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2013年6月12日 (水)

山城茶問屋の町を歩く 周辺編

前回の続きです。
 「山城茶問屋ストリート」がある町、木津川市山城町上狛は、読みの如く
古くは渡来系氏族の高麗人が多く住んでいた地域です。

 木津川が近くを流れ、木津川から淀川を船を使って、お茶を開港間もない神戸港まで運んだと言うことです。

 では、町の中や周辺を歩いて見ましょう。

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先ず、木津川を見に行きました。京都府南部を流れる大河の1つです。
鴨川と桂川、そしてこの木津川の三川です。何れも合流して、淀川となります。
流れは、ゆったりとしていました。左手が上流で手前は堤防です。

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その流れに乗って、ゆっくりとカヌーを操る人を見掛けました。

 木津川の近くにある「泉橋寺」(せんきょうじ)です。

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このお寺は、奈良時代の高僧・行基によって、木津川に架けられた泉大橋を守護・管理するために、建てられました。

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「泉橋寺」の山門前には、この様な大きなお地蔵さんがおられました。
徳治3年(1308)に、本体がほぼ完成したと考えられています。
 応仁の乱で、この石仏も焼損したそうで、それ以来露座のままとなっています。
今見るお地蔵さんは、頭部と両腕が元禄3年(1690)に、補修されています。
  後ろの木や、右横の電柱など、改めて撮影の未熟さを感じております。

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また、この上狛地域は周囲を堀に囲まれた「環濠集落」でもあります。
東西約330m、南北約360mもありました。
 村と田畑を堀によって仕切り、堀の内側に土塁を築き、竹藪や雑木林を連ね、その中に民家があったそうです。
室町時代からの集落で、堀の幅はおよそ3間(約5.4m)もあったとか。
集落内には村の頭・狛氏の居館(狛城)があったと考えられるそうです。

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少し離れたところにある国史跡に指定(昭和15年)されている「高麗寺」跡です。
ここは、飛鳥時代に創建された我が国最古の寺院の1つです。
朝鮮三国の1つ、高句麗からの渡来系氏族、狛氏とのかかわりが指摘されています。
寺域は、東西約200m、南北約190mの規模があり、金堂・塔・講堂・回廊・中門などが配置され、瓦葺だったそうで、近くに瓦を焼く窯も存在していたとか。
 
この一帯の歴史の深さに想いを残しつつ、JR奈良線・上狛駅から帰途に着きました。

 

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地域 歴史」カテゴリの記事

コメント

古都人さん
 おはようございます
上狛の深くて長い歴史への展開
お茶問屋の町とだけ思っていましたが驚きと感動です
 環濠集落は奈良県でその一部が残っているのを見たことが有りますが
川に囲まれていた記憶が有ります

 木津川市上狛が高麗人が多く住んでいた地域とは
全く知らなかっだです
「高麗寺」の事は中学か高校で習ったと思います
この広々とした高麗寺跡、寂しい気もしますが
昔を今に物語る貴重な史跡なのですね
当時は金堂・塔・講堂に回廊等が配置されていたとの事
更には瓦を焼く窯も有ったとか
当時の様子を思い描きながら少しは歴史に触れた思いです。
ご紹介ありがとうございます。

古都人さん
 おはようございます
木津川のキラキラゆったりした流れに目を奪われていますが
読み進めてこちらの長い歴史に触れて、知って驚いています
 環濠集落はこちらにも有ったのですね
奈良県でその名残?を見たことが有りますが・・・
 
「高麗寺」は上狛に有ったのですね
多分高校の時だったと思いますが歴史で習った記憶が有ります
今、こうして古都人さんの説明と高麗寺跡の写真を拝見しながら感動しています

歴史を知る事、現実にその場所を見る事は嬉しいです
学校での学びが現実となったそんな気がします
上狛の「狛」の文字は高句麗からの渡来氏族狛氏から付けられたのでしょうか?
思いがけなく上狛の歴史の長さ深さに感動しました
取材ありがとうございます。

こんにちわ     古都人さん

ほとんど知らないところなのですがこの木津川には
行ってみたいところが沢山あります。

川のある風景にはことに憧れますが川の水のきらめきに
心が躍りました。

歴史的にいろんないわれがあるのですね。

この雨の少なさでも水量はあまり減っていませんね。
少し雨が欲しいです。

taekoさんへ
こんにちわ
台風の直撃は無かったもののこの生暖かな空気
堪りませんね と言っては罰が当たりますね
人間の欲はキリがありません
辛抱辛抱と言い聞かせています
やはり渡来の人達はこの木津川を遡ってこの地に
遣って来たのではないでしょうか
広大な高麗寺まで建てた力は侮れません
狛は高麗に通じるのだと思います
近くに京都府立山城郷土資料館?があります

hirugaoさんへ
こんにちわ
雨をもたらす台風 来て欲しくない様な
来て欲しい様な とうとう雨は殆ど降りませんでしたね
週間予報ですと未だ雨は期待出来ない感じでした

ここ木津川市は最近合併して大きな市になりました
その中には歴史的に有名なところが多く含まれています
一度ゆっくりとお訪ね戴くことをお勧め致します

嵐山から、桂川、木津川に沿ってサイクリングロードが整備されてます。
走るだけで、周りの歴史には目がいかなかった。
川辺で食べる昼食はやたらと美味かった。

豊橋の市電
昭和30年製造の車両から、LRV(低床車両)ほっトラムという最新車両
まで走ってます。それぞれの乗り心地、扉の開閉方法など面白みがあります。
若い女性の運転士もいます。
国道1号線を通って競輪場方面に行く時は少し登り勾配で、西大路通りが浮かびます。

こんばんは (◎´∀`)ノ
上狛という地名は初めて知りました。
深草や木幡よりも南に位置するのでしょうか?
木津川の流れ、穏やかですね。
この木津川と鴨川、桂川が合流して淀川となり大阪湾へと流れているのですね。
昔、大阪の友人が「名古屋の水は大阪よりもおいしい。」と話していたことがあります。
木曽川と淀川の違いだとも。
今、淀川は綺麗になってきているのでしょうか?
この辺りは古くは『日本の中心』でしたから、歴史の深さが窺えます。
高麗寺は、いつどのような経緯で無くなったのでしょうね。

maetetuさんへ
お早うございます
そうですね 私ももうずっと前になりますが
桂川沿いのサイクリングロードを嵐山から
八幡市まで走ったことがあります
行きは下り道だから良いのですが帰りは
下の道から帰ったことを覚えています
八幡市でギョウザとラーメンを食べたことも
記憶しています
豊橋市内には色んな市電が走っているのですね
一度乗って見たいですね

慕辺未行さんへ
お早うございます
そうですね ここは今は京都府木津川市山城町ですから
奈良県に近いところです
この辺りの三川合流は木津川・宇治川・桂川です
鴨川は既に桂川と上流で合流していますから
高麗寺(こまでら)は奈良時代・天平年間にはあったと記録に
あるそうですが平安時代末には無くなっているそうです
渡来系氏族・狛氏の力が低下していったからではないでしょうか
室町時代・この地の国人として狛氏が環濠集落の地に
拠点を築いていた様ですか・・・

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