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2012年7月 3日 (火)

ちりめん街道・与謝野町加悦を歩く 2 旧・尾藤家住宅

 前回(町の様子)の続きです。
ちりめん街道のほぼ中程にある、京都府指定文化財の「旧・尾藤家」住宅の内部を拝見させて頂きました。
江戸時代の生糸ちりめんの商家です。
 現在は町に建物が寄付され、町が保存修復工事を行って、平成15年10月から一般に公開されています。
延べ床面積は、924.15平方mあるとのことです。

Img_3727a

ちりめん街道に面した玄関です。一見間口は狭い様に見えますが(実は左右にも広がっているのです・塀の部分)、奥行きは倍以上あります。

Img_3724a

受付を済ませて、先ず目にするのは「ダイドコ」と言う場所です。
すっかり夏のしつらえになっています。
「ダイドコ」の奥が居間と奥座敷が続きます。
神棚も立派なものです。右手は「ミセ」と主座敷となります。
反時計回りに、内部を拝見しました。

Img_3722a

「ダイドコ」の反対側は、炊事場です。左手にカマドが並んでいます。

Img_3718a

新座敷の1つ、茶室風にしてあります。凝った空間が素晴らしいです。
床柱は、右(真ん中の白いところ)が竹、その左が松、さらにその左が梅と「松竹梅」の床柱となっています。
屋久杉の天井、自然竹を生かした欄間、丸なげしなど、贅を尽くした造りです。

Img_3721a

女中部屋を壊して、広くなった中庭から、建物の前面部分を見ています。
右手の建物が、玄関や居間、奥座敷などがあるところです。
約140年前に建てられた部分です。

Img_3723a

↑と同じ場所から、視線を左に移すと、こんな光景です。
新座敷棟2階の洋館の外観が見えます。

Img_3717a

その洋館の内部です。
11代尾藤庄蔵が、長年の念願だった洋館を、昭和4年の早い段階で完成させたとのことです。
机や椅子、ベッドなどすべての調度品は、庄蔵の特注品だそうです。

 「尾藤家」について、少しご紹介します。

 尾藤家は、中世は武士だったそうです。
江戸時代前期に加悦に定住し、丹波屋善右衛門として代々大庄屋などを努めました。
 庄蔵を名乗るようになったのは、江戸時代中期頃からで、後期には生糸ちりめん問屋として活躍しました。
そして、明治初期には、北国と大坂を結ぶ北前船「蓬莱丸」を所有しました。
 10代庄蔵は、生糸ちりめん業の傍ら、丹後銀行頭取を務めました。
 11代庄蔵は、大正15年開通の加悦鉄道の常務や社長を務め、昭和3年からは2期加悦町長も努めました。
昭和2年には丹後大震災が発生し、加悦町も大きな被害を受けました。
尾藤町長は、その復興に尽くし、役場の新築・道路の建設など、現在の町の基礎を作りました。

 旧・尾藤家住宅は、江戸時代末期の文久3年(1863)に着工し、
慶應元年(1865)に完成しています。
その後、明治・大正・昭和と増改築が行われ、昭和5年には今日の姿となりました。

 最後に、11代尾藤庄蔵が決めた「尾藤家心得」から、
 「
粗末にせぬ事 米一粒炭薪一きれでも粗末にせぬ事」
 「無駄をせぬ事 無駄な湯を沸かしたり無駄な炭を熾さぬ事」
 「丁寧にする事 清潔にする事 迅速にする事 整頓する事」
 「大切にする事 責任を重ずる事」 
  などかなり細部に亘って書かれていますが、
 現代を生きる私達も、心掛けねばと思います。
 

 

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コメント

古都人さん
 こんにちは
まず、延べ床面積の924.15㎡に
とは言っても想像も出来ませんが驚きです。
 当然、間口も奥行きも広いのですね。
お写真と説明を拝見していますが
昔をそのままに残した佇まいにため息が出ます。
設えも調度品も上品で流石に歴史の有る家系ですね
江戸末期から増改築を重ねて今日の姿なのですね
そして、加悦町に貢献された歴代の当主

