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京都西陣・織成館「須佐命舎」”帯の芸術 結(ゆい)art展”(その1)

 京都市上京区浄福寺通大黒町の「織成館」”須佐命舎(すさめいしゃ)”で、
着物の帯で作ったオブジェを集めた「帯の芸術 結
(ゆい)art
展」を拝見しました。
この時の様子は、明日(その2)でご紹介します。

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今回は展覧会が催された”須佐命舎”の建物をご覧ください。

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ここは、織成館の新館として1995年(平成7年)に建築されました。
島根県出雲地方にあった「東須佐小学校」が閉校になり、その廃材を引き取って建てられ「須佐命舎」(スサノオノミコトの家)と名付けられました。


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大きな梁や柱、2階の床板には、学校当時の釘あとが残っています。


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奥のオープンスペースは高い吹き抜の天井になっており、
ゆっくりくつろぎながら西陣の風情に親しむことも出来ます。
 訪れた日も声をかけると中から女性が出てこられて
「ゆっくりしてください。2階にも上がってくださいね。」

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1階の入口を入ると、小型のつづれ織機が並んでいます。

また、2階の天井には型友禅の板が使われており、「見当」をつけたキリ跡が縦一列に並んでいます。
 設計は、1986年に来日し、宮大工の修行を積んだ
米国人マイケル・アンダーソンによるとの事です。
 「和」の趣を大切にしながらもアーリーアメリカンの雰囲気が漂います。
この新館は、音楽コンサート、講演会、セミナーや披露宴など和風にも洋風にも利用が可能です。
 また、2階のフロアーは帯の常設提示会場として使われています。

京都府立植物園の薔薇の花は華麗で可憐でした

 先日、同じく京都府立植物園の芍薬をご紹介しましたが、
今日は同じ日に撮った薔薇の花をご覧ください。
何方かが「薔薇は誰が撮っても同じやから、撮らない」と言われてしましたが、
私は誰でも撮れる花しか撮ません。いいえ、撮れませんので・・・
 この日は、早咲きの薔薇しか咲いていませんでした。
薔薇園としての豪華さは無かったですが、
咲いていた一つひとつの花は華麗で可憐でした。


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             「ヴォーグ」


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            「ゴールドバニー」


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              「ジェミニ」


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           「ショッキングブルー」


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        名前は解りませんでした。


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            「たそがれ」


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        「プリンセス ドゥ モナコ」


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           「絵 日 傘」

如何でしたか?
花カタログになりましたが、どの花も綺麗で可愛いですね。
尚、ご紹介の薔薇は正門近くの薔薇園に咲いていました。

琵琶湖疏水と旧東海道を歩く その2 旧東海道

 昨日の続きです。
「琵琶湖疏水」から離れて、「旧東海道」を訪ねるウォーキングに移ります。
 旧国道1号線(現在では、国道1号線は五条通に変わっています・ここは三条通です)を横断して、旧東海道が残る入り口に向かいます。

 その途中にあった「六字名号・南無阿弥陀佛」の石塔です。

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都が平安京に遷ってから幕末まで、ここに「粟田口刑場」が置かれていて、約千人余の罪人が、処刑されています。
それらの霊を弔うために、仏教の各宗派が供養塔を建てたとの事です。
その1つですが、近くには日蓮宗が建てた石塔もあります。

「旧・東海道」の入り口近くには、「車石」のモニュメントが置かれています。
 江戸時代に、ぬかるむ泥の道を牛が引く荷車を、少しでも楽に通れるようにするために、石畳に車の轍に合わせて窪みを付けたものです。

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これが「車石」です。
京阪電車・京津線の地下化に伴い、ここにその記念のために造られたモニュメントの一部です。

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実際の荷車と車石との状態は、この様になっていたと思われます。
荷車の両車輪の幅が統一されていないと利用出来ませんね。

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道沿いに建てられている「旧東海道」の石碑です。
上の方に見える道路は、旧国道1号線(三条通)です。
私達は、「旧・東海道」を西(三条大橋)から東(山科)に向かって
歩いています。後ろに見える山は東山連峰の一角です。

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その道幅はこんな状態です。
車が通ると道の片側に避けなければならない位の狭い道幅です。
江戸時代、大名行列は直接京の都に入れなかったため、山科の”追分”から左折して伏見に入り、船で大坂に向かったそうです。
 何故、大名が京の都に入れなかったか? 大名が朝廷と結び付くのを、幕府が警戒したためと聞きました。

