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2012年3月17日 (土)

源平ゆかりの地ウォーク (その4) 後白河天皇他

 今度は、鴨川を渡って今熊野地域に入ります。
この辺りから北の方には「後白河天皇のちに上皇・法皇(上皇が仏門に入られること)にゆかりの深い社寺がまとまってあります。
 皆さん、「後白河天皇」と言うより「法皇」の時代が印象深いと思いますが、
どの様な印象を持たれていますか?
以前大河ドラマで、平 幹二郎さんが演じられていましたね。
悪役的な、ユニークな役柄だった様に思います。
 今年の大河では、現在は天皇になる前の時代(雅仁親王)を松田翔太さんが、
ユニークな役柄で演じていますね。
なお、雅仁親王の父・鳥羽上皇は三上博史さんが、その子・崇徳天皇は井浦新さんが演じられています。
崇徳天皇と雅仁親王は兄弟と言うことになりますが、後年お二方は対立し争乱となります。

Img_1123a

「新熊野神社」(いまくまのじんじゃ)です。
永暦元年(1160)、後白河上皇によって創建された神社です。
 後白河上皇が院政を敷かれた時のお住まいは、後程ご紹介します
「法住寺殿」ですが、その鎮守社が、ここ新熊野神社です。
ついでに鎮守寺は、こちらも後程ご紹介します「三十三間堂」です。

 ↑は、「大樟(くす)の木」で、830年前に熊野から移植した後白河上皇お手植えの神木です。
健康長寿、特にお腹を守護する神、また安産の神としても信仰されています。
高倉天皇が、中宮徳子(清盛の娘)の安産を祈願したことが由来となっています。

Img_1118a
後白河上皇は、熊野信仰に篤く、33回も熊野まで行幸されたそうですが、上皇は熊野の神を勧請すべく、平清盛に命じ社殿を造らせました。
清盛は、熊野の土砂や材木を用いたり、那智の浜の青白の小石を敷いたりして、
霊地熊野を再現したとされています。

Img_1153a

「蓮華王院本堂・三十三間堂」です。
長寛2年(1164)、後白河上皇が清盛に命じて「法住寺殿」の一角に創建したものです。
木造建築では世界一の長さを誇り、柱と柱の間数が33あり、このお堂の名前となっています。

Img_1147a

↑に写っているのは、全体の約半分位です。
お堂の中には、中尊千手観音座像(国宝)を中心に千体の観音様が並んでおられます。
その様子は圧巻と言えます。

Img_1131a

「新日吉神宮」(いまひえじんぐう)です。
永暦元年(1160)に、後白河法皇が、その御所の「法住寺殿」内に比叡山東坂本の日吉7社(日吉大社)を勧請したのが、ここの始まりです。

Img_1137a

ご祭神は、後白河法皇のほか、皇居守護神山王7社などが祀られています。
酒造、医薬、縁結びなどの神として信仰されています。

Img_1139a Img_1138a
日吉の神の御使いとして、狛犬ならぬ「狛猿」が、社殿の前の両側に置かれています。
本殿の正面軒下にもお猿の彫刻があるそうです。

 次回も、後白河上皇ゆかりの地をご紹介します。
尚、源平ゆかりの地をウオークは、シリーズでご紹介しています。
  西八条第跡地(その1)(その2
 六孫王神社(その3

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地域 歴史」カテゴリの記事

コメント

;古都人さん
 こんばんは(*^。^*)
歴史の時間ですね!(^^)!
私は歴史に弱いですが、古都人さんの丁寧な説明を読んでいて
学校の先生より解りやすくて、勉強になります。

以前から、大河ドラマは欠かさずに見ています。
平 幹二郎さんは、ピッタリと言うか好きになれませんでした。
ご自分なりの役作りをされていたのでしょうが。

 さて、ご紹介の神社は名前も場所も知っていますが
後白河上皇が創建されたことは知りませんでした。
平清盛一族にも大いに関係の有る神社なのですね。
後日、この事もドラマの中で見る事(知る事)が出来るのでしょうね
愉しみです(*^。^*)
 三十三間堂はあまりにも有名で、柱と柱の間数が33有るは
知っていましたが、ここも同じく後白河上皇と清盛に関係が有るのですね。
新日吉神宮も・・
京都には縁の有る場所が多く有ったのですね?

