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2011年7月28日 (木)

明智光秀が眠る「大津市坂本 西教寺」

 「西教寺」(さいきょうじ)は、比叡山の東麓、大津市坂本の西北の高台にあります。あまり有名なお寺ではないのですが、天台宗の一派で、全国に末寺約450余を持つ「天台真盛宗」(てんだい・しんせいしゅう)の総本山です。
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日吉大社から、西教寺への道の角に立っていた道しるべです。
「盛門」とあるのは、天台宗三派の一つ「真盛宗」の別称で、延暦寺が「山門」、三井寺が「寺門」に対する呼び方です。
因みに、左側に立つ道しるべは、比叡山内横川にある元三大師堂へのものです。後ろに見える石垣は、「穴太積み」(後日”石積の町・坂本”で詳しく紹介します)によるものです。
ここから、西教寺までは坂道の連続でシンドイです。

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喘ぎつつ昇って来た先に、漸く「西教寺」の総門(山門)に到着しました。

 総門をくぐって境内に入ります。
参道の両側には、合計6つの塔頭・宿坊が並んでいます。
信者さんの地区ごとに宿坊が決められている様です。
両側に植えられたもみじの紅葉を眺めつつ、緩やかな坂道を歩きます。

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突き当たりには、「勅使門」があります。
それ程立派なものではないようで、質素な門です。
この宗派の性格を示しているのではないかとも思いましたが・・・。

Img_9120
石段を昇って境内に入った右手に「本堂」がありました。
正面7間、奥行6間、総欅造りです。欅は、紀州徳川家の寄進によるものだそうで、ご本尊は阿弥陀如来です。
建物は重要文化財に指定されています。

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 本堂の左手前にある「坂本城主・明智日向守光秀とその一族の墓」です。
織田信長の比叡山を中心とした焼き討ちの時に、この西教寺も全山類焼の厄に遭っています。その後、当時坂本城主であった明智光秀が西教寺の再建に尽くしたことから、このお寺との縁が始まっています。
 光秀が山崎の合戦で敗れて非業の最後を遂げた時、一族と共に、ここに葬られたと言われています。

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光秀の辞世の句で、江戸時代に書かれた「明智軍記」に因るものだそうです。
大体の意味は、「修行の道には順縁と逆縁の二つがある。
しかしこれは二つに非ず、実は一つの門である。
即ち、順境も逆境も実は一つで、究極のところ、人間の心の源に達する大道である。
而して(そうして)わが五十五年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰するものだ。」
 光秀の深い教養と人生哲学を表しているような気がしました。


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 本堂の裏側にある「大本坊」(庫裏)です。
左手に書院や客殿へと繋がっています。
織田信長の焼き討ち後に、光秀が菩提寺にしょうと思って、寺の復興に力を注いだそうで、坂本城の陣屋を寄進して、この大本坊を再建しました。
光秀と妻・凞子夫人の木像が、ここに安置されています。
 現在の建物は、昭和33年に建替えられたものです。
面積は、約258坪で、昭和の木造建造物では、滋賀県内最大のものと言われています。

 最後に、ここ西教寺の歴史について、少しご紹介します。
興味の有る方はご覧くださいね。

 西教寺は、聖徳太子が、仏法の師である慧慈・慧聡のために開創されたお寺で、推古天皇26年(618)に大窪山の号を賜り、天智天皇8年(669)に西教寺の号を下賜されたと伝えられています。
 
その後、天台座主慈恵大師などが念仏道場としました。
さらに、比叡山で修行した真盛上人が、文明18年(1486)に入寺し、「不断念仏」の根本道場として再建されました。

 明治11年(1878)、明治政府によって別派独立が認められ「天台宗真盛派」の本山となりました。
 
昭和16年(1941)、天台三派が合同しましたが、終戦後再び三派に分離し、「天台真盛宗」となって、今日に至っています。

 尚、明智光秀に関するこれまでの記事は
「京都における明智光秀ゆかりの地を訪ねて」(その1
                         
     (その2
                                                             (
その3) です。

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コメント

明智光秀については『敵は本能寺にあり』と謀反を起こし、信長を倒したものの、三日天下で終わってしまった…、ぐらいの知識しかなく (^_^;;ハズイ、「ヘェーッ!」と思いながら拝読させていただきました。
光秀だけでなく、この西教寺が仏教伝来の頃からの歴史あるお寺だということ、勉強になりました。
古都人様のブログは、歴史の勉強にもなります。

慕辺未行さんへ
こんにちわ
私は歴史が好きで自分なりに関心のある歴史関係の本を読んでいるのですが
どちらかと言えば歴史の裏側について知りたいと言う変わり者です 逆説の日本史など一時よく読んでいました
光秀の反逆についても納得している部分もあります

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