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やがて道が下りになる途中には、旅人の息継ぎの水として親しまれた
「亀の水」があります。
以前は中まで入れたのですが、この位置からしか入れませんでした。
個人の持ち物とか書かれていましたが、史跡としてもっと公開すべきだと感じつつ、
坂を下りました。
  東から来れば、ここは文字通り息継ぎ・一服の場となりますね。

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坂の途中から見た山科盆地の北部地帯です。
向こうの山は、「琵琶湖疏水」編で触れた「音羽山」です。
もう少し下りが続きます。

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ここはかつての京阪電車・京津線の線路の跡です。
この辺り電車に乗っていて、良く揺れたことを思い出しました。
今は公園になっています。

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向こうに見える道路も「旧・東海道」で、この先JR山科駅前に至ります。
さらにその先は「琵琶湖疏水」編で、ご紹介しました「小関越」となります。

 最後に私と「旧・東海道」とのつながりを述べますと、次の様になります。

 街道歩きが好きだったので、当然東海道も一部歩きました。
歩きの会でも「近江東海道400年ウォーク」の歩きが催されたので、
一部それにも参加しました。
他に中仙道や朝鮮人街道なども歩きました。

 さて、その「東海道」歩きですが、約10年程前のことです。
 東は「関宿」からスタートして、坂下~鈴鹿峠~土山~水口~石部~三雲~草津~大津~山科~三条大橋  と歩きました。
勿論何日も掛けてです。
 今 思えば当時は物凄く元気だったのだなあと、懐かしく思います。
 一番印象深いのは、鈴鹿峠越えです。何故か異常な雰囲気を感じました。
山賊が出て来る訳でも無いのに・・・。

 

琵琶湖疏水と旧東海道を歩く その1 琵琶湖疏水

 「琵琶湖疏水と旧東海道」を、京都府ウォーキング協会主催の会で歩きました。
同時に私の「メモリーウォーク」ともしました。所々で思い出を語ります。

 先ず、「琵琶湖疏水」編から。
 JR山科駅前からスタートです。
「三条通」(と言っても良いのかしら?)を東に向かいます。
実は、この道は旧東海道でもあるのです。

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歩き始めて暫くすると、左手にこの石柱を見ます。
ここを左折すると、山を越えて三井寺に至る近道で、
「小関越」と言います。
「逢坂の関」(東海道の正式の関所)に対する呼び方です。
山道の途中には、琵琶湖疏水のトンネル工事に設けた竪抗が2つ残されています。

私は、この「小関越」は数回歩いています。
疏水の歴史ウォークの時や、手近なハイキングなどの時です。

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琵琶湖の水が、第1トンネルをくぐってから京都側で初めて目にする疏水の光景です。
地上から見るとかなり深いところを、右から左に流れています。
第1トンネルは、約2.4Kmあります。まだこの辺りは大津市です。

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ここは「一燈園」の正門です。
西田天香氏(思想・宗教家)が始めた精神修養の道場です。
明治37年に始められました。
修業の一つとして、名前入りの法被を着て、頭に手ぬぐいを被り、
バケツを持って学校や公共施設のトイレの掃除をするのです。
時々そんな姿を見掛けられませんか?

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疏水から東の方向に見える山2つ。
左が音羽山(593m)、右が牛尾山(音羽山よりやや低い)です。
昭和30~40年代、良く牛尾山へハイキングやキャンプ、飯盒炊さんに出掛けたものです。
会社から歩いて行ったこともありました。
牛尾山には、牛尾観音と言うお寺があり、寂しげなお寺でした。

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京都・山科区内の「諸羽トンネル」です。
このトンネルは、JR湖西線の開通のため、疏水とJR線路が近くて危険なため、
疏水の流れを山寄りに変更するために造られたものです。
昭和45年5月でした。
 この辺りから下流の疏水縁は、桜の名所でして会社の花見には良く出掛けた場所です。
最近では、腰を落ち着けての花見よりも、歩きながらの花見の方が多い様に思います。

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疏水沿いの道を歩いていて、唯一と言って良い程の、朱色の橋に出会います。
本圀寺」の参道の橋です。このお寺は以前ご紹介しましたが、キンピカの建物などがあるお寺です。

