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« 西陣織を触って聞いて | トップページ | 「八重の桜」ゆかりの地を訪ねて 「新島旧邸」外観 »

2013年7月31日 (水)

「八重の桜」ゆかりの地を訪ねて 「新島旧邸」内部

 からの続きです。
同志社の創立者・新島 襄の「旧邸」建物の内部を見て回りました。
但し、安全上1階のみです。

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「書斎」で建物の東南にあります。
当時、新島が使っていたものがそのまま残されています。

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 壁一面が書棚になっていますが、8割が洋書だそうです。
同志社の学生達は、自由に出入りして、図書館の様に使っていたそうです。

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 「応接室」です。内玄関に近いところ、北側にあります。
この「応接室」は、京都文化博物館で開催中の「特別展・八重の桜」で、
再現されていました。

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 「食堂」で東北にあります。向こうに見える部屋は、「応接室」です。
「台所」(右手)が近くにあります。

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1階の西南にも、「居間」があります。八重は、新島の死後「居間」(洋間)を改造して、
「茶室・寂中庵」を造りました。
八重は、新島の死後、洋式から和式に回帰して行ったと言われています。
花模様の鏡掛けが掛った鏡台は、八重愛用のものでしょうか。

 

これからは、日常生活には欠かせない部分を、ご紹介しましょう。

 

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「流し台」と「井戸」(右手)です。床は土間ではなく、板敷になっています。

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「流し台」の左手には、「かまど」があります。

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「風呂場」で建物の1階、東北角にあります。
風呂桶は、当時民家で使われていたものを、再現したとのことです。

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「トイレ」です。和に洋を取り入れた板張りの腰掛式トイレで、
この種のトイレとしては、日本では初期のものと言われています。

 2階にある「寝室」の様子が、写真で示されていました。

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ベッドらしきものが置かれています。

 1階の「応接室」には、暖炉が造られており、その余熱で「セントラルヒーティング」が用いられていたそうです。

新島 襄と八重の生活が営まれていたと思いながら、拝見していますと、
お二人のことが、より身近に感じられました。

 戴いたパンフレットによりますと、この地は幕末までは御用大工棟梁の中井家の屋敷があったところです。
明治初年に堂上華族の高松家が所有していたのを、明治8年に新島が土地の半分を賃借して、生徒8名で同志社英学校を開きました。
すなわち、ここが同志社発祥の地です。
翌年、学校は旧薩摩藩邸に移り、新島はこの土地を購入して、自宅を建てました。

 なお、建物や調度・家具類を含めて、昭和60年に京都市有形文化財に指定されました。

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地域 歴史」カテゴリの記事

コメント

古都人さん 
 おはようございます
新島旧邸は随分前になりますが一度拝見したことが有ります。
当時は今の様にブーム?にもなっていなくて
スムーズに見る事が出来ました。
今、改めて説明と写真を拝見していますが
お二人の静かで平和な生活が感じられます
モダンで上質な生活を営まれていたのですね

書斎に自由に出入りしていた同志社の学生さんは幸せですね
応接室は京都文化博物館で見ましたが
ご紹介の写真の方が生活観が有って好いですね
新島 襄の死後は様式から和式に回帰・・・
八重らしいですね
益々八重が好きになりました

 大河ドラマの八重の桜もっと大勢の方に観て欲しいです


古都人さん
 おはようございます
新島旧邸は外からチラッと見た事は有りますが
八重の桜が放映されている今なら今こそ
丁寧に拝見したいです
新聞によると申し込者が殺到していて
順番は中々回ってこないと聞きます

当時としては建物も内部の様子もモダンだったのですね
決して華美では無く質素な佇まいに
新島 襄の人柄か感じられます
特に内部の様子にお二人の生活の様子が伺えて
新島 襄と八重の人柄が感じられますね
お二人の生活に思いを馳せながら
綾瀬はるかさんの八重と重ねて感慨深いものが有ります
丁寧なご紹介嬉しく拝見しました

大河ドラマ八重の桜、これからの展開が愉しみです。

古都人さん
おはようございます。
懐かしく見させていただいていますの。
ここで生活されていたって思うだけでも
わくわくしますねぇ~
同志社の出来た頃、いいですねぇ~
自由に出入りできるなんて最高の
学問の場ですねぇ~
新島 襄と八重さんの温かくもハイカラな
生活素晴らしいです。
見せていただいて良かったです。
いつもありがとうございます。