京都に生まれて、育ってですが、知識に偏りが有る私です。
古都人さんのブログはそんな意味でも有り難いです。
じっくり読ませて戴きたいブログですね。

拙いコメントですみません(゚ー゚

こんばんは
 歴史は大好きで今回の源平ゆかりの地ウオークは愉しく拝見しています。
大河ドラマの影響も有るのですが、前から清盛に好感を持っています。
平 幹二郎さんが演じられた後白河法皇は嫌いでした。
ミーハー的な見方だと思いますが・・・

ブログを拝見していて、知らないことが多くて知る事の喜びも実感しています。
↑のコスモスさんも言われていますが、
詳しく優しく説明されて、何だかお話をお聞きしているように思います。
後白河天皇と平家一族、特に清盛との関わりがよく解ります。
 ご紹介の神社や三十三間堂など歴史を知ってお参りすれば
今までとは違った感じ方、感慨が有ると思いました。
これからもこの続きを愉しみに拝見します。

 私も拙いコメントですが、お許しください。
 

こんばんは
 京都には後白河法皇に関係した神社が多いのですね
平家一門の広大な邸宅が有ったことは
少しは知っていますし、想像は出来ますが
後白河法皇と京都についてはこれほど
様々な神社が有るとは知りませんでした。

歴史に基づいて訪ね歩く事の出来るのも京都ならこそですね
古都人さんの丁寧な説明を拝見しながらそんなことを思っています。

京都は歴史の宝庫と言われますが
地元の人間が意外と無関心なのかも知れませんね。
私だけかも知れませんが・・・


こんばんは (◎´∀`)ノ
記紀の時代の歴史はわりと知っているのですが、それ以降の日本史は・・・(^_^;;
お恥ずかしい限りですが、勉強が足りなさすぎる私です (。_。)
立派な大樟の木ですね。圧巻です。三十三間堂は小学校の修学旅行で訪れたことがあります。
どれ一つとして同じ顔がないそうですね。
狛犬ならぬ狛猿、そういえば、私もどこかの『日吉神社』で見覚えがあるような・・・?!

「京都府立植物園の花の回廊」も素敵ですね。
菜の花にストック、アイスランドポピー・・・、”春爛漫”ですね。
回廊の中は、とても良い香りが漂っていたのではないでしょうか?

;古都人さん
いつもありがとうございます。
後白河上皇と清盛の関わりなど興味
深く読ませていただいてます。
京都には縁の所が多くありますね。
三十三間堂あたりを歩くのは大好きです。
こういうふうに教えていただくと良くわかります。
歴史を辿るのはわくわくして気分が高揚します。
嬉しいですわぁ。

こんにちは

狛猿とは珍しいですね。
顔はきりりとしてもお座りが子どものよう。
理由があっての金網なのでしょうが
たまには伸び伸びしたいでしょう。

三十三間堂素晴らしいですよね。
数年前の二月、参拝客が私ひとりだったことがあります。
圧倒的な存在感を持つ仏様に涙が出ました。

京都はどこも深く歴史が刻まれていて
何度でもゆっくり歩き回りたい都です。

コスモスさんへ
こんばんわ
今日は一日外出していましたので今になってしまいました
知識に偏りがあると仰っていますが大抵の人はそうではないでしょうか
私も大いに偏りがあります 年と共に偏りが拡大と言うよりも幅が狭く
かつ深くなってしまいますね それで良いと思います
人それぞれにお気に入りがあってその幅は狭くとも深まって行くと思います
得手不得手あってこそ人間だと思います
私もコスモスさんに教えられることは大いにあると思っています

taekoさんへ
こんばんわ
今日は一日外出していて今になつてしまいました
遅くからお邪魔します
歴史が大好きとのこと 私もそうです
幅広く それとも特定の時代に絞って どちらなのでしょうね
大いに関心があります
私は全般的にも好きですが 特にと言われれば古代・戦国時代
それと幕末から明治の初め辺りです それそぞれに理由はありますが
やはり時代小説や歴史小説の影響は否定出来ませんね
そこから実際はどうだったのか知りたくなり調べたりします

平田さんへ
こんばんわ
遅くからお邪魔しました
京都の場合 歴史の重層があって奥が深いと言われます
平安京以前から人が住んでいたと言いますし
遷都後も政治の中心が鎌倉・江戸に遷っても天皇さんが
おられましたからその影響は大きかったと思いますね
歴史に関心の有無は人それぞれですから興味のある
部分に目を向けられたら良いのではないでしょうか

慕辺未行さんへ
こんばんわ
慕辺未行さんが記紀の時代に関心を持たれた動機みたいなものが
あるのでしょうか 大変に興味があります
私も今 ある大学の生涯学習で記紀のことについて講座を聴いています
記紀の違い その背景 また中味など 興味深くお話を聴いているところです
決してお恥ずかしがられることはありません
三十三間堂は修学旅行の定番コースですね
独特のお堂ですから忘れられませんね
植物園の「花の回廊」 大変良い企画です 大いに助かっています

ムームーさんへ
こんばんわ
こちらこそ何時も有難うございます
後白河天皇・上皇・法皇と平 清盛とは結局宿命的な対立に
なってしまいますが 初めはお互いにその力を認め合っていた
のではないかと私は想像しています

雅美さんへ
こんばんわ
遅くからお邪魔します
お猿さんは山王権現の御使いと言われていますので
そのゆかりの地にはお猿さんはいますね
金網の中は狭くて可哀相ですね 何故か判りませんが
心ない人間が苛めるのでしょうね
京都観光の切り口として縦に切るか 横に切るか
縦とは社寺など 横とは時代別に と私は考えています
どの切り口でも楽しめるのが京都でしょうね

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