 「琵琶湖疏水」とは、第3トンネル手前から離れて、「旧・東海道」へ向かいました。

京都・大山崎の聖天さんへ

 折角、京都・大山崎に来たのだからと、「大山崎山荘」を見学した後、
町中を少し歩きました。
まず久し振りに「山崎聖天」(観音寺)さんに詣でました。
 ここには、昔しばしば登ったことがある「天王山」への登山口があります。

 長い急な石段を、ゆっくりと登ります。

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長い石段の半分位登ったところから、上を見ましたら、新緑一杯の光景が目に飛び込んで来ました。

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ようやく最上段まで来て、振り返って見たら・・・

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境内の全景です。右のお堂は「観音寺」、その左が「山崎聖天」です。
真言宗の単立寺院で、妙音山と言います。
本尊は十一面千手観音さんです。「観音寺」の後ろが「天王山」です。
聖天さんは、商売繁昌・良縁和合・除災招福のご利益があるとしての信仰が生まれ、
親しまれているそうです。

 両方にお参りして帰りは、緩やかな下り坂の道を選びました。

 その途中にあった「大山崎瓦窯跡」です。
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山の中腹より少し下の場所にあります。
向こうに見えるのは、男山(石清水八幡宮がある)です。
2つの山の狭い間に、新幹線・在来線・阪急電車・国道が通っていると言う交通の要衝です。
 この「大山崎瓦窯跡」は、平成18年に国の史跡に指定されました。
平成16年に発見されたもので、平安時代前期のものです。
平安京造営時の瓦の供給地と考えられているそうで、
山の斜面に5つの窯が並んでいた様です。

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そろそろ竹の葉の紅葉が始まっている様です。
以前京都市内の「竹林公園」で、担当の方からその様に聞いています。

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「山崎院跡」です。
「山崎院」とは、8世紀前半に僧・行基が社会奉仕のために淀川に架けた「山崎橋」の維持管理とともに、
仏教の教えを民衆に広めるために、山崎の古寺を改修して、自らの寺としたとのことです。
 この跡から、銅塊が6個出土したそうです。
その銅塊は、奈良・東大寺大仏の銅と成分が一致したそうです。

 大山崎町は、歴史のある町で、阪急電車・大山崎駅の近くに「歴史資料館」がありますが、その実態が良く判ります。

方丈記が書かれて800年 その2

 前回(その1)の続きです。
鴨長明は、下鴨神社の禰宜のトップ(宮司)の家の御曹司でしたが、
父親の死で権力争いに敗れ、その座が継げませんでした。
そのために、出家し大原に籠りました(多分世を拗ねての隠遁生活に)。50才でした。
そして54才の時に大原からここ日野に移っています。

 その日野の地に行って来ました。日野は、京都市内の東南(伏見区内)です。
日野と言えば、貴族の日野家の本拠地であり、代々女性が室町幕府の足利将軍家に嫁いでいます。
有名なのは、足利義政の室・富子です。
また浄土真宗の祖・親鸞聖人の出身地でもあります。

 長明が移り住んだのは、法界寺の裏山(と言っても少し離れています)の中にある大きな岩の上でした。
そこに、(その1)でご紹介した、折畳み式の庵を置きました。
その場所まで、結構急坂を登らねばなりません。
何でこんな場所に?と思わざるを得ません。
余程俗界から離れたかったのでしょうね。

 法界寺で、その場所を教えて頂いてから、山道を辿りました。

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山道を喘ぎつつ、やっとその下に辿り着きました。
左上に、石碑が見えます。
山道の入り口から約15分位掛かったでしょうか。
行き交う人もありませんでした。

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岩の上と言うと、この辺りかと思いますが、平ではありません。
どうやって庵を置いたのでしょう?
「方丈」即ち1丈四方、約3m四方の庵、四畳半より少し大きな建物を
ここにどの様にして建てたのでしょうか?
折畳み式とは言え、一人では無理かと思います。
ここまで部材を運ぶのも大変なことです。

