2015年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

お勧めブログ

無料ブログはココログ

« 京都における明智光秀ゆかりの地を訪ねて(その1) | トップページ | 京都における明智光秀のゆかりの地を訪ねて(その3) »

2011年7月17日 (日)

京都における明智光秀のゆかりの地を訪ねて(その2)

 昨日に引き続いて、「明智光秀ゆかりの地」をご紹介します。
午後昼食後も、北上が続きます。国道1号線を越えてから、渋谷街道の一部を通過し徐々に向きを北西に変え、旧東海道に入ります。急坂を上る途中にある「亀の水」です。
 東海道を往き来する旅人達が、きっとここで一息付いたのでしょう。
Img_2612

 暫く行くと、「旧東海道」の石碑がありました。
下は、国道旧1号線(三条通)です。
Img_2615
 
 国道旧1号線(三条通)に出ました。
Img_2616

 前方に進むと、三条大橋(東海道の終点)に到着します。この地点の左側に「牛車と車石」の展示があります。「ぎっしゃ」ではなく、「うしぐるま」です。
Img_2617
 近江から米などを積んだ荷車を牛に引かせたもので、石に車の巾の溝を彫った「車石」の上を通っていました。
少しでも牛が楽に荷車が引けるように考えられたものです。

 峠を越えると粟田口に至り、東大路通を過ぎて、やがて白川橋の手前を左折し、今回のもう1つの見所の「首塚」に到着します。
うっかりすると見過ごしてしまいそうな場所にあります。小さな立て札はありましたが。

 小さな祠には、光秀の木像と位牌が祀られています。
Img_2624

 その小祠の前には、光秀の戒名が刻まれた石碑が建っています。
戒名は「長存寺殿明窓玄智大禅定門」です。
Img_2622
 かっては、この祠の中に光秀の遺品と遺骨が納められていたそうです。
この石碑は、明治時代に光秀を演じた歌舞伎役者によって建立されたものです。
光秀の首塚は、谷性寺(亀岡市)と盛林寺(宮津市)にもあります。
人間の首って1つしかないのですが、どういうことでしょうか。
まして、主殺しをした人の首をこのように大事にして、3カ所にも祀ると言うのは、光秀の人望なのでしょうか。

 以前に行った亀岡市の「桔梗の里の谷性寺(こくしょうじ)」の山門と首塚は、下の様です。桔梗の花は、明智の家紋です。
Img_1843

Img_1835

 
約14Kmの行程も、漸く終りに近付いてきました。やや重たくなってきた足を感じつつ、京阪三条駅のゴールに到着しました。午後3時過ぎでした。
 

当日のウォーキングの様子はお終いですが、折角「明智光秀」に触れて来ましたので、もう1回番外編をご紹介したいと思います。
意外な方向に進展します。
 

« 京都における明智光秀ゆかりの地を訪ねて(その1) | トップページ | 京都における明智光秀のゆかりの地を訪ねて(その3) »

地域 歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1153718/40798100

この記事へのトラックバック一覧です: 京都における明智光秀のゆかりの地を訪ねて(その2):

« 京都における明智光秀ゆかりの地を訪ねて(その1) | トップページ | 京都における明智光秀のゆかりの地を訪ねて(その3) »