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2011年12月23日 (金)

京の表鬼門と裏鬼門を訪ねて歩く

 皆様「鬼門」(きもん)ってご存知でしょうか?
「鬼門」の由来については、最後の方でご紹介します。
 
京の表鬼門は東北の方向とされていて、それを封じ込めるための装置(すなわち鬼門封じ)を幾つか訪ねて歩きました。
  又、裏鬼門は東北の反対側・西南の方向となります。
今回の歩きは、京都府ウォーキング協会の主催によるものです。

 まず「比叡山」です。「宝ケ池」から撮ったものです。

Img_4469b
実は、平安京にとって東北にある「比叡山」は「鬼門」なんです。
ですから、王城鎮護のために「比叡山」に「延暦寺」が置かれました。

 その「比叡山」の麓近くにある「赤山禅院」(せきざんぜんいん)も、
「表鬼門封じ」の場所の1つです。
Img_4472a


この建物の屋根には・・・
Img_4474a
お猿さんが、御幣と鈴を持ってすまし顔で納まっていました。
猿は申(さる)と同義で、西南西の方位を示します。
この方向は、表鬼門の反対に位置し鬼門を封じると信じられていて、
多くの鬼門封じに、お猿さんが置かれているのです。

 次は「幸神社」(さいのかみのやしろ)です。
Img_4490a
「幸神社」の絵馬です。
ここにも、お社の横手にお猿さんが座っていました。
Img_4491a
お社の横がうす暗くて、判り難がったのですが、お猿さんが右の方を向いて座っていて、手に御幣を持っています。
絵馬と同じ様な格好をしている様ですね。

 表鬼門封じの最後の場所は、京都御所内です。

Img_4496a
御所の東北の角には、この様な形に造られています。
鬼門を避けた形ですね。
そして、左手の切り妻の屋根の下にも、鬼門封じのお猿さんが置かれています。

Img_4497a

 金網の中に、こちらも右を向いて、白い御幣を担いだお猿さんが座っています。
なんでも金網を張って置かないと、お猿さんが逃げ出すとか。

 この辺りを「猿ケ辻」と言います。
幕末、倒幕派の公卿・姉小路公知が暗殺された場所でもあります。

 この後は「裏鬼門封じ」の「城南宮」(じょうなんぐう)へ行くのですが、
私はもう足が痛くて、ギブアップしました。

 「鬼門」についてあれこれ、当日頂いた資料を使わせて頂きます。
(1)「鬼門」の考えは、古代中国の言い伝えで、紀元前5世紀頃、
古代中国では度重なる東北地方からの異民族による侵略や殺戮に苦しめられたため、異民族を「鬼」と呼び、それらが来る方向を「鬼門」と称しました。

(2)「表鬼門」と「裏鬼門」
「表鬼門」は「男鬼門」とも呼ばれ、鬼が入って来る方向=東北の角
「裏鬼門」は「女鬼門」とも呼ばれ、南西の角を指します。

(3)京都の「表鬼門」
比叡山の延暦寺をはじめ、赤山禅院・吉田神社・幸神社などが鬼門封じを担っています。

(4)京都の「裏鬼門」
男山・石清水八幡宮をはじめ、城南宮・壬生寺などが裏の鬼門封じを担っています。

 現代では、皆様どの程度「鬼門」に関心をお持ちでしょうか、
余り気にもされていないのでは無いかと推察します。

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