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左の石碑は地元ライオンズクラブが建てられたもので、まだ新しいです。
右の「長明方丈石」は、裏を見ますと「明和三年壬辰」とありました。
文面は良く判りませんでした。
明和3年は1766年になりますが、壬辰は1772年です。
その間のことは判りませんが、何れにしても江戸時代中期の頃です。
田沼意次が老中になった時です。
長明が亡くなったのは、「方丈記」を書き上げて4年後、
建保4年(1216)で、62才でした。
上の石碑は500年以上も後のことですね。
兎に角、長明はここで「方丈記」を書き上げたと言うことです。
長明の出家に因縁浅からぬ後鳥羽院は、ここへ2度も御出でになっているとか。
昔の人は天皇でも足腰が達者だったのですね。
長明の僧侶の名は「蓮胤」(れんいん)と言います。

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「日野法界寺」(ひのやくし)は、真言宗醍瑚派に属し、日野家の菩提寺です。
浄土真宗の開祖・親鸞聖人は、この寺で生まれました。
毎年1月14日に行われる「裸踊り」は、修正会の結願行事として有名です。 
この「法界寺」の東には、親鸞聖人の「誕生院」↓が建てられています。

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 またその近くには「えな塚」などがあります。
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 鴨長明が書いた「方丈記」には、3.11東日本大震災に匹敵するほどの惨状をリアルに書いているそうです。
一度読んで見なければなりませんね。

     ※お詫びとお断り
22日の朝からパソコンの調子が悪く、業者に依頼しました。
その為に急遽、コメント欄を閉じさせて戴きます。
返事も書けていませんが回復後に書かせて戴きます。

京都府立植物園の芍薬が咲きました(その1)

 雨が降ったり気温が低かったりの安定しない天候が続きましたが、
京都府立植物園の芍薬も種類によりますが、可憐に豪華に咲き始めました。
 前日の恵み?の雨でしっとりした芍薬を愉しむことが出来ました。

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朝日をいっぱい受けて、一段と嬉しそうな芍薬です。


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            「プリアリムーン」

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           「レッドグレイス」
淡くて落ち着いた花色です。

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              「春の装い」


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              「白楽天」
         

 下の2つの芍薬は名前が解りませんでした。
 
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如何でしたか?
花の咲いていないのも何種類かありましたが、晴天が続くと一度に咲き揃うかも知れませんね。

※ボタンとシャクヤクの違いをご存知ですか?
     以下は京都府立植物園での説明によります。
 「シャクヤクは草、ボタンは木」。
ともにボタン科ボタン属の植物ではありますが、
ボタンは低木(木本植物)、シャクヤクは草(草本植物)になります。
 ボタンは「木」の姿で越冬し、シャクヤクは冬には地上部は枯れ根が生きているだけです。
 樹木一般に行われる「剪定」という作業もボタン栽培ではありますが、
シャクヤクではありません。
 つぎに、葉の違いです。
ボタンの小葉は、シャクヤクに比べて比較的「広い」葉になっています。

方丈記が書かれて800年 その1

 今年は、「鴨長明」が「方丈記」を執筆してから丁度800年の記念の年です。
すなわち、執筆したのは建暦2年(1212)、彼は58才のときです。
 この年は、浄土宗の開祖・法然上人が亡くなられた年でもあります。

  行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
  淀みに浮かぶう うたかたは、かつ消え、かつ結びて、
  久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖と、またかくの如し。

 こちら京都では、生涯学習の講座や、地元の新聞などで、この「方丈記」が取上げられています。
完成したのが、3月31日だったとのことで、わざわざその日に、その場所を訪れられた研究者もおられました。

 私も素人なりに、見聞きした範囲で、2つの現場を訪れました。
(その1)では、京都・下鴨神社の摂社「河合神社」に復元された
鴨長明の「方丈の庵」を訪ねました。

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「河合神社」は、「糺の森」の南西にありますが、何時見てもやや寂しげな雰囲気を漂わせています。
下鴨神社は右手のずっと先にあります。

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神社の正面に遣って来ました。
楼門の屋根には、何やら草が生えています。

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実は、この神社は女人守護のお社です。
ここにお参りすると女性は美しくなれると言われています。
一心にお祈りする女性の姿もあります。

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写真はクリックで大きくなります
そんな女性達が納めた「鏡絵馬」です。色んな表情がずらり。

 その社殿の右手前に、目的のものが置かれていました。

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覆い屋の下に、”方丈記”を執筆した「方丈の庵」が復元されていました。
広さは1丈(約3m)四方あり、移動可能な造りになっています。
それは、下鴨神社の21年毎に行われる式年※遷宮にヒントを得たものと言われています。
 ※遷宮(せんぐう)とは、神社の本殿の造営または修理の際に、
神体を従前とは異なる本殿に移すことです。

