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2012年1月12日 (木)

京都・二条城庭園のお正月公開に行きました(二の丸と本丸)

 京都・二条城庭園の「お正月公開」が行われたので、行って来ました。
 この催しは、普通は4日までお休みのところを、2002年度から年末年始に京都に来られる方のために、2~4日の間庭園のみを公開すると言うものです。
二の丸・本丸・清流園の庭園を観て回りました。

Img_0191a
 いきなりで申し訳ありませんが、去年の台風で一部の壁が剥がれた「東南隅櫓」の修理が始まるようです。
櫓の上層部の壁ですが、他の箇所も何か修理をされるのかも知れません。

Img_0199a
「史蹟 舊二條離宮 二條城」とありますが、そのことについては最後にお話させて頂きます。

Img_0195a
「東大手門」(正門)です。
人の背丈以上ある門松は、例年通りですが、色彩的に少し寂しく感じました。
午前10時の開門直前の様子です。

Img_0201a
「二の丸庭園」の一部です。
「唐門」をくぐり、二の丸御殿の前を通って、「塀重門」を通って直ぐに広がる庭園です。
武家の庭園らしく松を中心としたお庭ですが、手入れが行き届いています。  この先には、池を巡らした庭園が続きます。

Img_0202a
その途中にあった、かなりの古木です。
何の木か判りませんが、大変太い幹周りです。
二抱えはあるかと思います。

Img_0212a
池の北端にある「蘇鉄」もすっかり冬の装いでした。
「二条城の冬の風物詩」とのことです。

Img_0218a
「本丸庭園」の一部です。こちらも松を中心とした、豪壮な感じのお庭です。
この右手には、本丸御殿があり、左手に行けば天守台跡に行けます。

Img_0219a
「本丸庭園」の左側には、こちらも武家庭園らしい大きな松の木に、
豪壮な灯篭が置かれています。
手前の木は榛松(はえまつ)でしょうか。

 この後は、新しく造られた庭園「清流園」に向かいました。

 さて、冒頭に申し上げました通り、石柱の文字に関することについて
石柱の横に立つ「説明板」の「説明」を、そのまま年譜式に書いて見ました。
 ご興味があれば、ご覧願います。原文のままです。

 舊二條離宮はもとの二條城を以て之に充てられたるものにして 
昭和十四年十月離宮を廃止せられ特別の思召を以て
京都市に下賜あらせられたり
二條城は慶長年間徳川家康の築造に係る
徳川家光寛永三年九月後水尾天皇の行幸を仰ぎたり
慶應三年十月徳川慶喜此の城より上表して大政を奉還せり
明治元年正月朝廷此の城を収めて大政官代と為し
又明治四年六月京都府廰此處に置かるるや
同五年六月及同十年一月の両度 明治天皇臨幸あらせられたり
明治十七年七月離宮と定められ二條離宮と稱せらる
明治二十八年五月 明治天皇の行幸あり
大正四年十一月 大正天皇即位禮の際当城内の大饗宴会場に
行幸あらせられたり
城構は平城に属し本丸、二之丸等より成り周圍には濠を繞らし
本丸には天守臺、石垣等よく舊規模を存し其の郭内には明治二十六年七月舊桂宮邸より移築せる御殿あり 
二之丸には宏壮雄大なる二之丸御殿ありて其の結構比類罕なり

(私考~この説明板は石柱が立てられた昭和14年11月に、
文部大臣から
史蹟指定された時に作られたものではないかと思います)

 

 

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地域 歴史」カテゴリの記事

コメント

古都人さん
 こんばんは(*^。^*)
私もお正月に二條城へ行きました。
そして最初の東南隅櫓に足場が組まれていたのも
見ましたが、台風の影響だったのてずね。
門松の色彩が年々寂しくなるなあと思っていましたが
やはりそう思われたのですね。
 古都人さんのご紹介の二の丸庭園は私も撮りましたが
池を中心にして撮っています。
今、お写真を拝見していて
ここも本丸庭園も松を中心にして木々が立派なお庭を作ってるのですね
多分、私は関心が無くて何気なく見ていた
池だけに注目していたそんな気がします。
勿体ないことをしたものです。
他の方達も池を撮られていました。