11代尾藤庄蔵が決めた 尾藤家心得
これを守ってこられたから、立派な建物を町に寄付することも出来たのかも知れませんね
どれも出来そうで実際は出来ていません。
心がけねばならないと自分に言い聞かせています。

古都人さん
 こんにちは
旧・尾藤家住宅、一応最後まで拝見して改めてじっくり拝見しています。
見れば見る程贅を尽くした素晴らしい建物ですね。
勿論内部の様子も。

中世は武士、江戸時代のちりめんの商家だったとの事。
当時はちりめんが重宝されたのでしょうね
奥行きが間口の倍以上、想像外の世界です。
”ダイドコ”は子供の頃、我が家にも有りましたが雲泥の差です。
凝った茶室の素晴らしさ
 
11代が昭和4年に造られた洋館、流石に上品ですね
加悦町の今は尾藤町長の力によるものと言えるのですね
 
尾藤家心得
 私も自信は有りませんが、心がけたいです
いいえ、心がけねば。

こんばんは (◎´∀`)ノ
”ちりめん街道”も与謝野町加悦というところも、全く初めて聞きました。
古都人さんが訪れるところだけあって、とても魅力的な街ですね。
街の様子は、やはり落ち着いた雰囲気で、しかし特に観光化されている様子でもなく、
『知る人のみぞ知る』隠れ名所のようですね。
こちらの旧・尾藤家住宅、江戸時代からの名家であることが、よく解かります。
松竹梅の床柱、贅沢な造りで驚きました。
洋館の中も素晴らしいですね。
最後に書かれてあります『尾藤家心得』、きっと初代から受け継がれてた心得なのだと思います。
この気持ちがあったからこそ、成功し繁栄したのだろうと思います。

古都人さん
おはようございます。
こちらは立派なお屋敷ですねぇ~
与謝野町加悦町についてとっても興味が湧きました。
ご先祖さまからの盛業、鉄道、銀行、町長などされた
お家柄ですねぇ。
洋館も見事ですわぁ~
尾藤家心得も素晴らしい、心に刻みたいです。

素敵な所へ行かれましたねぇ~
おかげ様で見せて貰うことができました。
いつもありがとうございます、口が
開けやすくなりました。
ご飯が美味しいと感じるようにもなりました。

taekoさんへ
こんにちわ
尾藤家の先祖の方が武士から商人になられたとのこと
ですが 当時としては随分思い切った転職だったのでしょうね
武士の商法とか言われますが尾藤家のご先祖は偉かった
のでしょうね
そして家訓にある様な厳しい生活をされ一族・使用人に
徹底された結果がこの豪邸となつたのでしょう

シンプルで当たり前と思われる家訓。
この家訓を日々の生活の中で真摯に行う。
神棚にも、毎日手を合わせた事と思います。
名を成し、地域に貢献した尾藤家が偲ばれます。

こうした方々によって今日の日本がある。
今の政治家は何を成し遂げるのか。
何の貢献もできない私がいうのもオコガマシイのですが、

慕辺未行さんへ
こんにちわ
現在の尾藤家の方々がどうされているのかは
判りませんが多分今も先代の家訓を守って
厳しく かつ慎ましく生活されているのではないかと
想像しますね
「ちりめん街道」は今も生きた生活の場所です
全く観光化されていないのが良いのではないかと
思いました

ムームーさんへ
こんにちわ
やはりこれだけのお屋敷を構えられた背景には
時運もあったでしょうが家訓にあるような
厳しく かつ慎ましい生活が背景にあるのでしょうね
そして地元のためにも凄い活躍もされています
大分良くなられたようで良かったですね
引き続いてお大事になさってくださいませ

maetetuさんへ
こんばんわ
全く仰る通りです 尾藤家の皆さんは凄い方達です
地方にあって日本独自の産業を支えて来られたのですから
本当に頭が下る思いです
反して現在の政治の混乱は自分達のことしか考えていない
と思わざるを得ない情けない状況ですね

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