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「方丈の庵」に近寄って見ました。
極めて狭いですが、シンプルで機能的な造りの様です。

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建物の中を覗かせて頂きました。
防寒設備がありませんから、冬はさぞ寒かったことでしょう。

 この建物が、日野にあったと聞き、その現場に行きました。
次回、ご紹介します。

京都市蹴上浄水場のツツジ見物 ツツジ編

 施設を見学した後、京都市内のツツジの名所の1つ、蹴上浄水場のツツジを見物しました。
 今年は、浄水場が給水を始めた明治45年(1912)から、丁度100周年となりますので、一般公開の期間も7日間と、例年より長くなっています。
 ツツジは、全てが満開にはなっていませんが、大勢の方が見物に訪れていました。 

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東山連峰の一角の山の斜面に、蹴上の浄水場は造られていて、
その斜面にいろいろなツツジが植えられています。
ご覧の様に、既に満開のものもあれば、まだ花さえも付けていない木もあります。
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向こうに見える建物は浄水場の本館です。
 
場内には九十九折の道が付けられていて、ゆっくりと坂道を登ります。

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一際鮮やかに咲く一角です。
人それぞれにツツジの花に見入っておられます。
写真を撮っている人も多く見られました。

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緩やかな下りが続きます。

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東の出口に近付いて来ました。右の建物は本館の一部です。

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風に吹かれていますが、目にも鮮やかなピンク色です。透明感を感じます。

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汚れが目立った純白の花の中で、比較的綺麗な白を見付けました。

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「蓮華躑躅」の立札が有りました。
コースの片隅で、数本が咲いていましたが、特別扱いされている様に見えました。
 今年は10日に出かけました。
今年は一般公開期間が長いので、例年に比べて少しは開花が進んでいましたが、
公開の時期を再考して欲しいと思いながら・・・。

京都市蹴上浄水場のツツジを見物する 施設編

 蹴上浄水場は、日本最初の急速ろ過式浄水場として、
明治45年(1912)4月から給水を開始しています。
 その後、昭和37年・平成9年・平成15年、そして平成24年と更新と増設を経て、
今年には1日198000立方mの給水能力を持つようになるそうです。

 では、施設の幾つかと、高所からの景色を、ご紹介します。

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東の方の高所から見た浄水場のほぼ半分の光景です。
左手上にも、幾つかの施設があります。
左手の大きな屋根は本館です。
その前に広がるのは、「沈殿池」や「ろ過池」です。
右手は、目下増設のための工事区域です。
浄水場と右手の住宅地の間には、旧国道1号線(三条通)が通っています。

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「急速ろ過池」の一部です。この先左手に広がっています。
沈殿処理した水を、砂と砂利の層でろ過し、さらにきれいな水にします。

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「第1高区配水地」の建物です。
明治45年からの建物ですが、歴史を感じさせます。
左手の塔の頂には、草木が生えているのが見えました。

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右上にいる人と比べて見て下さい。「粉末活性炭接触池」です。
カビ臭などの臭気を取り除くために入れられた粉末活性炭と原水の接触時間を長くするための池です。
「取水池」からの原水を、初めて処理するところで、今は水は入っていません。

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最も高い場所から、北の方向を見たところです。
右手上は「比叡山」です。その手前は「大文字山」です。
遠くの山並みは北山連峰です。
左手の低い丘には、金戒光明寺(黒谷)や真如堂などがあります。
眼下には明治の建物が見えます。

 ここにある水は、琵琶湖疏水から来た水で、水道水としては第2疏水の水を使って処理されています。
 この後、ツツジを見ましたが、明日、ご紹介しますす。

京都府立植物園 可憐なチューリップ(その2)

その1)では、植物園の会館前のチューリップをご覧戴きましたが、
今回は、林の中のチューリップたちをご覧ください。

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大きな木の周りを取り囲むように植えられたチューリップたち。


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ムスカルのブルーが爽やかな一角


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正しくチューリップの花園です。


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ご覧になられている人たちも、写真を撮っている私も数々の見事なチューリップ に幸せなひと時を過ごすことが出来ました。
 お花の配置も素晴らしく、管理されている園の人たちやお世話をされているボランティアの方たちに感謝しながら・・

