これからの大河ドラマ 八重の桜を見る愉しみが増えました
 
新島旧艇も愉しみに拝見します。

古都人さん    おはようございます

NHKのドラマは途中で見られなくなってから少し
興味が薄れましたがその時に読んだ本にこの新島襄の
ことが書かれていました。

八重はそのころにしたらハイカラな先進的な女性だったのですね。
同志社大学はたいていは外を見るだけでしたが
こうして中の写真を拝見できてうれしく思いました。

この時期に精力的に取材!をされて凄いですね~

古都人さん
おはようございます。
いつもありがとうございます。
立派な建築ですねぇ~
重みがあり素敵~
大河は見ていませんが京都が舞台であり
素晴らしいお二人の歩まれた道には
興味がありますわぁ。
詳しく紹介していただいて行った気分に
なっていますの、うふふ
暑くて出かけるのが~
お屋敷のこと楽しみにしていますねぇ♪

taekoさんへ
こんばんわ
そうですね 「八重の桜」は今までは辛い場面の
連続でしたね
そろそろ京都に舞台が移って来ますので
少しは明るい場面が出てくるのかと期待しています
同志社大学の校内は一般人でも自由に出入り出来ますし
歴史資料館(ハリス理化学館)は見応えがあると思います
私は企画展が変わる度に拝見しています

hirugaoさんへ
こんばんわ
そうですね 連続ドラマは見るのが途切れると
興味を失いますね
漸く会津戦争が終わり新しい世界への展開と
なって行くようですね
いよいよ京都が舞台も近付いて来ました
京都へ来てからの八重さんは物凄く積極的な
人生を送るようですね

ムームーさんへ
こんばんわ
そうですね 大河の舞台がそろそろ京都に移るのも
近いと思いますね
同志社大学は新島 襄や八重だけの力で
こんなになったとは思えませんが
山本覚馬(八重の兄)など多くの協力者が
いた結果でしょうね
勿論襄や八重の努力は否定しませんが・・・
明治の初期にこれだけの建物を建てたとは驚き
ですね
こちらこそ何時も有難うございます

古都人さん、こんばんは~♪
「八重の桜」ゆかりの土地を訪ねて 
その(1)その(2)を拝見しました。
八重が同志社の創設者・新島襄の妻ということは
知っていましたが、兄の山本覚馬が土地を譲った
とは知りませんでした。ドラマでは今、重い病と闘って
いますが、その後元気になって
同志社や京都市の為に大活躍をするのですね。
ドラマを見るのがまた楽しみになりました。
肖像画を見ると山本覚馬を演じた西島秀俊さん
に雰囲気がよく似ていますね。
レンガ造りの建物はどれも素晴らしいですね。
よくこれだけ古いものが残っていると
感心しましたが、京都は第二次世界大戦で
空襲を受けなかったからでしょうか。
東京ではこれだけ古い建物が残っている大学は
ほとんどないと思います。
立命館大学は龍安寺に行くとき見たことがありますが、
同支社今出川キャンパスは見たことがありません。
古都人さんと一緒に歩いているつもりで楽しませて
頂きました。素敵な御紹介ありがとうございました.

こんばんは (◎´∀`)ノ
恥ずかしながら大河ドラマは全く見たことがありません。
今回の『八重の桜』は、タイトルは知っていますが、「八重」が人の名前であったことは知りませんでした。
てっきりどこかに咲く『八重咲きの桜』のことかと思っていました (^_^;;ハズイ!
さて、同志社大学。これほど歴史的に価値のある建物が残っているとは驚きました。
しかも一つや二つだけでなくいくつも!
↓記事の時計塔のある建物、有終館に礼拝堂、レンガ造りの建物が一つの大学内にこれほど残っているのも珍しいのでは?!
このようなところで学ぶことができる学生が、うらやましく思います。
私が通った大学のキャンパスとは大違いです。

hiroさんへ
お早うございます
こちらこそ丁寧にご覧頂いてありがとうございます
山本覚馬は薩摩藩に捕えられ
暫く幽閉されていた間に目や足を一層悪くしたようです
しかし彼が獄中で書いた「管見」がこれからの日本再生に
役立つとして新政府に認められその後京都府の顧問などに
採用されたとのことです その兄の活動を助けたのが八重
だったそうです 覚馬は京都商工会議所の初代会頭になっています
私が数年前に京都検定1級に挑戦した時この問題が出て書けません
でした 結局不合格でしたが・・・
そうですね 京都市は第2次世界大戦では大きな被害を受けませんでしたから
このような建物が残ったのです 極く僅かながら爆撃は受けています
数十人の方が亡くなっています
同志社大学では今出川キャンパスでの見学ツアーも設けられています
機会がありましたらどうぞご見学くださいませ

慕辺未行さんへ
お早うございます
そうですね 同志社大学はこれらの明治初期の
レンガ造りの建物から現在もどんどん大きな
建物が増えていますね 驚くばかりです
今出川周辺に3か所と新田辺市にもキャンパスがあり
大発展しています どれだけお金があるのか想像出来ません
NHKの大河ドラマを見ておられない方 時々耳にしますね
私は大河が始まってからずっと見ています

こんばんは
「八重の桜」が好きなので
今まで何気なく通り過ぎていた同志社大学などが
興味深く感じられます。

ふむふむ、山本覚馬はこのような顔をしていたんですね。
八重の姿を鵺に例えたのは
ほめ言葉ではなさそうですがどうなんでしょうね。
知識は人生を豊かに楽しくするので
こういったエピソードの紹介記事は大好きです。


雅美さんへ
お早うございます
雅美さんは「八重の桜」はご覧になつているのですね
私も毎回欠かさず見ています
そうですね ご本人とドラマでの人との隔離はやむを得ませんね
この覚馬の肖像画は田舎のおじさんの顔ですね
八重を鵺に例えたのは徳富猪一郎(後の蘇峰)です
京都で活動を始めた頃のことのようです

母校同志社を取材して頂き、ありがとうございます。
記事を興味深く拝読致しました。
皆様のコメントを拝見していますと、今出川キャンパスに残る文化財建物は、一般にはあまり知られてないのかな・・と改めて感じました。

重要文化財ではありませんが、登録有形文化財として同じ赤煉瓦作りの建物が多数残っています。
同志社大学には啓明館、アーモスト館(新島襄が卒業したアメリカの大学に因む)、そしてお隣の同志社女子大学にも、新島八重の葬儀を行った栄光館、ジェームス館、そして、京都御所の東側に隣接して、一時期、新渡戸稲造が居住していたフレンドピースハウスもございます。

京都観光は、素晴しい神社仏閣、庭園に恵まれているため、同志社のキャンパスは観光コースに入っていません。
でもこうしてブログでご紹介頂けることで、母校を少しでも皆様に知って頂ければと思います。
ご紹介、ありがとうございました。

岸野浩通さまへ
こんばんわ 初めまして ようこそご覧くださいまして
有難うございます コメント有難うございました
私は社会人教育や生涯学習の関係で同志社大学には
色々とお世話になっております
勿論校内の歴史的建造物は殆ど知っておりますが
世間一般ではそうでもない部分もありますね
校内見学ツアーなどもあるのは余り知られていないと
思います 
有難うございます 未知のところもありましたので
改めて見学させて戴きたいと思います

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