おはようございます

この八重の桜が始まる前に本読んで八重が
新島襄と結婚していたことを知ったくらいです。

同志社の創始者であることは知っていましたが
八重ととのかかわりはここで知りました。

生活感あふれる内部の様子は当時を偲ばせてくれ
楽しかったです。

八重が新島がなくなってからまた和式に戻っているのを
感慨深く拝見しました。

taekoさんへ
 こんにちはわ
そうですね
今は八重の桜のブームで大勢の方が申し込まれていると聞いています
お二人の住まいはモダンですが和の心も大切にした
上質な生活だったと思います
これからの八重の桜はどのような展開になるのか
愉しみですね

ムームーさんへ
 こんにちはわ
そうですね
やはり室内は懐かしい佇まいですね
今もこうしてお二人の生活の場が実際に残っていることは
感慨深いものが有ります
室内の至る所にお二人の人柄が感じられて
親しみを抱きました

hirugaoさんへ
 こんにちはわ
既に本は読んでおられたのですね
でも新島襄との関わりはご存じなかったのですね
私は元々大河ドラマのファンでどのシリーズも見ていました
そうですね
内部の様子は生活観が溢れるもので
二人の当時を偲ばせてくれます
新島亡きあとの生活にも共感出来ますね

古都人さんこんばんは~
NHK大河ドラマ「八重の桜」の影響もあり、新島旧邸
には多くの方が見学に来られていたのでしょうね。
建物全体を拝見すると、今でも通用するような
モダンな建物ですね。邸内は畳敷きに洋家具と
和洋折衷ですが、どこか懐かしい感じがします。
風呂桶は私が子供のころ実家で使って
いたものとよく似ています。
八重は、新島の死後、洋式から和式に回帰して行った
そうですが、会津の暮らしが懐かしかったのかもしれませんね。
近くに住んでいたら、すぐにでも見学したいところですが、
古都人さんに御紹介してしていただいて良かったです。
どうもありがとうございました。

こんばんは (◎´∀`)ノ
外観も中も『和洋折衷』で、文明開化直後の日本を象徴する建物の一つに見えます。
バルコニーがあるなんて、当時としてはかなりモダンな造りだったでしょう。
書斎や応接室、食堂は洋風ですが、台所とお風呂は和風。トイレが興味深いですね。
明治初期に洋式トイレがあったとは驚きです。

最初の写真、書斎の様子ですが、奥にある本棚の左に階段のようなものがありますが、しかしどう見ても2階へ続いているようではなく、あれはいったい何なのでしょう?

hiroさんへ
お早うございます
そうですね 当時では奇抜な建物に見えたことでしょうね
今でも斬新な住宅と思われますね
やはりアメリカ帰りの襄の考えだったのでしょう
その襄が亡くなるとさっさと和風に変える八重の凄さ
それまで洋装ばかりの八重が襄の死後和装ばかりとか
八重の気持ちの切り替えの見事さにも驚きです
会津での生活が懐かしかったのかも知れませんね
こちらこそご覧戴いてありがとうございます

慕辺未行さんへ
お早うございます
そうですね やはりアメリカ帰りの新島 襄の考えが
いろんな面に現われていると思いますね
アメリカで暮らしていた襄にとっては当然のことでしょうから
洋式トイレもその例でしょう
お尋ねの場面ですが2階への階段です
階段の形は日本の建物と同じものでした
2階建ての建物ですから
2階はプライベートな部分だったようです

こんばんは
ここで新島襄と八重が人生を過ごしたと思うと
テーブルやトイレまで生き生きして見えます。
ここでおふたりは
何を考え何を憂えていたのでしょうね。
歴史上の人たちのことは
想像し妄想し仮定するしかありませんが
それがまた楽しいです。
八重はここから会津を想うこともあったでしょう。
そんなことを考えながら
ゆっくり訪れてみたいです。


雅美さんへ
お早うございます
そうですね 想像や妄想にはドラマのことが
頭の中にあって引きづられますね
実際のことを知らない訳ですから・・・
伝記などを読んでも同じようなことが起こりますね
ドラマの力は凄いです
ですからあんまり実際と掛け離れたものは
誤解を与えますね
八重さんは何時までも会津を思っていたようですね

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