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2013年7月19日 (金)

四国・徳島県の旅ー2 うだつの町・脇町を歩くー3

 旬を追いかけている間に「うだつの町・脇町を歩く」が忘れ去られていました。
急ぎましょう
 前回の続きです。
「うだつの町」を、さらに西に向かって歩きます。
 進行方向に向かって左手にある「田村家」です。

Img_7883a

このお宅は「うだつ」がありませんね。
後の相次ぐ火災によって、「うだつ」が付けられるようになったと考えられます。
田村家は当時の火災で焼けずに残ったものと思われます。
宝永8年(1711)の建築で、藍商「赤谷屋」~繭問屋「大谷屋」を営んでいました。

↑の向かいにある「森家」と町並みを振り返って東方向を見ています。

Img_7888a

この「森家」は、明治19年(1886)のもので、「泊屋」と言う屋号で味噌・醤油卸を家業としていました。
手前に見える格子の荒い方が店空間、向こう側の細かな格子は居住空間です。
「森家」は、昭和初期には医院をされていたそうで、その佇まいを残しています。

Img_7885a_2

居住空間の玄関の上部には、この様な飾りが取り付けられています。
この「森家」の格式の高さを感じます。

Img_7889a

今度は、進行方向(西へ)を真っ直ぐに見ています。
右手近くに見えるお店は、和菓子屋の「川田光栄堂」さんです。
明治40年(1907)の建物で、反物屋「讃岐屋」でした。

Img_7906a

この町で、最も古い(宝永4年・1707)の「国見家」です。
「片うだつ」(右側にだけ「うだつ」がある)で、うだつは、寛政10年(1799)のものだそうです。
家業としては、お茶・釣り道具を「丸王」で、刻み煙草を「国見」で商っていたそうです。

Img_7891a

その「片うだつ」を大きくして見ています。中々立派な「うだつ」です。
「片うだつ」の右隣(手前側)の建物は江戸時代のもので、さらにその奥の建物は明治時代のものです。
両方共に「うだつ」は見られません。
醤油屋や家具屋を営んでいたそうで、明治時代は「木治屋」と言う屋号でした。

Img_7895a_2

妻入屋根の「平田家」です。明治の建物で、旅館「木五」でした。
2階の屋根とその下の「うだつ」の間に隙間があり、防火の役目より飾りが目的のものになっています。
「うだつ」の屋根にも鬼瓦が見られます。
また、ここは明治33年に第12世将棋の名人になった小野五平の生家でもあります。

Img_7897a_2

その辺りから、振り返って東の方を見ています。
右手には、ずらりと「うだつ」が見えますが、左手の手前の様な現代風のお宅もあります。
このような中で、現代風の家に建て替えるのは、きっと勇気?が要ったことでしょう。

以上で、南町の大部分を見て来ましたが、「うだつ」のパーツについてもご紹介したいと思います。
 尚、これまでのうだつの町「脇町」のご紹介は その1 その2 
かんぽの宿徳島 時代屋  藍染とそば米雑炊 吉田家住宅華道展
そして番外?の阿波おどりなどです。

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コメント

古都人さん 
 おはようございます
今回は特に一軒一軒に特徴が有って興味深く拝見しました。
愈々脇町も大詰めに入りましたね
古都人さんご紹介の脇町は本当に魅力的な町です
既にご一緒させて戴いたような気分ですが
是非歩きたい町です
うだつのお宅もお店も魅力的でしたし
何より多くの事を学ばせ戴きました
地元にとってどうか解りませんが人影の少ない町ですね
観光地化されていないのも魅力の一つです
一軒一軒眺めながらその魅力を実際に感じたいです
失礼な言い方ですが、ブログとは思えない・・・・

後はうだつのパーツのご紹介ですね
それも愉しみに拝見させて戴きます

古都人さん
 おはようございます
今朝は涼しいですね
昼間は暑くても朝番が涼しけれは救われます。

うだつの町・脇町
一言で語りつくせない魅力の有る町ですね
朝から遡って再見させて戴きましたが
この町を丁寧に撮り、語って戴いて旅心に誘われています
もし、ここを訪れる時は是非ブログをコピーさせて下さいね
多分、どんな旅の本より詳しく親切に書かれていると思います
そしてお店も覗いてお食事もこの町で
涼しくなったら是非是非お訪ねしたい町の一つです

