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2012年5月20日 (日)

方丈記が書かれて800年 その1

 今年は、「鴨長明」が「方丈記」を執筆してから丁度800年の記念の年です。
すなわち、執筆したのは建暦2年(1212)、彼は58才のときです。
 この年は、浄土宗の開祖・法然上人が亡くなられた年でもあります。

  行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
  淀みに浮かぶう うたかたは、かつ消え、かつ結びて、
  久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖と、またかくの如し。

 こちら京都では、生涯学習の講座や、地元の新聞などで、この「方丈記」が取上げられています。
完成したのが、3月31日だったとのことで、わざわざその日に、その場所を訪れられた研究者もおられました。

 私も素人なりに、見聞きした範囲で、2つの現場を訪れました。
(その1)では、京都・下鴨神社の摂社「河合神社」に復元された
鴨長明の「方丈の庵」を訪ねました。

Img_1282a
「河合神社」は、「糺の森」の南西にありますが、何時見てもやや寂しげな雰囲気を漂わせています。
下鴨神社は右手のずっと先にあります。

Img_1284a_2

神社の正面に遣って来ました。
楼門の屋根には、何やら草が生えています。

Img_1286a
実は、この神社は女人守護のお社です。
ここにお参りすると女性は美しくなれると言われています。
一心にお祈りする女性の姿もあります。

Img_1285a
写真はクリックで大きくなります
そんな女性達が納めた「鏡絵馬」です。色んな表情がずらり。

 その社殿の右手前に、目的のものが置かれていました。

Img_1289a
覆い屋の下に、”方丈記”を執筆した「方丈の庵」が復元されていました。
広さは1丈(約3m)四方あり、移動可能な造りになっています。
それは、下鴨神社の21年毎に行われる式年※遷宮にヒントを得たものと言われています。
 ※遷宮(せんぐう)とは、神社の本殿の造営または修理の際に、
神体を従前とは異なる本殿に移すことです。

Img_1300a
「方丈の庵」に近寄って見ました。
極めて狭いですが、シンプルで機能的な造りの様です。

Img_1295a
建物の中を覗かせて頂きました。
防寒設備がありませんから、冬はさぞ寒かったことでしょう。

 この建物が、日野にあったと聞き、その現場に行きました。
次回、ご紹介します。

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コメント

こんにちは
高校生の時、国乙が大好きで
ご紹介の鴨長明の方丈記”行く河の流れは絶えずして
しかももとの水にあらず。・・・”は特に好きで
情景を思い浮かべながら諳んじていたものです。
 時代背景や鴨長明のことは全く覚えていませんが、この歌は今でも好きです。
今日、ご紹介の記事は特に興味深く学ぶ事も多いです。
 約、3m四方の方丈の庵
ここで方丈記を執筆されたのですね
この一見粗末な庵を見ただけでも
鴨長明の人となりが解りますね。
ご紹介ありがとうございます。

こんにちは
 私も方丈記と徒然草だけは少なくとも、詩の出だしは覚えています。
多分、情景が浮かびやすいかったからでしょうね
 河合神社は女人守護のお社と言うことで、何度かお詣りしていますが
方丈の庵は拝見しましたが、何気なく見ていました。

古都人さんの何時もながらの詳しい説明と
お写真を拝見して学ばせて頂いています。

このような狭い庵で執筆、鴨長明は
何故、このような庵で執筆されたのか、聞いてみたい気もします。
 庵は、日野に有ったのですね
日野とは伏見の日野でしょうか?
とても興味が有ります。
この続きも楽しみに拝見します。

 

こんばんは。

鴨長明ですね。
方丈記は学生の頃
課題で死生観を考えるとき熱心に読みました。
今読み返しても
なんとも素晴らしい文体です。
日本語の素晴らしさを感じます。

この方丈の庵、何度か拝見しましたが
人の生活なんてこの程度を広さで十分なんだなあと
色々考えさせられました。
確かに冬寒く夏暑く快適ではなさそうですが。

糺の森を歩かれたのですか。

こんばんは (◎´∀`)ノ
鴨長明に方丈記・・・、遥か昔に学んだ日本史の授業に出てきたかも・・・(^_^;;
名前は記憶の片隅に残っていますが、詳しいことは全く「???」なのです (。_。)スマヌ!
『鏡絵馬』の女性の表情、ブログ上のアバターにも似て面白いですね。
昔はこんな狭いところで執筆していたのですね。
冬はどれほど寒かったことでしょう?!

古都人さん
おはようございます。
いつもありがとうございます。
こちらの神社は入口だけで帰りました、中には
鴨長明の庵があるのですかぁ~
ここからあの方丈記がうまれたなんて興味深いですね。
大好きな歌です。
詳しい説明で良くわかりました、今度出かけたら
見てみますね。
日野へ行かれたお話も楽しみにしていますね。

ももえさんへ
こんにちわ
私も理系より文系が好きでしたが古典は全くだめでした
しかし高校時代き文芸部や新聞部に籍を置いたりして
いましたが担任だった先生が好きだった様に思います
早稲田大学の文学部出身でしたから文学についての
お話を良く聴いていました
その時の先輩や同級生とのお付き合いが今も続いて
いるのです
「方丈記」はむしろ社会人になってから関心を持つ様に
なりました

taekoさんへ
こんにちわ
鴨 長明は後継ぎ問題から世を拗ねて生きた人の様です
社会とは隔絶することを望んで生きていたのではないかと
想像します
そうです 伏見の日野です 次にはご紹介しますが
何でこんな山の中に居を移したのか私には理解出来ません
でした 本当に寂しい山の中ですよ
そこまで行くのも大変でした
かつて山歩きをしていた私でも久し振りのこととて息をきらして
いました

雅美さんへ
こんにちわ
ここ河合神社にはこの庵が見たくてわざわざ出掛けました
大変興味があったからです
昔の人は忍耐強いですね
こんな庵を寂しい山の中に置いて過ごされたことには
驚きです 相当精神力も強かったとしか思えません
学生時代に考えた「死生観」とはどんなものだったのでしょうね
今は如何ですか

慕辺未行さんへ
こんにちわ
鴨 長明と方丈記 どちらの言葉が残っていますか
私はどちらかと言えば 鴨 長明の方ですね
彼の生い立ちを聞いて印象が深かったためと思います
「鏡絵馬」の女性の表情のこと 面白い発想ですね
昔の人は辛抱強かったのですね 
現代人は直ぐに根を上げて仕舞いそうです

ムームーさんへ
こんにちわ
河合神社は女性に美しさを授ける神様とのことで
お参りの方の大部分はやはり女性でしたね
こんなに小さな庵を寂しい山中に置き社会とは
隔絶した中で生まれた「方丈記」の凄さが判りました

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