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2012年3月19日 (月)

源平ゆかりの地ウォーク(その5)後白河法皇他

 「後白河法皇」ゆかりの地が集まっている地域を歩いています。
 新熊野神社→三十三間堂→新日吉神宮と来ましたが、
その中心の地は後白河上皇の離宮であった「法住寺殿」で、
後白河上皇・法皇の院政の本拠地です。

Img_1145a
「法住寺殿」跡に建てられたお寺です。
こちらは山門ですが、右隣にも入り口があります。↓

Img_1146a
こちらの門は、「後白河天皇陵」の旧門とのことです。
後ろの建物が本堂です。

Img_1143a
「後白河天皇法住寺陵」です。
先にご紹介した「法住寺」の裏手にあります。
ここには、後白河天皇のほか、江戸時代の7人の皇子達も葬られています。
何故か世代が離れていますが、不思議な感じです。
後伏見・後陽成・後水尾・霊元・東山の各天皇の皇子達です。

 ここから少し北に歩いて、「六波羅」地域に着きました。
今は簡単に「六原」と書きます。

Img_1161a
この地域の中心にある「六波羅蜜寺」(ろくはらみつじ)です。
天暦5年(951)に空也上人によって建てられたお寺ですが、
往時は寺域も広く、平家の邸宅や鎌倉幕府の探題などが置かれました。

 ここには平清盛ゆかりのものがあります。
 先ずその1つ。
Img_1163a

この寺にある「平清盛・座像」です。
掲示されているところから、拝借しましたが、鋭い眼光に引き寄せられました。
お経を広げている姿です。

 それともう1つは、本堂の横にありました。

Img_1171a

「平清盛公乃塚」です。供養塔と思われます。
何時頃のものか?かなり石が風化していました。

 その他境内には、「此付近 平氏六波羅第・六波羅探題府跡」の石碑が建てられていました。

 初めこの地に平家一門の邸宅が、いっぱい建ち並んでいました。
その名残の町名が付けられています。
例えば、三盛町・池殿町・門脇町などです。
 平家一門が去った後、源氏はここに鎌倉幕府の出先機関として、
六波羅探題を置き、都の監視に当たりました。
 従ってここは、源平盛衰の史跡の中心であることを、物語っています。

 少し足を伸ばして「六道の辻」の「珍皇寺」へ行きました。番外です。

Img_1180a

 ここ「珍皇寺」の辺りは、葬送の地で、清盛の死後この辺りで「荼毘」に付されたとの、「平家物語」の記述があるそうです。

 尚、源平ゆかりの地ウォークはシリーズでご紹介しています。
西八条第跡地(その1)(その2
その3)六孫王神社
(その4)後白河天皇他

 「源平ゆかりの地」は、まだ他にもありますので、これからも探して訪ねてみたいと思っています。

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地域 歴史」カテゴリの記事

コメント

古都人さん
 こんばんは(*^。^*)
法住寺は雛祭の時にお訪ねしたことが有ります。
その時、境内の梅の花が可愛く咲いていました。
ここも後白河天皇に関係が有ったのですね。
 
六波羅蜜寺と聞けば平家ですね
これは私も知っています。
この辺り一帯が平家一門の邸宅だったのですね。
そして平家が都を去ってから源氏が六波羅探題を置き
確かに源平盛衰の史跡、栄枯盛衰でしょうか?
時の移ろいを感じます。
「珍皇寺」は夏に何度かお参りしますが清盛の死後
この辺りで荼毘に付されたとのこと、何となく解りますね。
ここには様々な物語が有りますね。
 今回の”源平ゆかりの地ウオーク”は大河ドラマの影響も有りますが、
とても魅力的なシリーズでした。
これから大河ドラマを見るのが愉しみです(*^。^*)

