2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

お勧めブログ

無料ブログはココログ

« 京都市内の坂本龍馬ゆかりの地を歩く(その3) | トップページ | 京都市内・三本木通を歩く »

2011年7月14日 (木)

京都市内の坂本龍馬ゆかりの地を歩く(その4)

 京都市内の木屋町通を北上し、丸太町通から河原町通に出て、今度は南下します。ゴールまで後少しです。

Img_6419
河原町通御池上る東側、京都ホテル・オークラの敷地内にあります、
桂 小五郎、後の木戸孝允の像です。中々のイケメンですね。
この辺りは、長州藩・毛利家屋敷があったところです。

河原町通を、さらに下った西側に、「坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難之地碑」が建っています。前回の「酢屋」から数日前にここ「近江屋」(醤油商)に転居したところです。慶応3年(1867年)11月15日、ここの2階で2人が歓談中、刺客に襲われ、無念の最後を遂げました。龍馬ら暗殺の謎については、最後にご紹介します。
Img_6409

さらに、下った東側には、「中岡慎太郎寓居跡」があります。
Img_6406
お店の前ですので、こんな立て札がありますが、ちょっと変ですよね。

 次に、後日に訪れた龍馬らのお墓がある「霊山京都護国神社」付近を、ご紹介します。

Img_6375
少し高いところからの護国神社の全景です。手前の階段を昇って行くと墓地に行けます。

Img_6383
左が龍馬、右が中岡のお墓です。左の燈籠の後には、2人の下男・藤吉のお墓もあります。護国神社に隣接する「霊明神社」の資料では、龍馬・中岡ともに実際の遺体が埋葬されたことが示されているそうです。

Img_6384
龍馬らのお墓の前からの眺望です。お墓が高台にあることがお判り頂けるかと思います。遠くには愛宕山も見えます。

Img_6394
一番高い所にある「木戸孝允」のお墓です。お墓が出来た時は、正二位とありますが、その後贈位され、従一位と右の石碑にあります。

Img_6396
その左隣には、木戸の奥さん・幾松こと「松子」さんのお墓が並んで建っています。

Img_6399
この様に、沢山のお墓が並んでいます。

ここには、藩単位では、京都・山口・土佐・水戸・福岡・熊本・鳥取・岐阜などの招魂社や、禁門の変・天誅組・池田屋などの死亡者、幕末初期の草莽の志士たちら 1356名が葬られています。

 最後に、龍馬ら暗殺の謎について、当日頂いたマップの裏に記されているのを、ご紹介しますと、犯人として4つが挙げられています。
(1)新撰組説~刀と下駄が残されていた。

(2)幕府見回り組説~明治になって名乗り出た者がいる。状況説明が具体的。

(3)薩摩藩説~黒幕として、西郷や大久保が? 倒幕の考えの違いから、龍馬が邪魔に。

(4)後藤象二郎説~龍馬が死んで得をする人物として。

その他にも、いろいろな黒幕説が言われている様です。

 NHK大河ドラマも、いよいよ佳境に入って来て、龍馬の益々の活躍が面白くなるのに、この記事ではもう暗殺のことなど書いていて、大変申し訳けなく思っております。どうぞお許しくださいませ。

[追伸]
先日、このシリーズの(その2)で、龍馬ゆかりの地に、新しく石碑が建てられたことを、ご紹介しましたが、6月2日にその場所に行って来ました。

Img_6604
その石碑です。「大仏」とは、豊臣秀吉が方広寺に造立したものです。
大仏は、今はもうありません。
石碑の左面には、「池田屋事件  もう一つの舞台
地」と、書かれています。
それは、池田屋事件の際に、新撰組がここに踏み込んだことによります。

Img_6614
その場所は、方広寺(ほうこうじ)・南大門(やや見え難いですが、左手の黒い建物・遠くに京都タワーが見える、その右手)から東へ約50mほどのところです。

Img_6617
右手が「南大門」です。左に続く塀は「太閤塀」です。
方広寺は、この地点から北へ約1Km近くも行ったところにあります。
当時の方広寺が、如何に広大なものだったか、お判り頂けるかと思います。

 「幕末期、この大仏南門近くに、坂本龍馬ら土佐出身の志士が住んでいました。ここで龍馬は、妻 楢崎 龍と出会うことになります。
たまたまその母貞と末妹 君江が同所で賄いをしていたからです。」と、
この石碑の建立者である 歴史地理学者 中村武生氏が、説明板に述べておられます。

 

« 京都市内の坂本龍馬ゆかりの地を歩く(その3) | トップページ | 京都市内・三本木通を歩く »

地域 歴史」カテゴリの記事

コメント

歴史的事件が起こった場所や寓居が、コンビニやお店になってしまっているのは、時代の流れなのでしょうか (-_-)ウーン!
それでもこの地を訪れる人々が絶えないのでしょうね。

慕辺未行さんへ
こんばんわ
歴史的事件が起こった地の例でその変化が象徴的なのは「池田屋事件」の場所です
幕末に新撰組が攘夷派の浪士らを襲った悲劇の場所です
その場所がバチンコ屋になりその後焼き鳥屋になり今も新しい飲食店になっています
三条通にあるため車の排気ガスで石碑が真っ黒に汚れていました
今は綺麗になっていまいて道行く人にも足を止めているのを見掛けるようになりました
史跡の保存は難しい問題があるようです

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1153718/40743246

この記事へのトラックバック一覧です: 京都市内の坂本龍馬ゆかりの地を歩く(その4):

« 京都市内の坂本龍馬ゆかりの地を歩く(その3) | トップページ | 京都市内・三本木通を歩く »