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2012年7月 5日 (木)

南紀旅行から その3 災害

 「熊野古道・滝尻王子」から、次の目的地に向かう途中で目にした災害現場です。
昨年の12号台風がもたらした豪雨によるものです。

Img_2134a

被害が大きかった富田川です。川には大小の石が散乱していますし、向こうに見える石の山は土石流によるものと思われます。
復旧工事中でした。

Img_2155a

車窓から見た大きな被害の様子です。
向こうの杉林は途中から根こそぎ抉り取られており、土石流の跡はまだ手付かずの様子でした。
手前したが富田川になります。

 次の目的地も災害に関係するところです。

 皆さん「いなむらの火」の話は、ご存知でしょうか。
その場所が、ここ和歌山県・広川町です。
 「いなむらの火」とは、村の庄屋の「濱口梧陵」が、今に遣ってくる津波を村人に緊急に知らせるため、刈り取られた稲に火を付けて、津波から村人を守ったと言う話です。

 ここ広川町は古来より幾度となく津波に見舞われ来ました。特に宝永4年(1707)と安政元年(1854)の大津波は、この地区が再起不能と言われる程の大被害でした。

 安政元年の津波を目のあたりにした「濱口梧陵」は、中世畠山氏の築いた石堤の後方に大防波堤を築きました。

Img_2169a

それが「広村堤防」です。

Img_2166a

その断面です。高さ5m・根幅20m・天幅2m・延長600mもある大堤防です。

Img_2176a

この堤防の直ぐ近くが海です。小さな漁港です。
現在の防波堤も、しっかり築かれています。
その後ろの木々が、「広村堤防」です。

 「濱口梧陵」の話の続きです。
 彼は私財を投じて、この堤防を造りました。
3年10ケ月・工費銀94貫344匁(353.79Kg)・延べ人員56,736人でした。
この工事には津波で失職した人々に仕事を与えることが出来たそうです。
彼は後に実業家や政治家になったと聞きました。

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