こんばんは
 愈々、源平ゆかりの地ウオークも最終回ですね。
今、大河ドラマを愉しみに見ていますが、このシリーズで身近なものに思えました。
京都に住む私たちは、その気になれば
何時でも京都における平家一門や後白河法皇の足跡を訪ねることが出来ますね。
色々興味深い所が有りましたが、六波羅地域は特に興味が有ります。
やはり源平盛衰の場で有るからでしょうね
六波羅の地にたって、平家一門の無念を忍ぶのも歴史の一つですね
歴史は繰り返す、確かに時代の移り変わりは仕方ないと思いますが、
平家も源氏も頂点で居られたのは短かったのですね。
 毎回丁寧に語り口調でとてもよく解りました
ありがとうございます。
 
これらは、出来れば”平家ゆかり”の場所のご紹介をして頂ければ嬉しいです。
平家ファンの一人として
 

こんばんは
私は元々源氏も平家も特に好きでは無かったのですが
大河ドラマの影響と今回のご紹介で平家のファンになりました。
 平 清盛の坐像に見惚れています。
今の人には無い顔ですね
気迫が感じられます。
そして、供養塔にもお詣りしたいとそんな事を思っています。
六波羅蜜寺の有る場所に立ち、平家の無念さ
源平盛衰の史跡の中心だった場所に立ち
当時の様子を思い描き、歴史を感じられたら
嬉しいと思いますが・・・
 私も↑のtaekoさんと同じです。
平家ゆかりの地をご紹介して頂ければ有り難いです。

 毎回拙いコメントですみませんでした。

こんばんは
遅くにごめんなさい。

数日後に控えた京都旅は
蹴上のホテルを拠点に
このあたりを散策する予定なんです!

この地に込められた思いを知ることができて
一層興味深い旅になりそうです。
ありがとうございます。

六波羅蜜寺の空也上人像にはいつも激しく感動します。


古都人さん
いつもありがとうございます。
後白河法皇の権勢が感じられるところですね。
平家のあとに源氏が移り住むって
栄華盛衰、歴史の移り変わり、何かロマンを
感じます。
こうして見せていただくと良くわかります。
今まで何気に見ていたものが感慨深く
思えるようになりました。

コスモスさんへ
こんにちわ
今日はお彼岸の中日 まだ空気はひんやりとしますが
そんな中にも春めいたものを感じます
例年の暑さ寒さも彼岸までとは少し違う今年です

今の六原の状態から栄枯盛衰を辿った六波羅の様子は
想像も付きませんが それらの歴史があったことは
紛れも無い事実です
それらの史跡が長い年月を経て今日の姿になった経緯が
知りたいものですね
先日も京都アスニーで京都の古地図の講座を聴きましたが
京都は第2次大戦の戦火は殆ど無かったものの度々の
大火には襲われているとのことでその結果の市内の変貌は
大きなものがある様です

taekoさんへ
こんにちわ
今回の源平のシリーズは一旦終わりますが
ゆかりの地はまだまだありますので
続けたいと思っております
ご希望の平家ゆかりの地も嵯峨や大原にあります
実は京都府ウォーキング協会の歩きの会では あと2回
それらの地を歩く予定と聞いております
それ以外のところも調べて訪ねたいと思っているところです

平田さんへ
こんにちわ
そうですね 清盛の表情には感銘を受けますね
どれだけ本人に近いのか判りませんが
苦悩する清盛と私は思いました
平家ゆかりの地は京都市内にはまだまだありますので
これからも続きをご紹介したいと思っております
大原や嵯峨などもあります

雅美さんへ
こんにちわ
いよいよ京都にお越しの日が近付いて来ましたね
蹴上付近ですと北に行っても南に行っても観るべき
ところは沢山ありますよ
何泊されるのか判りませんがしっかりと京都をご堪能
くださいませ
六波羅蜜寺の空也上人像は不思議なお姿ですね
私もそう思いました

ムームーさんへ
こんにちわ
平家が都を去るとき 西八条第には火を付けて
西国に行ったのは事実のようですが
この地・六波羅はどうしたのかは判りません
多分西八条第と同じではないかと想像します
ですから源氏がここに探題を置いたのも広大な
空地があったのかも知れませんね
それと一般民衆に権力者の交代を知らしめたかった
のかも・・・
そんなことから一般民衆は武家達の栄枯盛衰を
目の当たりにしたことでしょう

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