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2011年7月11日 (月)

京都市内の坂本龍馬ゆかりの地を歩く(その1)

 京都府ウォーキング協会主催の坂本龍馬シリーズ②(1回目は伏見地域)の「お龍(りょう)と龍馬」に参加しました。
 3月7日(日曜日)。13Km。
時々小雨が降る中でしたが、468名の参加者でした。

 スタートは梅小路公園で、今日のコースの見所を20分間ばかり、お話を聞いてから歩き始めました。今回は、主に「お龍」さんゆかりの場所です。

 まず始めは、七条新地にあった旅館”扇岩”があつた場所です。
今は勿論残
ってはいませんが、お龍が働いていたと言う所です。

 この場所は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の5月30日の放映分の中で出て来ましたね。龍馬が初めて「お龍」に逢ったと言う場所です。

Img_5756
その場所は全く判らないそうですので、それらしい雰囲気をご覧ください。

Img_5763

お龍の父・楢崎将作は、町医者ながら勤皇の志を持った人で、安政の大獄では捕われて「六角獄舎」(その場所跡は次回に出て来ます)に入れられていたそうです。文久2年(1862年)には、その父が亡くなりましたので、お龍は働かなければならなかった様です。

 つぎは、「方広寺大仏の南大門」です。お龍とは別に、母と妹はこの辺りにあったある人の隠居所で、土佐亡命志士の隠れ家に賄いとして住み込み働きました。
ここで龍馬とお龍とが出会いうきっかけとなります。

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「方広寺大仏(豊臣秀吉が建てたもの)の南大門」を内側から見たところです。
今では、方広寺からは大分離れていますが、それだけ方広寺の境内が広かったと言うことが判ります。この右手は所謂「三十三間堂」です。

Img_5640
この辺りは本瓦町と言います。二人の出会いの場所はどの辺りだったのでしょうね。右手に少し見えるのが、南大門の表側です。

(最近、この付近のゆかりの場所に、石碑が建てられたと知りましたので、一度その場所を訪ねて見たいと思っています)

 次は、龍馬とお龍が内祝言をあげたと言う場所です。その場所は金蔵寺と言うお寺だったそうですが、お寺は明治になって廃寺となりました。

Img_5774
今は、東山ユースホステルになっています。三条通に面しています。
手前に少し進むと白川に架かる橋になります。

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窓のガラス戸には、こんな写真が貼ってありました。
龍馬の写真は、有名ですね。お龍さんの写真も数年前に、「そうではないか」と言われていました。ガラスに余計なものが写っていて、見難くて済みません。

 次は、有名な祇園のお茶屋「一力」です。
龍馬とお龍は扮装して、ここで豪遊したとか。

Img_5646
四条通(手前)と、花見小路(右手奥へ)との角にあります。
雨がやや激しく降って来ました。

Img_5648
一力亭の玄関です。
「都をどり」のポスターが貼られています。
そろそろその時期を迎えようとしています。

 

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コメント

坂本龍馬ゆかりの地、あちこち歩かれたのですね。私は近代史に弱いので、龍馬についてもほとんど分らないのですが、龍馬ファンにとっては感慨深いでしょうね。
東山YH、学生のころ泊まったことがあり、懐かしいです。

慕辺未行さん
こんにちわ コメントを有難うございます
龍馬については昨年のNHK大河ドラマの影響で京都にはゆかりの地が多くあるため結構ウォーキングのテーマになりました
東山YHは今も営業している 京都市内でも数少ないYHではないかと思います 最近では外国人を対象にした素泊まりの宿が京都市内でも流行っているようです

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