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2011年6月27日 (月)

京都伏見を歩く 名水・龍馬・幕末 (その2)

 前回引き続いて、伏見の町中(まちなか)を歩いています。

 「龍馬通り」を通ります。商店街です。龍馬が定宿としていた「寺田屋」に近いので、多分この名前が付いたのではないかと思います。龍馬が襲撃された時、この辺りを駆け抜けて逃走したとか。

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北に向かって撮っていますので、「寺田屋」は手前側を進みます。

 いよいよお待ちかねの「船宿・寺田屋」です。

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今の建物は、その後焼失して再建されたものとか話題になりました。
この建物の向いには、堀になっおり、その傍には「寺田屋はま」の石碑が立っていました。宇治川や淀川を通って大坂にも行くことが出来ました。

「寺田屋」の前の道を西に向かった橋の傍に立っていた石碑です。

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「大黒寺」です。ここには、名水「金運清水」があります。
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また、「寺田屋騒動」で薩摩藩内部抗争で、殺害された有馬新七ら9人のお墓があります。墓碑は「西郷隆盛」によるものとのこと。
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その向いにある「松林院」には、「寺田屋」の女将「お登勢」のお墓があるとのことですが、中は拝観出来ませんでした。
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「薩摩藩伏見藩邸跡」です。今は松山酒造の敷地です。
龍馬が襲われた時に、お龍がここに駆け込み救援を求めました。

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ゴールの「藤森神社」です。ここのご祭神は多いです。三殿あり、神功皇后・スサノオノミコト・天武天皇・早良親王など合計11神です。平安遷都以前から祀られると伝える古社です。特に勝ち馬と馬の神社として知られています。深草祭は毎年5月5日に行なわれています。アジサイも有名です。
勿論こちらにも名水があります。「不二の水」と言います。何時も水汲みの方がおられます。

 午後2時にゴール。久し振りの10Km以上だったので、やや足が辛いです。

 「寺田屋」は、歴史的に残る2つのことが起こっています。
 その1~「寺田屋騒動」です。
ここは、薩摩藩の定宿になっていました。
文久2(1862)年、薩摩藩の国父・島津久光の命を受けて、薩摩藩の急進派・有馬新七らを鎮圧に来た薩摩藩士との間で、乱闘となり有馬ら9名が殺害された。

 その2~「寺田屋事件」です。
慶応2(1866)年、ここを定宿にしていた坂本龍馬が、伏見奉行所の捕り方に襲われた。お龍の気転で逸早く逃れることが出来た。
 なお、ここは女将の「お登勢」の人柄が、志士たちに慕われていて、志士たちがよく出入りしていたとか。

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