京都・葵祭2012を観る

 京都の3大祭(他に祇園祭・時代祭)の1つ「葵祭」が15日は雨のため、1997年以来15年ぶりの順延となり、今日16日に催されました。
 今回は下鴨神社の境内・糺の森の有料観覧席(初めてです)で拝見しました。
 「葵祭」には、いろいろな儀式がありますが、上賀茂・下鴨の両社での「社頭の儀」は、予定通り15日に執り行われており、16日は「路頭の儀」(行列)のみが行われました。

 昨日とは打って変わって爽やかな晴天に恵まれました。
11時過ぎに下鴨神社に着きましたが、大勢の人々でごった返していました。
が、どうにか所定の席に着くことが出来ました。
11時40分頃にここを通過の予定でしたが、少し遅れての通過でした。

 行列は2つに分かれており、「近衛使代」(このえのつかいだい)を中心とした「本列」と、「斎王代」を中心とした「斎王代列」とから成っています。

 まず男性ばかりの「近衛使代」が、遣って来ました。
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本列の中では最高位の人です。
天皇の御使で、現在は宮内庁の役人の方が務められています。
行列には勅使は参加せず、「近衛使代」がその役割を務めています。

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何時も人気の「牛車」(ぎっしゃ)の先頭は、小さな童が牛の綱を引いています。
もう一人の子は残念ながら見えませんね。

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かなり大きな牛が、引いています。
車は、藤・杜若・紅梅・白梅などの花で飾られています。

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行列に参加の皆さんは、冠などに「アオイ」の葉っぱを付けています。

 続いて「斎王代列」です。勿論主役は「斎王代」です。

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鮮やかな十二単姿の第57代・斎王代は、亀井敦子さんです。
にこやかな笑顔が素敵でした。

 この女人行列の中で、私の目が引き付けられたのは、この方でした

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「斎王」に仕える女人の一人ですが、衣装なども含め爽やかな印象を受けました。

 行列の参加者は511人とのことで、約1Kmの行列となります。

 「葵祭」の起源は6世紀で、天皇が国の安泰や五穀豊穣を祈願した故事によるもので、日本三大勅祭の1つです(あとの2つは、石清水際と春日祭です)。
下鴨神社と上賀茂神社の例祭で「賀茂祭」と呼ばれていました。

 

京都・大田神社のカキツバタが見頃でした

 上賀茂神社の境外摂社「大田神社」の「カキツバタ」が見頃と聞いて、
早速出掛けました。
 社殿手前の鳥居の近くの右側に「大田ノ沢」(約2千平方m)があって、
そこに約2万5千株のカキツバタが群生しています。
ここは、国の天然記念物に指定されています。

 先ず社殿に参拝します。

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正面が拝殿です。「大田ノ沢」は、手前の右側にあります。
右手の木の下部に白い紙が貼られていますが、これはここに棲む「タゴガエル」についての説明書です。
白い紙の右下に小さな池があり、そこにカエルがいてゲロゲロと鳴いていました。
保護色らしく姿を見ることは出来ませんでしたが。
また池の中には薄ねずみ色の小さな卵が、沢山固まりで見えました。

 協力金300円を受け箱に入れて、沢の縁に入ります。

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沢の左半分の全景です。
今年は例年より3~4日開花が遅れているそうです。
花は1株で3回も咲くそうです。

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沢の右半分を、横から撮ったものです。ちょうど日が射して来ました。

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望遠レンズで、撮ったものです。

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カキツバタの花の形を良く見ると、不思議な形をしていることに気付きました。
花びらが枝分かれしたような形です。
花の形は、シンプルなものもあれば、複雑怪奇なものもあります。
その点から言えば、カキツバタは”まし”な方と言えそうです。

 この大田神社のカキツバタは、平安時代から知られているそうで、
歌人の藤原俊成が、つぎの様な歌を詠んでいるとのことです(地元新聞記事から)。
恋心を歌に託したものです。

  神山や 大田ノ沢の かきつばた ふかきたのみは いろにみゆらむ

長岡天神のキリシマツツジを見る 八条ケ池編

 昨日の続きです。
「長岡天満宮」の参道の両側には、「八条ケ池」と言う大きな池が広がっていて、
市民の憩いの場となっています。
 キリシマツツジを見た後は、池の周囲を散策しましたが、
その前に「天満宮」に参拝しました。

