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2011年7月18日 (月)

今も歴史の残る「伏見街道」を歩く 前編

  伏見街道は、別名「大和街道」とも呼ばれています。京都から伏見、さらに奈良へとつながります。奈良へは約36Kmですが、伏見街道は五条通から本町通を南下し、伏見の京町通まで、約6Kmです。

 この道は、豊臣秀吉が伏見城を築いた時に、京と伏見を直結する道として、開かれたと言われています。
 江戸時代のガイドブックには、道筋には色々な商店が建ち並んでいたそうです。菓子・油・酒・筆・扇・からくり人形・餅・薬などです。
 では、五条通から本町通に入りましょう。この本町通は、北の1丁目から南へ22丁目まである不思議な通りです。
 早速あったのが、お酒屋さんです。

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 お酒屋さんのシンボルも ちゃんとありました。
大分古い様ですが杉玉です。

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正面通の左手には「耳塚」があり、その先には「豊国神社」が見えます。
どちらも、豊臣秀吉ゆかりの場所です。

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 豊国神社は秀吉を祀り、耳塚は秀吉の朝鮮侵攻に係わるものです。
 JRの線路を跨ぎますと、昔の一の橋跡の石碑がありました。

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 この辺りにも、街道筋らしいお家が点在しています。

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 この辺りにある 滝尾神社では多くの人が集まる中、巫女さんのお神楽が奉納されていました。釜に湯が沸いていたので、湯立神事かと思います。

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 九条通のガード下を潜りますと、伏見街道第二橋跡があります。

Img_2643

 この先、この様な橋の跡が、第四橋まであります。
 やがて、東福寺の西門が左手に見えます。

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 右手に、伏見人形の「丹嘉」さんが見えて来ました。伏見人形で唯一残るお店です。饅頭喰い、鎧武者、熊と金時など素朴な姿の伏見人形は、伏見稲荷にお参りしたお土産として売られた物だそうです。

Img_2654

 少し行くと左手に、その伏見稲荷大社が見えて来ますが、その後のことは
次回にご紹介します。

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コメント

こんばんは ヽ(´▽`)/
京都・伏見は行ったことはあるのですが、観光は全くしていないのです。
二十歳ぐらいのころ、関西へ遊びに行った際、旅仲間のご自宅へ泊めていただいたことがあるのですが、それが伏見区の深草飯食町でした。
別の機会には当時、宇治市木幡に住んでいた友人宅に泊めていただいたこともあります。
その辺りの風景だと思うのですが、あの時歩いておけば…、と思いました。

慕辺未行さんへ
伏見の町も今は坂本龍馬の人気(と言うことはNHK大河ドラマのお陰)で特に若い女性を中心に観光客が増えていますが 多分それまでは伏見の清酒・酒造業・酒蔵位で地味な町だったのではないでしょうか

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