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2011年10月21日 (金)

みどりの散策ツア~地蔵院から旧山陰街道・そのⅡ

 昨日の続きです。
山口家住宅を後にして、訪れたのは”天皇の杜古墳”です。
 古墳時代前期(4世紀代)に築造された、
市内最大級の数少ない前方後円墳(全長83メートル)で、
当時桂川右岸を支配していた豪族の墳墓と推定されます。
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樹木が植えられた、小高い丘のようです。
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大正11年に国の史跡に指定され、京都市では昭和56年から発掘調査と整備を行い、平成6年に史跡公園としました。

 いよいよ最終の目的地・旧山陰道の町並みに入ってきました。
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 樫原本陣「玉村家住宅」です。
江戸時代、参勤の諸大名が宿舎とした「本陣」が置かれた住宅です。
京都市内で唯一残る本陣址で、京都市指定有形文化財となっています。

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江戸時代の米蔵です。ここの町並みに違和感が無いのが嬉しいです。

Img_0495
油壷が展示されていました。
↓は立看板に書かれていた説明です。
「樫原は旧山陰街道沿いの、大名行列が入洛する直前のの宿場町である。
幕末の頃、当家の当主、小泉仁左衛門は長州藩ご用達の油商を営んでおり、展示している油壷は当時のものである。
 仁左衛門は尊皇攘夷を論する私塾を開き、森田節斎や梅田雲浜など、新進派の学者や武士も出入りしていたが、
1864年に「蛤御門の変」が起き、長州藩が薩摩・会津の幕府軍に敗れ、長州藩士梅本遷之助ら3人の若き志士たちも、
この付近の樫原札の辻で殉死している。」

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旧山陰街道の町並みは続きます。

Img_2212 

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旧山陰街道に名残を惜しみつつ、無事、阪急電車桂駅に到着しました。
  
 9時にスタートして12時過ぎに最終地点に到着。
約3時間・9.3キロの散策ツァーでした。


 

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