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2011年12月 1日 (木)

国宝・二條城内を歩く (その1)

 今年も「二條城お城まつり」が、11月23日まで催されていました。
その中で「二條城建物めぐり」と言うガイドツアーがあることを知り、
先月の12日朝9時過ぎに集合場所に行ったら、既に満員締め切りとなっていました。

 それならば已むを得ません。自己流で遣るしかありません。
では、オーソドックスに「東大手門」前から、スタートしましょう。

Img_3730a
「東大手門」、二條城の正門です。
既に開門していましたが、人がいない時をねらって撮りました。
真正面からは、幅が大き過ぎて納まり切らないのです。
これでも左端は松の枝が邪魔をしていますね。

 南の方から来て、「東大手門」に入る手前に見えるのが「東南隅櫓」です。

Img_3723a
櫓の上の妻の漆喰壁が、9月の台風で、少し剥がれ落ちました。

Img_3731a
「東大手門」を入って、右側には「番所」があります。
間口10間、奥行3間の切り妻造りの建物で、現存する城郭の番所は全国的にも少なく、貴重な建物とのことです。

 徳川将軍が不在(ここに)の時は、幕府から派遣される「二條在番」と呼ばれる武士たちが、
宿直・警備していたそうです。

Img_3733a
「番所」の中を覗くと、ご覧の様なイケメン武士たちが見えました(笑い)。

Img_3735a
「東南隅櫓」をお城の内側から見てみました。
櫓の下の方は土盛がされています。

 前進(西に向かって)しますと、やがて右手に「二の丸御殿」の「唐門」が見えて来ます。

Img_3737a
見た目は地味ですが、装飾性に優れた「唐門」です。

 「唐門」をくぐると、正面に「二の丸御殿」の大きな建物が目に飛び込んで来ます。

Img_3739a
「車寄」 「遠侍」 「式台」 「大広間」と左に雁行に並んでいます。
こちらは、内部の参観が出来ますが、今回は外観に徹して進行します。

続いて左手に進みますが、次回のご紹介とさせて頂きます。

尚、「国宝・二条條内を歩く」はシリーズでご紹介しています。
その2)(その3)(その4
 です。

 「二條城」について
 このお城は、市中にあるもので、徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けるために、その居館として築かれたものです。
 慶長8年(1603)3月、征夷大将軍に任ぜられたばかりの家康が、
拝賀の礼を挙行するために、はやばやと入城しています。
 以後、二條城は、主として徳川幕府の儀典の場として利用されて来ました。その後、秀忠・家光とここに来ていますが、それ以降久し振りに家茂が上洛した時と、最後の将軍・慶喜が、ここで大政奉還しています。
 奇しくも二條城は、徳川幕府の最初と最後の舞台となった訳です。
明治後、一時離宮ともなりましたので、「元離宮二條城」とも呼ばれています。
 国宝や重文ともなっていますし、世界遺産(文化)にも登録されています。

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地域 歴史」カテゴリの記事

コメント

古都人さん
 おはようございます!(^^)!
すっきり晴れ渡った青空に浮かぶ?二條城の姿、素晴らしいですね。

 私も同じころに訪れましたが
お庭の写真だけを撮ってブログに載せました。
やはり古都人さんは違いますね。
知っているつもりの二條城でしたが
詳しい記事を順番に拝見して
知らない事の多さに改めて驚いています。
「番所」の建物は何度が通りすがりに見ていますが
名前は知らずにいました。
全国的にも少なく貴重な建物なのですね。
 二の丸御殿は立派な建物ですが、「車寄」「遠侍」「式台」「大広間」と
左に雁行に並んでいることもうっかり眺めています。
 今回古都人さんは内部はご覧になられなかったとの事ですが
私も随分長い間拝見していません。
今日ご紹介して頂いたことをキッカケに、もう一度出かけてみようと思いました。
何時でも入ることは出来るのですか?

二條城は徳川家の最初と最後の舞台となってのですね
改めて二條城の歴史の長さと重みを感じます。

おはようございます
私は二條城のお城まつりは結局一度も行けませんでした。
色々な催しが有ったのですね。

”二条城”と思っていましたが”二條城”なのですね。
今まで本当に気付かず吃驚しています。
何十年間違って使っていました。
恥ずかしいです。
こんなことは初めてでは有りませんが、間違いに気づいてよかっだです。

 私も↑のコスモスさんと同じです。
知っているようで実は全く知らない、それが御所と二條城のような気がします。
京都に住まいしていて恥ずかしいですが、写真と丁寧な記事を拝見して
改めて、歴史の古さや建物の素晴らしさに感動しています。
京都に二條城が有って好かったとしみじみ思います。
 近くに有っても中々行かない・・・勿体ないことをしています。

コスモスさんへ
二條城は初めに徳川家康が造った時は京都御所に相対峙する形で造ったようですが
次第にその様子が変って行ったように思います
徳川幕府による禁裏に対する圧迫見たいな形が幕末まで続きましたからね
徳川将軍が京都に来なくなってからもお城の存在感が常に御所や公家を締め付けていた
のではないかと思います その反発が幕末に一挙に噴出したのでしょう

taekoさんへ
お早うございます
條が条でも良いと思いますよ そんなに恥ずかしがって頂かなくても・・・
当用漢字は確か「条」だと思いますよ
京都に二條城があって良かった とは良くぞ言って頂きました 有難うございます
京都御所には一般公開の時以外申し込みをしないと拝観出来ませんが
二條城は入城料さえ払えば 何時でも簡単に入れますからどうぞ
いらしってくださいませ 見るべきところは一杯です

古都人さん
いつもありがとうございます。
二条城って素晴らしい建築でいつ見ても
見飽きませんね、バスから見えるだけでも
嬉しくなります。
徳川幕府の最初と最後の舞台っていう歴史も
素晴らしいですねぇ~
見せていただいて嬉しいです。

今日は昼ご飯に間に合うように行きます。
温かい言葉に感謝しています。

ムームーさんへ
こんにちわ(こんばんわには少し早いかなと思いまして)
そうですね 二條城は堀川通を通るバスから見えますものね
(京都御所はそうは行きませんものね)
特に東南隅櫓が良く見えますね
何かとお忙しいのにご覧頂き かつコメントも頂いており
済みません 有難うございます

こんばんは (^o^)/
家康は江戸に幕府を開いただけではなく、京には二条城を築いたのですか?!
大政奉還もここで行われたということは、その当時は天皇の居城もこの二条城だったのでしょうか?
んっ?明治維新で江戸を東京と改め、日本の首都となりましたが、江戸時代までは都はずっと京都だったのかな?
よく考えたら、日本史について本当に疎い自分に気づかされました (^_^;;ハズイ

慕辺未行さんへ
お早うございます
大政奉還の宣言を二条城で遣っただけですね 天皇さんは御所に
おられました 
都を天皇さんのおられるところとすれば明治の遷都までは都は京都
にあったと言えますね
唯 政治の舞台は江戸幕府に移っていますから京都は政治の中心
だったとは言えませんね

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