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2011年9月29日 (木)

京都府北部・丹後の宮津市への旅(その4)旧三上家住宅

城下町を訪ね歩いた後は、宮津市内の国の重要文化財「旧三上家住宅」を拝見しました。

 当家は、本家四代三上宇兵衛の次男・勘兵衛が安永5(1776)年に分家して、今の地に屋敷を構えたのが始まりです。
天明年間に焼失したそうですが、直ぐに再建されたとのことです。
建物の各所に徹底した防火対策が施されていました。

Img_9672a_2
 
割合に海に近い場所に建てられています。
旧住宅の正面です。右端は酒造施設、妻入りの部分が主屋、松の木が見える部分が迎賓施設、
その間が新座敷です。
また、左に少し見える建物は現在の三上家の住まいです。

Img_9643a
「ミセ」(商売部分)から、「ミセオク」を見たところです。

Img_9644a

迎賓施設の玄関を入ったところの「式台」です。
1838年に幕府巡見使を迎える際、本陣としての形を整えるために造られました。

Img_9651a
「庭座敷」です。メインの客間に相応しい造りになっています。

Img_9648a_3

京都府指定名勝「三上家庭園」です。
「庭座敷」からの座敷鑑賞を主として造られていますが、いろいろな石が多く使われています。

Img_9662a
隠れた見所として「釘隠し」が、部屋ごとに違う模様で付けられていました。
その1つです。

Img_9665a
頑丈な梁が、いくつか見られます。

Img_9664a

梁の下は、酒造りのスペースです。
左手は「酒造蔵」、右手には「麹室」などがあります。

 最後に「旧三上家」について少し、興味の有る方はご覧くださいね。

三上家の出自は明らかではありませんが、一説によると但馬国(兵庫県北部)を支配した守護大名・山名氏に仕えていたと考えられるそうです。

 その後、山名氏の内紛により、この地に逃れ、一時宮津藩に仕えたこともありましたが、のちに町人になったと伝えられています。

 町人となってからは、元結(髪のもとどりを結わえる”こより”)の製造・販売を手がけました。

 その後は次第に繁栄し、酒造業・廻船業や糸問屋などを営み財をなしたとのことです。そして、宮津城下屈指の商家となりました。

 宮津藩では、町名主として、町政にも重きをなしました。
また藩の財政にも深く係わったそうです。

 明治以降は、酒造業を中心とした経営に転換しました。
 
昭和初期には、宮津町長も努めるなど、宮津の政界・実業界で重要な位置を占めていたそうです。

 旧住宅は、平成8年に宮津市が購入し、12年から一般公開となっています。平成15年に、主屋をはじめ8棟が国の重文に指定されました。
   (
以上は、頂いたパンフレットにより)

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