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ご祭神は、勿論菅原道真公です。
道真公が大宰府に左遷される時に、ここに立ち寄って名残りを惜しまれたと伝えられています。
道真公が亡くなられた後、家臣達がここに聖廟を建てたことに
始まるとのことです。

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天神さんと言えば、そうです「牛」さんですね。
頭から顔と足腰を撫でる方が多いようです。
良く光っています。私の場合は、頭と膝を撫ぜますね。

 「八条ケ池」を巡ります。

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池の北側から、ツツジが植えられている中堤の方を見ています。
水上橋と繋がる「六角舎」(右寄り)や、池の中央には噴水があります。
水上橋は、池の西側に、南から北へ架けられた木の橋です。↓

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何時も不思議に思っているツツジの木の姿です
。池の傍に立っているツツジです。
きっと人の手が加わっているとおもうのですが・・・・。
いやいや自然でしょうか?

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中堤の南側の奥には「錦水亭」があります。
地元の名産のたけのこ料理が有名ですが、私はまだ一度も行ったことはありません。

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池の東側には、桜並木があります。
ほんの少し花が残っていましたが、素敵な散歩道です。

 この様な素敵な環境の「八条ケ池」は、当時この地の領主であった八条宮が、
灌漑池として寛永15年(1638)に造られたとのことです。
池の周囲は、約1Kmあります。

長岡天神のキリシマツツジを見る 参道編

 今年も京都・長岡京市にある「長岡天神のキリシマツツジ」がちょうど見頃とあって、早速見に行きました(4月30日)。
この日は、残念ながら曇空でした。

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「長岡天満宮」の正面の石の大鳥居です。
近隣では数少ない石の大鳥居だそうです。

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石段を上って、参道の真ん中に来ました。
左側が南面、右側が北面となり、左右ずっとキリシマツツジが続いています。
木の高さは、女性達の背と見比べて下さい。
背の高いツツジで、色は真紅です。
樹令130年前後とのことです。

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反対側の南面側の光景です。晴天なら、もっと綺麗な風景なのですが・・
随分長く連なっていることがお判り頂けるかと思います。
右手の池は「八条ケ池」(次回ご紹介します)の南側の一部です。

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南面の群落に近寄って見ました。凄いボリュームを感じます。

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うんと接近してみました。
蘂の長いのは、普通のツツジと変わらない様に思います。
本当に真紅ですね。

 この後、「八条ケ池」の周りを散策します。

新緑の美しい京都府立植物園

 雨上がりの午前中、新緑を求めて植物園へ出かけました。
想像していた通り、それ以上に雨で洗われた新緑は美しくて暫し見惚れていました。

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何時ものように池に向かいます。
新緑に負けないくらい、しっとり瑞々しい苔です。


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池の周りを歩きながら撮っていますが、どこから見ても綺麗な若緑です。
散策されている方たちの姿も有ります。


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真ん中のモミジは黄色と黄緑の中間のような優しい葉色です。
部分的に少し薄いオレンジもかかっています。


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正門から入った所で白いしゃくなげの花を描いておられる女性
今の植物園は何処を歩いていても優しい新緑を愛でることが出来ます。


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桜苑です
ミモジとは違って若葉色とは程遠いですが、手前にさり気なく植えられた
お花が優しさを添えているようなそんな気がします。

可愛くて華麗なシャクナゲ at 京都府立植物園

 前回は正門から入った所のシャクナゲの花をご紹介しましたが
今日は、園内を散策している時に見つけた西洋シャクナゲをご紹介します。

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小ぶりで可愛いシャクナゲです

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こちらは、淡い紫色です 

どの花もそうですが、似ているようでも其々に違いが有りますね。

京都・嵯峨清滝に行きました

 久し振りに京都の西の観光地・嵯峨清滝に行きました。
目的は2つありました。1つは、「再現!かつての愛宕詣[志んこ]で
一服どうですか?」に誘われて。
もう1つは「清滝の新緑を見に」でした。

 先ずは新緑から。

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「清滝」のバス停から急坂を下る途中で、ふと山を見ると緑色の濃淡が目に飛び込んで来ました。

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「清滝川」は、愛宕山付近を源流として、下流で保津川に流れ込んでいます。
これからは、この川沿いは川遊びの人達で賑います。
この日も、近くの駐車場には多くの車が停まっていました。

