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2011年7月16日 (土)

京都における明智光秀ゆかりの地を訪ねて(その1)

 私が時々参加させて頂いている京都府ウォーキング協会では、今年の計画の目玉の1つとして、「悲運の名将・明智光秀シリーズ」と銘打って、合計4回のウォーキングを実施及び予定をされています。
 第1回目は、「敵は本能寺にあり」で、物集女街道から本能寺に向かうコース、
 第2回目は、「天下分け目の山崎合戦」で、天王山周辺を歩くコース、
 第3回目は、「明智藪と胴塚・首塚」で、光秀最後の地を歩くコース、
 第4回目は番外として、「明智越え」のコースです。

 私は、5月10日(日)の第3回目に参加させて頂きました。参加者は日曜日とあって、また光秀人気もあってか450名もありました。
皆さん快晴とは言え真夏日に近い気温のもと、元気に歩かれていました。
   

 今回は、JR六地蔵駅に午前10時に集合し、ほぼ山科川沿いに北上し、ゴールは京阪三条駅までの約14Kmです。

Img_2569
 
山科盆地のほぼ中央を流れる「山科川」です。

 やがて「本経寺」に着きました。ここは、旧小栗栖壇林跡(お坊さんの学校)で、ここのご住職もここで学ばれたとの事でした。このご住職から、お寺の事や光秀の事などのお話を伺いました。

Img_2583

 このお寺の境内にある光秀の供養塔です。
Img_2578

 お寺を出て暫く行くと、「明智藪」に着きます。
天正10(1582)年6月本能寺の変後、光秀は山崎合戦で羽柴秀吉軍に敗れ、近臣10数名と共に暗夜に乗じて居城の近江坂本を目指しましたが、大亀谷から小栗栖(おぐりす)の竹薮道に来た時、この地の飯田一党の襲撃を受けここで最期を遂げました。この石標は、光秀終焉の地「明智藪」を示すものです。
奇しくも、5月10日はNHK大河ドラマでも、そのシーンをやっていました。

Img_2589 

 この辺りの藪の一部です。
Img_2591

 
藪を抜けると、道端にタンポポがみんな綿毛の状態になっていました。
これを眺めていると、ここで命を落とした人々の”魂”のような感じを受けました。

Img_2595

 今回のウォーキングの見所の1つ、「胴塚」です。
Img_2609
 光秀は明智藪で自刃した時、溝尾庄兵衛尉が介錯し、首は隠したか持ち去ったと言うことですが、胴はここに埋められたと伝えられています。
この場所は山科川に近い場所です。田んぼの中だったとか聞きました。
(以上までの説明は、当日頂いたコース図に記載の文章を参考にさせて頂きました。)

 さて、明智光秀はなぜ織田信長に謀叛したのでしょうか。
ちょうど私が何時も生涯学習で、いろいろと勉強させて頂いている「京都アスニーの金曜日・ゴールデンエイジアカデミー」の4月のテーマが、「本能寺の変の謎に迫る」でした。
この中で3人の学者先生がお話された事を纏めると、つぎの様になります。

 単独犯説として、怨恨説・前途悲観説・野望説。
謀略または黒幕説として、朝廷関与説・足利義昭黒幕説・イエズス会黒幕説。
 最近の研究から、組織論として、前記諸説への疑問や織田権力の矛盾内在説などがあるそうです。
大阪市大の仁木教授は、丹波武士と光秀との強い繋がりを説明されています。

 明日は、首塚とそこに至るまでの様子を、ご紹介します。

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コメント

私の母と同い年ぐらいと伺っていますが、本当にお元気ですね。私の母はとてもそれほどの距離は歩けません。
『古事記』の頃の話しか日本史はよく分からないのですが、確かになぜ明智光秀が信長に謀反したのか謎ですね。
もし、この事件がなかったら、また違う歴史があったでしょうね。『三日天下』という言葉も生まれていないかもしれませんネ。

慕辺未行さんへ
ご覧頂き且つコメントを頂戴しまして有難うございます 歴史に「若しも」はないと言われますが
光秀の事件は「若しも」を考えさせられる事件ですね だから光秀生存説がいろいろと取り沙汰されるのですね これは一種のロマンとも言えます

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