そして、二條城の蘇鉄に菰が巻かれているのに冬の到来を感じていました
勿論、写真は撮りましたが・・・。
 
 石柱の横に立っていた説明文は現場では見なくて
今、初めて拝見しました。
詳しくは解りませんが、大体の意味は解りました。
どうして説明板は誰にでも解る言葉に直して書かれないのか
やはり理由が有るのでしょか?
私には折角の説明が勿体ない気がします

 いつもの事ですが、古都人さんは、丁寧に書かれていて学ぶこと多かりきです(*^。^*)
 

こんばんは (^o^)/
二条城庭園、さすがに落ち着いた雰囲気ですね。
常緑樹の緑も目に鮮やかです。松の木の姿も風情が感じられます。
ソテツは、雪囲いされているのですね。これも庭園の植物を守るためですね。

おはようございます
 お正月に二條城へ 何と贅沢な新年を迎えられましたね。
初詣も平安神宮など・・・京都ならこその贅沢ですね。
 
門松は確かに年々色目が地味になりました。
今年は特に気を遣われたかも知れませんね
二條城の庭園で何を撮るかと言えば
やはり池が中心になるように思います。
カメラマンも池に向けてシャッターを押されていると。
今、お写真を拝見して、
松を中心に木々が素晴らしいお庭を作っていることに驚いています
時々二條城を散策しますが今まで一度も興味を持って見たことは有りません
建物や池ばかり見ていたことに改めて吃驚しています
目線を変えればこれまで見えなかったものに気付くかも知れませんね。
 植物園でも蘇鉄に菰が巻かれているのを見ると
冬を思いますが、二條城でも風物詩になっていたのですね

古都人さん
おはようございます。
いつも温かい言葉をありがとうございます。
二条城はバスから見えるだけでも、何か
嬉しくなるそのようなお城ですね。
こうして説明を読ませていただくと良くわかりますわ。
年に1度は必ず行くお城ですが、新たな発見が
ありますね。
蘇鉄の菰は風情がありいいものですねぇ~

コスモさんへ
こんにちわ
松は武家にとっては象徴的な存在ではないかと思います
お城の中の藩主の周りにも障壁画などに豪壮な松の絵が
描かれていますね
武家の庭園も多分同じ様な発想だと私は思うのです
説明板の文章が文語体になっているのは当時の国の権威
見たいなことによるためと私は思います
当時のままの説明板をそのまま残しているのも二条城の
権威ではないでしょうか
どこかに京都市が作った駒札形の説明板がある筈です

慕辺未行さんへ
こんにちわ
さすがに二条城は将軍家のお城だと思います
豪壮ながら絢爛豪華な造りです
当時の一流の庭師や絵師などを総動員して
造ったものです
今の京都迎賓館の建設と同じ考えではないでしょうか

taekoさんへ
こんにちわ
武家の庭園と言えばやはり豪壮な松を中心とした作庭でしょうが
一般的に言えばやはり眼は池を中心としたお庭に眼が行ってしまいますね
日本の古くからの作庭が池泉回遊式が多いためでしょうか
判り易くもありますしね
冬の樹木の覆いは冬を感じさせる演出ですね
実際には樹木の保護が第一なのですが・・・

ムームーさんへ
こんにちわ
京都に二条城があって良かったと言った感じですね
歴史的には二条城はその最初と最後に大きな波乱があった
お城ですがそれらのことを呑み込んで静かな佇まいを見せていますね
観光資源としても立派にその役目を果たしていると思います

年末年始に京都へ出かける方にとっては
ありがたい話です。
でも、この説明文を読まれる方は殆どいないと思われます。
修学旅行生にも理解できるような説明文も付け加えては・・・

滋賀県もよく出かけましたよ。
冬は箱館山にスキー
秋は蓬莱山 花折峠からの登山、帰りはカーレーターで
(山頂で飲んじゃうため)
彦根城、近江八幡、比叡山、余呉湖、書けない所など
長浜、安土城は行く機会がなかったので、訪れたいところです。

歌は音痴ですが、声がかかれば琵琶湖周航の歌を歌います。
この歌、好きですね~。

maetetuさんへ
この説明板は私が推測するに一つの文化財として
そのまま残しているのだと思います
京都市では駒札形の観光名所説明板を有名な場所には
必ず立てていますので二条城にもどこかにある筈だと思っています
一度探して見ます もし無ければ係りの人に聞いて見ます
そして提案もします
滋賀県も含めてあちこちの思い出の地を書いて頂き有難うございます
随分あちこちにお出掛けだったようですね
琵琶湖周航の歌 私も大好きです 私も音痴です

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