 そして、この橋の下流は、こんな光景でした。↓

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同じ川とは思えない川の表情です。

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「愛宕山登山口」付近の様子です。
右手の道は、「京都一周トレイル・西山コース」の一部です。
「東海自然歩道」でもあり、私も何回かこの道を歩きました。
高雄~嵐山と通じています。

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正式の登山口は、こちらです。
どなたかを待つ男性の姿が・・・・。
ここから山頂まで、約2時間半の道のりですが、登りは本当にしんどいです。
それでも元気な時は、毎月1回は登っていました。
7月31日の夜は「千日参り」も遣りました。夜寝ずに歩くのです。

 そして、そんな愛宕詣での楽しみの1つが、この「志んこ」を食べることです。
昔の話ですが・・・・。

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1口食べてから、写真を撮るのを忘れていて、撮ったものです。
米粉に砂糖と塩を加えて、熱いお湯でこねて蒸したものです。
昔懐かしい、素朴な和菓子の味でした。

捻れた形は、愛宕山の参道のクネクネ道を表わしているとか。
昔は、参道のお茶屋さんで売られていたそうです。
今回、私も入っている「京都愛宕研究会」が、1日限定で販売されたものです。

 かつて愛宕山(愛宕神社)は、「伊勢に7度、熊野へ3度、愛宕さんへは月参り」と言われた位、詣でる人が多かったそうです。
その時の楽しみが、あたご名物「志んこ」でした。
 また、子供を3才までに愛宕山にお参りさせると、一生火事に遭わないとの言い伝えがあります。
子供をおんぶして登山されている姿も、よく見掛けます。

京都・松尾大社のヤマブキの花

 京都市西京区にある「松尾大社」のヤマブキの花が、見頃を迎えていると聞いて、
早速拝見に出掛けました。
ほぼ毎年拝見しています。

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朱色の鳥居には、「勧請縄」が付けられています。
鳥居をくぐって境内に入ります。奥には楼門が半分近く見えています。

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ヤマブキは、境内を流れる「一ノ井川」の両岸に植えられています。
境内には、4種類 約3千株のヤマブキが植えられています。
  今年は春先の冷え込みで、開花が例年より遅れ、4月下旬頃から咲き始めたそうです。

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ヤマブキの殆どは八重咲きですが、一重もあります。
しかし数は少なくかなり慎重に探さなければなりません。
今年は白色は見当たりませんでした。

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境内の石橋の少し下流には、こんな大群落が見られます。
向こうに見える建物は、社務所などです。

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石橋の傍の灯籠の付近に咲くヤマブキです。
ちょっと面白いのは、灯籠の下部をご覧ください。
何かが灯籠を支えています。
かなり石が摩滅していて顔が良く判りません。
時々見掛ける形ですが・・・。天邪鬼でしたかね。

新緑の京都・洛北・蓮華寺を訪ねる その2

 昨日の続きです。
お庭と、そこに咲くしゃくなげの花を、ご紹介します。
 ただお庭での撮影は禁じられていますので、撮影は制限されます。

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このお庭は、再興時石川丈山らが作ったもので、創建当時のままだそうです。
池の中の石は舟石で、その先の縦長の石は鶴石です。
やや左手の木の葉に半分隠れた石は、亀石です。
その奥のやや高いところが蓬莱とのことです。
小さいながらも、江戸時代の名園の1つと謂われています。
 新緑が眩しい位に目に入って来ます。

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方丈の右手にも庭園が広がっており、そこにしゃくなげが数本植えられていますが、
丁度見頃を迎えているようでした。

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薄紅色の花が、お寺の雰囲気に好く合っています。

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白色の花が1本だけありました。後は薄紅色の花ばかりです。

 スリッパを履いて、木の”すのこ”の上を歩いて、本堂にお参りしましたが、
こちらも撮影は禁止となっていました。
 
 参詣を終えてから方丈に戻り、しばし縁側で静かな雰囲気に浸っていました。
他には参詣の人も来られませんでした。
 大原への道からは遠く離れていて、物音ひとつせず、偶に池の鯉でしょうか跳ねる水音がするだけでした。

 心に栄養を頂いて、お寺を後にしました。
この後、宝ヶ池公園を散策しました。

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