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2012年3月16日 (金)

源平ゆかりの地ウォーク (その3) 六孫王神社

 平安時代、平家は短期間ですが政権の座にありましたので、
京都市内には平家ゆかりの地が多くありますが、
源氏は政権を取った後は鎌倉に中心を移しましたので、
京都市内での源氏ゆかりの地は少ないです。

 その様な中で、この「六孫王神社」(ろくそんおうじんじゃ)は、
清和源氏ゆかりの神社です。
清和天皇の第六皇子貞純親王の子・経基王が賜姓源氏として、臣下となり源氏の始祖となり、代々が嫡流として続きました。
ここのご祭神は、その源経基で清和天皇から数えて6代目の孫と言うことから、
「六孫王神社」と名付けられています。
 この場所は、源経基の邸宅があった場所で、経基の子・満仲が応和年間
(961~963)に初めて社殿を建てたと言われています。

Img_1041a
鳥居をくぐって境内に入ります。割合広い境内です。
緩やかな石の太鼓橋を渡って、拝殿前に進みます。

Img_1021a
ここは拝殿ではなく楼門ですが、ここより中には入れません。
一部工事中の様でした。

Img_1023a
ここが拝殿ではないかと思われます。
その奥に本殿がある様です。

 ここは源氏発祥の地とも言われますので、源氏ゆかりの武将の灯篭の寄進があった様で、その中の1つです。
Img_1030a

灯篭の横には「新羅三郎二十世裔 川越城主・・・」と刻まれています。
「新羅三郎」とは、有名な源氏の武将です。

多分、柳沢吉保(五代将軍・徳川綱吉の大老)ではないかと思います。
他にも秋田城主・佐竹氏や盛岡城主などもありました。
徳川家も源氏の血筋を名乗っていましたから、我も源氏だと言いたいのでしょうね。

 協会の資料によりますと、
平家滅亡後、梅小路公園を含むこの辺りの土地は、源頼朝が譲り受けたそうです。
その後、源実朝(頼朝の長子)の母・北条政子が、実朝の妻に、この地を与えたそうです。

 その後、いつしか荒廃していたものを、元禄13年(1700)に北隣の遍照心院の南谷上人が、幕府に請うて再建し、寺の鎮守としたのが現在の社殿だそうです。
 次回は、鴨川を渡って東の地域にある、ゆかりの地をご紹介します。

尚、源平ゆかりの地をウオークは、シリーズでご紹介しています。
西八条第跡地(
その1)(その2

ここで1つ、お知らせがあります。
Img_1280a
このポスターは、現在京都市考古資料館で催されている展示のものです。
清盛の時代の発掘調査による出土品などが展示されています。
 例えば 平氏邸宅(西八条第)出土土器
      蓮華王院三十三間堂(清盛造営)出土瓦 など
白河から後鳥羽院政期(11世紀後半~13世紀前半)の平安京・京都の歴史を物語る出土品が、見られます。
入館無料、月曜日が休館です。

 

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