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2011年11月23日 (水)

滋賀県大津市内を歩く (その2・義仲寺)

 昨日の続きです。
今度は、義仲寺の松尾芭蕉ゆかりのものを見てみましょう。
 やはりまず芭蕉のお墓ですね。

Img_3348a
芭蕉は、元禄7年(1654)大坂の旅窓(
旅の宿)で亡くなりましたが、
 「偖(さて)から(亡骸・なきがら)は木曾塚に送るべし。爰(ここ)は東西のちまた、
さざ波きよき渚なれば、生前の契深かりし所なり」
との遺言によって、遺骸をこの地に運び、ここに墓が建てられました。
 芭蕉は、義仲に対して深い思い入れがあったのと、
琵琶湖の傍で永久の眠りに付きたいと思ったのでしょうね。

Img_3352a
境内の右奥には、「翁堂」(おきなどう)があり、
芭蕉の座像が安置されています。

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正面の像が芭蕉です。
 左右には弟子の丈艸居士・去来先生の像も安置されています。
また壁の周りには36俳人の画像も掲げられています。

Img_3359a
お顔をじっと見ていると、右の目が異様に睨み付けています。
手には扇子を持っています。
それに因んで毎年「奉扇会」が執行されているのことです。

Img_3357a
お堂の天井には、伊藤若沖の「四季花卉の図」が描かれています。

Img_3367a
 芭蕉・桃青の有名な句
「行春(ゆくはる)をアフミ(近江)の人とおしみける」の句碑です。

 さすが芭蕉のお墓があるお寺です。
20を越える歌碑・句碑が建てられています。

 「義仲寺」にお別れして、湖岸への道に向かいました。

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京都府外」カテゴリの記事

コメント

古都人さん
 おはようございます!(^^)!
改めて自分の無知無学を恥ずかしく思います。
芭蕉の最後の句、”旅に病んで夢は荒れ野を駆けめぐる”でしたか?
は、何となく芭蕉の生涯を見るような気がして心に響きました。
それくらいしか知りませんです。
どうして芭蕉は遺骸をこの地にと・・選んだのか?
と思いましたが、記事を拝見して解りました。

 翁堂は如何にも晩年の芭蕉に相応しい気がします。
翁堂の内部も一見の価値は有りますね。
手に持っている扇子は何を意味するのか?
お堂の天井の絵も是非拝見したいものです
20を超える歌碑・句碑も意味は解らないかも知れませんが
読んでみたいものです。
 歴史を学ぶ上でも義仲寺の素晴らしさ、この言葉は相応しく無いかも
知れませんが、正直な感想です。 
そして俳人・松尾芭蕉の人柄のようなものも、少しは知ることが出来ました。

訪れたい場所が一つ増えましたヽ(^o^)丿

おはようございます
二回に分けての義仲寺のご紹介
私も知らない事ばかりで、勉強させて戴きました

芭蕉のお墓が何故ここにと思いましたが、説明を拝見してよく解りました
義仲への深い思い入れと琵琶湖の傍で永久の眠りに付きたい
何となく芭蕉のお人柄が想像できますね
今まで知らなかった(殆ど知らないと言えますが)芭蕉の一面を
知ることが出来て嬉しく思っています。
翁堂も数々の句も是非拝見したいものです。

 いつも思いますが、古都人さんのブログは詳しく説明されていて、とても勉強になります。
改めてありがとうございます。

この後は湖岸に出られたのですね。
どのような湖岸をご紹介して頂けるのか、楽しみにしています。

古都人さん
おはようございます。
いつもありがとうございます。
芭蕉の眠る地、派手さもなく素晴らしいところですね。
生き方そのものが感じられますねぇ。
翁堂とてもいいものですねぇ。

自然を愛し琵琶湖を愛した芭蕉ならではの
縁のお寺ご紹介から良くわかりました。
湖岸はどのあたりを散策されたのでしょう~
琵琶湖はどこから眺めてもいいですね、楽しみです♪

コスモスさんへ
松尾芭蕉は近江はお気に入りの土地だったようですね
特に膳所や石山・堅田には友人や弟子達と2度も来ています
風光明媚が句作りに適していることもあるのではないでしょうか
それと木曾義仲に対する思い入れが少し異常とも思える
何かがある様に思います
悲劇の武将・義仲に対する憐れみの感情?もあるのかなとも
思ったりします

taekoさんへ
お早うございます
松尾芭蕉のイメージとして強いのは「奥の細道」ですが
近江 特に琵琶湖の南岸辺りがお気に入り見たいだった様に
感じます それと木曾義仲に対する思い入れとが
自分のお墓をここ義仲寺に指定したのでしょう
木曾義仲の悲劇性に何か憐れみ見たいなものを
持っていたのかとも思いますね

ムームーさんへ
お早うございます
松尾芭蕉は全国あちらこちらと歩いている人ですが
(そんなことから忍者説もありましたね)「奥の細道」の
東北だけでなく近江にも2度も吟遊に来ていますね
風光明媚な琵琶湖もお気に入りだったみたいです
ここ膳所・石山・堅田など句作りには適した場所
だったのではないかと思いました
それに木曾義仲に対する芭蕉の独特の想いも大きかった
のではないでしょうか

こんばんは (^o^)/
木曽義仲も松尾芭蕉も、大津にゆかりがあるとは知りませんでした。
前にも書きましたが日本史は、記紀の時代の頃以外は全くダメでして・・・!
木曽義仲はこの地で亡くなられたのですね。時代祭りの行列にも出てきます巴御前が、
木曽義仲の妾だったとは、これも知らなかったです。
芭蕉の出身地、伊賀上野の街は2~3度歩いたことがあり、芭蕉ゆかりのところも見て回りました。

慕辺未行さんへ
お早うございます
実は私も初めて義仲寺のことを知った(もう数十年も前のことですが)時には
木曾義仲と松尾芭蕉との繋がりを知って その意外性に驚きました
高校時代文芸部に入っていて よく先輩に連れられて芭蕉ゆかりの地
を訪ねて歩きました 石山に幻住庵と言う芭蕉ゆかりの庵があります

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