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2012年6月28日 (木)

NHK大河ドラマ「平清盛」に登場した現場に立つ 保元の乱ー2

 前回では、この乱の終末までをご紹介しましたが、何時の時代でも敗者は悲惨です。
 崇徳上皇は、四国は讃岐に流され、鬼の如き姿となり、都に怨みを残しつつ現地で崩御されました。
私は10年程前に御陵巡拝の際、お参りしたことがあります。
香川県坂出市青海町に白峰寺(四国88ケ所霊場の1つ)山内に「白峰陵」があります。
京都市内には、「白峯神宮」が明治になって祀られました。

 平家と源氏の武士達も、肉親を自らが処刑しなければならないと言う結果となりました。

 さて平安時代、源氏の邸はいわゆる「六条堀川館」にありました。
源頼義以来、義家・為義・義朝・義経などが住まいしていました。
 嫡流の頼朝は平治の乱で伊豆に流されため、子供時代の短期間だけ住んでいたと思われます。

Img_2314a

この石碑は、「六条堀川館」の中にあった、京の名水の1つ「左女牛井」(さめがい)跡のものです。
実は井戸は今の堀川通(片側4車線)の中にありましたが、
第2次世界大戦最末期の民家の強制疎開の際撤去されてしまいました。
この碑は、昭和44年醒泉小学校100周年記念に建てられたものです。

Img_2319a

「六条堀川館」があったと思われる辺りです。
京都市内の幹線道路の1つ「堀川通」を西(上の石碑の場所)から東を見ています。

この場所は「西本願寺」から、少し北に行ったところです。

Img_2306a

その「西本願寺」前です。広大な境内です。

Img_2312a

「従是南 六条御境」とあります。「西本願寺」の北の境界を示した石碑です。この近くまで、「西本願寺」の建物が建っています。
勿論源氏の邸があった時は、未だ「西本願寺」はありません。

 崇徳上皇方に付いた源為義(小日向文世さんが演じていました)は、
後白河天皇方に付き勝者となった長男の義朝(玉木宏さん演ずる)に処刑されました。
処刑された場所は、ドラマでは「船岡山」と言っていましたが、「朱雀野」(平安京の中心大路・朱雀大路の南の外れと思う)で処刑されたとも聞きます。
私は、以下にご紹介する「源為義公墓」の場所から言って、「朱雀野」の方ではないかと思います。

Img_2322a

七条通御前近くに、その石碑があります。細い路地を入ります。
朱雀大路、今の千本通より西に行ったところです。
七条通は平安京内ですが、既に都の中心が東に移りつつあったと思われますので、もうこの辺りは野原であったかも知れません。

Img_2328a

路地の突き当たりは「権現寺」と言うお寺です。
その手前右側に、お墓があります。

Img_2324a

「六条判官源為義公塚」と刻まれています。
六条とは源氏の邸がある場所です。近寄って見ましょう。

Img_2325a

右がお墓でしょうか。左の石碑の文字は判読出来ませんでした。

 源氏は、頼朝が武家政権の鎌倉幕府を開いたものの、直系は3代で終わってしまい、北条氏に政治の実権を奪われてしまいました。

 平家は、それよりも早く「壇ノ浦」で、その終焉を迎えています。
※尚、NHKドラマ「平 清盛」に関連しての記事は
     カテゴリー「
地域 歴史」をご覧ください。

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