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2011年6月20日 (月)

初春の山背古道を歩く

京都府南部・南山城地域の東側の山際に沿って、古代「山背古道」(やましろこどう)が、奈良(南)から京都(北)に通じていましたが、いつしか廃れてしまっていた道を、平成7年に城陽市など近隣の地域の人びとが整備し、今では歴史を知るハイキングコースとして親しまれています。
2月20日(日)にこの道の一部(約13Km)を歩きました。
 JR奈良線の城陽駅前からスタートです。

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城陽駅前の遺跡をイメージしたモニュメントです。
ここ城陽市は、「五里五里の里」と言われ、奈良へ五里、京都に五里と言うちょうど中間点の町です。

 道の近くには遺跡・史跡や古墳なども点在しています。

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「森山遺跡」です。縄文時代後期中頃の集落跡です。
弥生時代の住居跡も発見されています。

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石碑には「明治十年二月八日・木戸孝允公御中飯処」と刻まれていました。明治10(1877)年と言えば、西南の役の年に当ります。
政府首脳にとっては多忙だったのではないでしょうか。
しかし、木戸は同年5月26日には病気で亡くなっています。

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この辺りは「青谷梅林」近くです。丁度20日から「梅林まつり」が始まりました。まだ花はちらほらとのことでした。道の左右にも多くの梅の木が植えられていますが、かなりの古木も見られました。

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青谷梅林の近くに咲いていた梅ですが、こんなに咲いている木は少なかったです。

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道はこの様に集落の中を通ることもありますが、古代は勿論この様に住宅は無かったでしょう。

 道は、時に里山を越えることもありました。小径で、かつ曲がりくねっていて楽しく歩けます。
道のところどころには、山の字をデザインした道しるべが、道面に貼り付けられています。

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美しい竹薮の中も通ります。

 道は、城陽市から井手町に入ります。

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井手町に入って間もなく、「小野小町之墓」がありました。
左下の説明板には、次の様なことが書かれていました。

 小野小町は、平安時代前期の歌人で、六歌仙・36歌仙の一人として知られています。しかし仁明天皇(在位833~850)の時代に宮廷に仕えた歌人である事は確かですが、その生涯は謎に包まれ、終焉の地は、ここ井手町以外に京都市他、秋田県、山口県など全国各地に散在しています。
 「冷泉家記」によると「小町六十九才井手寺に於いて死す」とあり、また「百人一首抄」にも「小野小町のおはりける所は山城の井手の里なりとなん」と記されており、古来「大妹塚」と称されてきた井手の「小町塚」は、中でも信憑性のあるものとされています。(以下略)

 なお、「山背」(やましろ)は平安遷都までの呼び方で、遷都後は「山城」(やましろ)と改称されました。又、「山代」とも呼ばれていました。

音楽はダ・カーポの”遠い世界に”をお聴きくださいね。

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