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2011年9月19日 (月)

”ならまち”を歩く(花街界隈)

  花街のある元林院(がんりいん)町は興福寺近くの猿沢池西側に位置します。ここは古くから宿が立ち並ぶ一角でした。
1532年に元林院が焼失してしまった後、江戸時代には絵師が多く住むようになり「絵屋町」と呼ばれた事もあったそうです。
 明治時代からは「芸妓町」として栄え、芸妓さんが所属する「置屋」が十軒以上も営業していたとか。
大正から昭和初期の最盛期には、京都の花街に匹敵するほどの賑わいが有ったとの事ですが、今では芸妓さん13人、置屋3軒、奈良に花街のあることすら、知る人も少なくなりました。
実は私も散策マップを見て始めて知りました。


003 
写真の左側の建物は、以前の元林院の象徴と言われた料理旅館「明秀館」です。
002
同じく明秀館の二階です。

001 
「明秀館」の左側の建物もその名残を留めていますね。

ここから雰囲気が変わります。
1300_2
「絹谷家」です。明治時代からこの一帯は芸妓町として栄え、絹谷家も「萬玉楼」という芸者置屋さんでした。
建物は三棟の主屋からなっており、それぞれ大正時代の数奇屋風・江戸時代の町家・明治初期の町家と異なる建築様式となっています。

3011_2
「絹谷家」は今は”まんぎょく”と言うレストランになっています。

(「書道教室」の看板も見られました)。
三棟が連なっている様子が分かります?

3017
 
絹谷家の大正時代の建築と思われる部分です。
窓枠の切り方がレトロですね。芸者置屋さんだった当時は、ここから芸妓さんの姿を見る事が出来たかも知れませんね。
 今回は、事前に勉強が出来ていない為に、消化不良の記事になりました。
再度訪れて、ゆっくりここ「元林院」町を散策してみたいと思っています。

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