2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

お勧めブログ

無料ブログはココログ

« 京都・愛宕古道街道の灯し | トップページ | ”ならまち”を歩く(社寺編)(庚申さんと御霊さん) »

2011年9月19日 (月)

”ならまち”を歩く(史跡・社寺編)(元興寺)

 久し振りに奈良市内の「ならまち」を、「ならまち散策マップ」を片手に、ゆったりと散策しました。
 
「ならまち」は、江戸時代の末頃から明治時代にかけての町家の面影を今に伝える、落着いた風情を漂わせ、訪れた人に懐かしさを感じさせてくれます。
 行政地名としての「奈良町」と言う場所はありませんが、元興寺の旧境内を中心とした一帯を「ならまち」と呼んでいます(散策マップから引用しました)。私の奈良市内では一番のお気に入りの場所です。

 ここはシリーズでご紹介しますが、最初は「ならまち」の史跡や社寺についてです。
 
まず世界遺産の「元興寺」(極楽坊)を、ご紹介します。
「元興寺」(がんごうじ)についての詳細は、最後をご覧戴きますが、平城京にあって東大寺に次ぐ寺格であったようです。広大な寺域を持っていましたが、今は、ならまちの3か所(ここを含めて)で、その跡をとどめているのみです。
その中で、「極楽坊」は最大のスペースを占めています。
Img_0163ab_2
「世界遺産」の碑ですが、「極楽坊」の入り口に建っています。

入山の手続きを取って、山門を潜ります。
Img_0178ab

入って直ぐに目に入るのは、国宝の「極楽堂」(本堂)です。
昔の僧坊の一部だったようです。本尊は「浄土曼荼羅」です。
外観は、寛元2(1244)年の改修時の姿とのことです。

Img_0174ab
そして、その裏手に回って屋根を見ます。
”行基葺”と呼ばれる屋根瓦は、奈良時代の瓦などが今も使われています。
多分瓦の色が変色(赤茶けている)のが、それだと思います。
このお寺の前身の「飛鳥寺」から移建の時に運ばれたものだそうです。
右側の屋根が「極楽堂」で、左側の屋根は、国宝の「禅室」(僧坊)です。

Img_0176ab
これが、その「禅室」です。左手奥は、本堂の「極楽堂」です。
鎌倉時代に改築されているそうですが、主要な構造部材や礎石は、奈良時代の創建当初のものが残り、今も用いられているとのこと。
本堂と言い、このお堂と言い、凄いですね。
大切に使われて来たのですね。

Img_0167ab
2つのお堂の左側の境内には、この様に無数の石仏・石塔が並んでいます。異様な光景です。2500余基もあるとのこと。「浮図田」(ふとでん)と言います。「浮図」とは石仏類を総称して言うそうです。
寺内や周辺地域から集まったものだとか。
 鎌倉時代末期から江戸時代中期のものが多いそうです。
毎年8月23~24日の地蔵会には、万灯供養が行なわれています。

以上の「極楽坊」の他に、「ならまち」の中に残っているものは、次の2か所です。
Img_0191ab

 奈良時代(8世紀)の元興寺の「東大塔」跡(史跡指定)で、大きな礎石が残っています。五重塔で、高さは推定約50mもあったそうですが、安政6(1895)年に焼失しました。

 最後に、古都奈良の文化財の1つとして、世界遺産に登録されている
「元興寺」(がんごうじ)について、少しご紹介します。
興味の有る方はご覧下さいね。
 
このお寺は、真言律宗です。前身は飛鳥の地に建てられた「法興寺」で、地名から「飛鳥寺」と言われるお寺です。
平城遷都の時に、ここに移され寺名も今の「元興寺」と改められました。
奈良に移ってから、ここの僧侶たちは、諸大寺の学問をリードし、奈良の新京における指導権を握ったようです。
 
平安時代の前半期までは、南都七大寺の中でも、各方面で指導的な役割を果たし、数々の名僧を輩出しました。
 
しかし、その後は官寺としての衰退の道を辿ったようです。
鎌倉中期頃からは庶民の浄土信仰の中心となつて、生き残って来ましたが、寺地は大幅に縮小されました

 「元興寺」を後にして、この後も「ならまち」の社寺を訪ねて歩きます

« 京都・愛宕古道街道の灯し | トップページ | ”ならまち”を歩く(社寺編)(庚申さんと御霊さん) »

京都府外」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1153718/41749101

この記事へのトラックバック一覧です: ”ならまち”を歩く(史跡・社寺編)(元興寺):

« 京都・愛宕古道街道の灯し | トップページ | ”ならまち”を歩く(社寺編)(庚申さんと御霊さん) »