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2011年9月29日 (木)

京都府北部・丹後の宮津市への旅 (その3)城下町

昨日の続きです。 
 今度は
城下町の面影を訪ねて歩いています。
宮津城は残っていませんが、いくつかの城跡の表示などがありました。

 宮津城は、安土桃山時代に細川藤孝・忠興親子の築城に始まり、
その後江戸時代には京極氏が、城と町を整備。
何代かの藩主が変わった後、
最後は本庄氏(藩祖は将軍綱吉の母・桂昌院の弟)が明治まで至りました。
幕末の石高は7万石だったそうです。

 戦国時代の丹後守護・一色氏最後の領主義清が、この付近で自刃したと言われています。

Img_9617a

「一色稲荷」と言います。
謀略に倒れた一色氏の怨霊を鎮めるためのお社と考えられています。

 宮津城の石が、病院の構内にありました。

Img_9614a

後方の大きな石は、本丸入り口くらがね門の袖石垣の一つで、
手前の石は、大手橋橋脚の礎石との事です。

 宮津城の太鼓門が、宮津小学校の正門になっています。
Img_9631a

小学校の東側裏門に残っていたこの門を、この場に移築されたものです。

 大手川に沿って、宮津城の城壁が復元されています。

Img_9622a
大手川(昔の外堀)に架かる「大手橋」と、大手川沿いに城壁(左手)が復元されています。
右手奥の建物は、宮津市役所です。
 川の流れの美しさと静けさにほっと安らぎを戴いています。

 この市役所の近くには「大村邸跡」があります。

Img_9635a
ここは、藩政時代の武家屋敷跡
です。
もとは、藩医小谷仙庵が住んでいたそうですが、
昭和の初めに事故のために焼失し、長屋門だけが残りました。
長屋門の後方は大きな広場になっています。

 以上の他に、この周辺には、本丸跡(発掘調査済み)や三の丸跡などの表示板が立てられていました。

 

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