うだつのパーツもとても興味が有ります
愉しみに拝見させて戴きます

古都人さん   おはようございます

今朝は予報どうり涼しくてマリオの散歩も
汗をかかずに済みました。

この街並みもきっと建造物の保存地区の
建物になっているのでしょうね。
妻入りの美しい建物を今でも住んでいながら
保存するのは大変だと思います。

あまり観光地化されていないようでなんだかホッと
してしまいました。

自分は観光客の癖に勝手ですね・・・

taekoさんへ
 お早うございます
そうですね
朝夕が涼しければ暑い夏も少しは助かりますね
 脇町はブログでご紹介している以上に魅力の有る町です
遡ってご覧戴いてありがとうございます
身に余るお言葉恐縮の極みです
 実際にご自分で歩いて自分の感性でご覧になられたら
感動されると思います
少しでも参考になるなら 拙いブログブログですがどうぞご利用下さい

hirugaoさんへ
 お早うございます
そうですね
今朝は久しぶりの涼しさでした
犬の熱中症も増えているとか・・・
 脇町の建物、街並みは「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています
今もこちらで生活されている方達のご苦労は、維持管理は大変な事でしょう
観光地化されていない良さが有りますが
これも観光客の勝手な願いですね

古都人さん  こんばんは
うだつの町の事はほんの少しの知識で
殆ど無に近いものでした。
ご紹介を拝見する度にその素晴らしさに
魅せられています。
観光地化され、現存の建物も少ないかと思っていました。
うだつと火災との関連、店と住まいの格子の違い
明治、昭和への流れでの建物
玄関上部は家紋と彫刻でしょうか?
邸宅内部も素晴らしい造りでしょうね。
人影も見受けられず、ざわざわした感じが
無いのも嬉しく思います。
時代を遡っての着物姿の住人を見かけても
違和感が無いように町並みですね。
素晴らしい家並みは、活気に満ちた当時の繁栄ぶりもうかがえます。
今回も素晴らしいご紹介で、宝永4年は?でしたが、
西暦の記載は私の頭でも古を数えてたりと・・・
素敵に楽しく学んで拝見させて頂きました。

古都人さん  こんばんは~♪
うだつの脇町、素晴らしいですね。
うだつを初めて見たのは埼玉県の川越
ですが、こちらのように何軒もうだつの
付いた家はありませんでした。
「うだつが上がらない」という言葉が昔から
使われていますが、
うだつが沢山あがった町並みの脇町は
昔からずっとお栄えてきた町なのでしょうね。
年々少なくなっている歴史的に価値がある
建造物を見ることができるのは嬉しいものですね。
素敵な御紹介、ありがとうございました。


すみれさんへ
 こんばんわ
まず、そちらでの祇園祭の記事へのコメント有り難く拝見しました。
お気遣い申し訳なく嬉しく思っています
祇園祭は昨年に殆どの行事をブログに載せました。
今年は何を・・・と思った結果の記事になりました。
自分自身も愉しみたいの思いも有り 自己満足ですね。
 うだつは10年位前に京都で見たのですが
その時からうだつを探し歩くようになりました
脇町以外もうだつの町は意外と観光地化されていないのです
地元は何んとかと努力されているようですが・・・
脇町は特にうだつ以外にも興味を持てるものが多く有り感動しました
玄関の上部は家紋と彫刻でしょうね
内部はやはり太い梁や柱で重厚です
それが長い年月を経て現存している理由でしょうね
そうですね
ここは着物姿が似合う町ですね
時代劇の撮影もそのままで使えそうです
丁寧にご覧戴いてありがとうございました


 

hiroさん
 こんばんわ
そうですね
埼玉県の川越もうだつが残っていますね
脇町は殆どの家にうだつが残っていて
藍染で栄えた町ですが過去の栄光が今にの典型的なものでしょう
年々少なくなっている歴史的に価値の有る建物を
町並を見る事は嬉しいです
唯、生活しながらの存続は難しく思いますし
維持管理も大変でしょうね

 

こんばんは (◎´∀`)ノ
久しぶりにうだつの街の続きですね。
最初の写真の『田村家』は、うだつが造られるようになる以前に建てられたからでしょうか?
その後もうだつをあげなかったのは、何故でしょうね?
まさか「うだつが上がらない家?」なんてことを言っては失礼ですね。
よく見ると、この通り、電柱や電線がありませんね。
景観をより美しく保つために、地中に埋め込まれたのでしょうか?
最後の写真の左手前の現代風の民家、これだけの街並みによく建てたものです。
勇気があったのか無頓着なのか・・・?
街の人々から反対されなかったのか?と思います。

慕辺未行さんへ
お早うございます
戴いた資料によって記事に書きました様に
当時の火災に焼け残ったために「うだつ」が
付けられていないとのことです
この「田村家」はこの町並みの中で2番目に
古いお宅だそうです
ですから その後も「うだつ」なしで今日まで
来られている様ですね
多分「重建群」の指定を受けるために電線は
地下化されたのではないでしょうか
そうですね この様な町並みの中で現代風の家を
建てるには色々とあったことでしょうね

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