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2012年11月 5日 (月)

京都・石畳の街を訪ねてー5 (島原)

 京都の「石畳の街」を訪ね歩いています。
石塀小路 高台寺通~一年坂・二年坂 産寧坂 清水坂 と愉しく歩いてきました。
 そしてその後
「島原」を訪ねました。
「島原」は、我が国最初の官許の花街で、
当初は二条柳馬場に開かれ、その後六条三筋町に移転し、
更に寛永18年(1641)にこの地に移されました。
 ここの正式な地名は、西新屋敷と言いますが、急な移転騒動が、当時九州で起こった「島原の乱」に似ていることから、
「島原」と呼ばれるようになったとのことです。

Img_5298a

「島原」と言えば、この「大門」です。「島原」の表入り口に当たります。
「大門」は、島原創建から設けられたそうですが、度々焼失し建替えられ、
今の「大門」は慶応3年(1867)に、神社仏閣なみの本格的な高麗門として、建替えられたとのことです。
京都市登録有形文化財として登録されています。

この周辺から石畳風の道が、展開します。

Img_5300a_2

今も残るただ1軒の置屋「輪違屋」さん(左手)の前の道も、この通り石畳風です。
置屋は太夫等が居るところで、揚屋に出向きお客様の接待をします。

Img_5302a

「輪違屋」さんを、上とは反対の方から見ています
私は現役時代に、一度ここで或る会合の宴会を経験したことがあります。
襖に大きな和傘を広げた絵が描かれていて、太夫さんや禿さんなどが出て来て、
接待を受けました。
何とも言えない情緒ある雰囲気でした。

「輪違屋」さんの創業は、元禄年間とのことで、現在の建物は安政4年
(1857)に再建され、明治4年(1871)にほぼ現在の姿になったそうです。
京都市の指定有形文化財です。
現在は、お茶屋として営業されているため、非公開となっています。

Img_5305a

表玄関の上に掲げられた外灯です。2つの輪が並んだ家紋でしょうね。

Img_5307a

こちらは、ただ1軒残る揚屋の「角屋」(すみや)さんです。
島原で開業されてから今日まで連綿と続いています。
前の道は、同じく石畳風です。
揚屋は太夫や芸妓などを一切抱えず、置屋から呼んで宴会を催すところです。
この建物は、揚屋建築唯一の遺構として昭和27年に重要文化財に指定されました。
幕末には、倒幕派と新撰組との騒乱の場でもありました。
現在は、「角屋もてなしの文化美術館」として、一般に公開されています。
公開は期間限定のようで訪れた時は閉まっていましたが、
今は公開されている筈です。

Img_5315a

「角屋」の北面の様子です。表側と変わらない位の奥行きがあります。

この北面の西端には、こんな石碑が建っています。

Img_5313a

「此附近 東鴻臚館址」と言う石碑と、説明書です。
平安時代、都の中央道路の「朱雀大路」を挟んで、東西に2つの外国からの使節を接待する施設がありました。
その東側にあった施設「鴻臚館」(こうろかん)の址です。
そんな建物の址に「角屋」があると言うのも、面白いことと思いました。

 次は、北の方に移動して、西陣周辺にある「石畳の街」を、ご紹介します。

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コメント

古都人さん
 おはようございます
私も島原は大好きな場所です
とは言っても宴会の経験は有りません(笑い)
大夫さんとも親しく話したことも有りません。
唯、大夫道中は見たことが有ります。
ゆっくりゆったりした風情の有る道中でした

島原の雰囲気も素晴らしいと思いますが
新撰組と討幕派の騒乱の場で有ったことにも
親しみのようなものを感じます

角屋さんは重要文化財の指定をされているのですね
角屋もてなしの文化美術館は是非拝見したいと思います
勿論、歴史を思いながらこの静かな場所をゆつくり
歩くだけでも好いですね

古都人さん
 おはようございます
石畳の続き愉しみにしていました

島原もそうだったのですね
こちらは舞妓さんのおられる花街とは又違った
落ち着いた風情がありますね。
なによりも何時も静かなのが好きです
 ご紹介の輪違屋さんも角屋さんも外観は知っています。
唯、建物を知っているだけで詳しくは知りませんでした
何時も古都人さんのブログで学ばせて戴いていますが
今日も改めて島原の歴史に触れた気がします
石碑がここに有ることも・・
こんど出かけた時は丁寧に歩いてみます

いつもこのような事を言っていて恥ずかしい限りです

古都人さん
おはようございます。
落ち着いた雰囲気の島原あたり
風情がありますねぇ~
石畳に古い家並がしっとりと
した味わいを見せていますね。
太夫道中を何度か見ましたが
ここらの雰囲気と合わせて見れば
素敵ですね。
いつもありがとうございます。

taekoさんへ
こんにちわ
そうですね はっきり言って島原はもう過去の花街ですね
かつての面影はこの2軒以外にも残っていますが
もう歴史の街と言えますね
しかし雰囲気はあります
今も太夫さんがおられるのも歴史を感じます
太夫さんは何かイベントがあると呼ばれて行く様です

ムームーさんへ
こんにちわ
そうですね かつての花街の雰囲気はしっかりと
残っていますね
この街を歩きますと潜在的な意識のせいか
何となく色香みたいなものを感じます
平安京の時代に鴻臚館があったことと
島原の場所が近いと言うことに何やら
運命的な不思議さを感じます

建物にも歴史の重みを感じさせてくれますね
昔のお金持ちはお酒だけでなく文化を楽しんだんですね

大五さんへ
こんばんわ
そうでしょうね 今に残るこの2つの建物は花街を
象徴する建物と言えるでしょうね
酒宴または宴席は文化交流の場であったと思います
そこに連なる人々の趣味によって色んな文化が
花咲いたのではないでしょうか

こんばんは
一度行きたいと思っていた場所です。
想像以上に京都らしい風情に感動です。
太夫!
映画か落語の世界の話かと思いました。
京都は本当に文化を大切に守るところなんですね。
うっとりしてしまいます。
こんな素敵なところで宴会をされたんですね。
うーん、良いですね。
私も中を拝見したいなあ。
どんな料理が出たのでしょうね。


こんばんは (*^-^)
二年坂や三年坂は数回歩いたことがありますが、島原は全くありません。
やはりここが一見の旅行者との違いですね (^_^;;ハズイ!
『置屋』という言葉は聞き覚えがありますが(でも、どのようなところかは・・・?)、『揚屋』は初めて聞きました。太夫は花魁さん方のことだと知っているのですが・・・。
いやはや、京都の文化、奥深くて全然勉強が足りない私です。
古都人様のブログで色々学ばなければ!

雅美さんへ
お早うございます
そうですね しっかりと現存しているのはこの2軒だけですが
一帯は何となく色めいた雰囲気がありますね
石畳(風ですが)より一層雰囲気を引き立てていると思います
ここでの宴会は随分前のことでお料理の内容は忘れましたが
太夫さんや禿さんが接待して呉れたことは今もはっきりと
覚えています

慕辺未行さんへ
お早うございます
そうですね 京都の花街では祇園や上七軒などは
有名ですが島原はもう過去の街ですから人気もありません
ですからここを訪れる人も限られますね
いわゆる通と言われる人達ですね
場所もやや判り難い点もあります

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